第8話 Vtuberの名前②
アカデミーに集まった、Vtuberの卵たち。
その中に、小湊 みさきの中の人がいる。
「名前を考えているのかい?」
烏丸はポツリと呟いた。
焦ることはない。
まずは、自分がVtuberになることから。
保健室で貰ったアドバイスを思い出す。
烏丸は、大人しく自分の席に戻る。
彼女は小説家だ。
ネーミングセンスには自信がある。
しかし、Vtuberの名前に関して、彼女には一つ、新しい考えがあった。
机の上にメモ帳を広げる。
メモ帳の前半は、言葉で埋まっている。
後半は、まだ何も書かれていない空白だ。
これからのVtuberとしての活動で、埋まっていく。
「本名で活動するのはどうだろう?」
烏丸は後ろを振り返った。
透をジッと見つめる。
清潔感のある可愛らしい顔。
それでいて、ギャンブラーなのはギャップを感じる。
見つめられた透は、ポカンとする。
烏丸を保健室まで運んだのは、透とあと一人。
その、もう一人が、小湊 みさきの中の人だ。
「どう思う?」
「なにが?」
「Vtuberの名前を、本名にすることについてだ」
「……そんなVtuberはいないと思いますよ?」
「そんなVtuberがいないのなら、新しくていいじゃないか」
本名で活動するなら、Vtuberになる意味がよく分からない。
Vtuberという文化に馴染みのない烏丸だからこその発想だ。
冗談だよねと、透は思う。
しかし、烏丸は本気だった。
「本名で活動するのは、危険だと思いますけど」
「そうかい? 身バレでバズるようなVtuberをSNSで見たけど、本名もバレていたよ。それに、本名で活動する有名なストリーマーやプロゲーマーがいるのだから、Vtuberも本名で活動したって不思議じゃないだろ?」
烏丸なりの理屈はあった。
透がそれに納得できるかは別だ。
「せっかくだからカッコいい名前にしましょうよ」
「わたしの本名だってカッコいいだろ?」
「まあ、否定はしないですけど」
「じゃあ、烏丸 梓で決定だ。ノンフィクション作家としても、本名で活動しているんだ。ちょうどいい」
「うーん。なんだかなあ」
Vtuberとして、それってどうなのという思いが、透のなかにある。
透が中学生のときに、Vtuberという存在が生まれた。
みんな今まで、Vtuberの『おやくそく』を守ってきたのだ。
それを新人Vtuberが崩していいのだろうか。
「……恩田さんはどう思いますか?」
「えっと、本名かどうかなんて、見ている人には分からないんじゃないかな」
「たしかに」
Vtuberとしての名前は、Vtuberとして活動しているときには本名だと言う。
詩音の言う通り、本当に本名の人がいても分からない。
「やりたいようにやるのが一番じゃない? Vtuberなんだから」
「そうさせてもらうよ」
「でも、あまりやんちゃしないようにね」
「ふーむ。あまり魅力的な言葉を使わないでくれ。イってしまうよ」
「……なんなの、その体質?」
烏丸はVスマホに名前を登録した。
烏丸 梓。
たしかにVtuberとしても通用しそうな素敵な名前である。
みんな名前を簡単に決めていく。
そもそも、アカデミーに合格したその日から、Vtuberとしての名前は考えてきた人が多い。
名前を考えに競馬場に向かったのは、透だけだ。
透は、ペンを回した。
机の上には『透水』と書かれたメモ用紙がある。
そのメモ用紙を烏丸は覗き込む。
「へえ。良い名前じゃないか。君が考えたのかい?」
「考えたんじゃなくて、競走馬から貰いました」
「ああ、ハリボテトウスイ」
「そうです」
「じゃあ、苗字はハリボテかい?」
「いや、苗字はまだ思いついてなくて」
「ふーん。わたしが考えてあげようか? 人の名前を考えるのは得意なんだ」
「……」
「嫌そうな顔をしないでおくれ」
「じゃあ、例えば」
「そうだなあ。『薄井 透水』(うすい とうすい)なんてどうだろう」
「……ダジャレじゃないですか。却下で」
烏丸は唇を尖らせる。
水っぽくていいのに、と呟いていた。
透は、詩音の方に会話の矛先を向ける。
「恩田さんは? 名前決まりました?」
「うん。登録も終わったよ」
「なんて、名前ですか?」
「……『沢田 綿麦』(さわた わたむぎ)。友達がくれた名前なの」
ガタンと音が鳴る。
音の正体が烏丸だ。
声もなく絶頂を迎え、机に顔を伏せていた。
どの言葉が琴線に触れたのか、透には分からなかった。
ここまで連続で果てる姿を見ると、テクノブレイクが不安になってくる。
ちなみに、トリガーとなったのは「友達がくれた名前なの」という言葉だ。
この言葉が、烏丸にとっては魅力的だった。
「Vtuberとしての名前を、友達がくれたんですか?」
「そう。大切な友達から貰った、大切な名前。これで活動しないとね」
「そういう名前が、僕にもあればいいんですけど」
「じゃあ、あげようか?」
「はい?」
「苗字が欲しいんだよね」
詩音はペンを持つ。
アゴでポチッと押して芯を出してから、『透水』と書かれたメモ用紙に『恩田』と書く。
「わたしの苗字をあげる。『恩田 透水』(おんだ とうすい)。良い名前だ」
へへへ、と笑う。
その笑顔が、言葉が、行動が、透の琴線に触れる。
なんだか胸が跳ねている。
心臓があばらを叩く。
血が身体を巡って、体温が高くなる。
烏丸ではないから、絶頂はしないが。
透は、どうやら、恋をしたみたいだ。
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