第7話 Vtuberの名前①
烏丸はベッドの上で目を覚ます。
知らない天井が、ぼやけて見える。
目を擦って起き上がる。
ベッド周りは、カーテンで囲まれていた。
保健室だろうか。
絶頂して気絶して、運ばれてきた。
2回も絶頂したら、身体は持たない。
誰に運ばれたのかは、記憶にない。
女性のなかでは背の高い烏丸だから、男性でないと運べないだろう。
だとしたら、ギャンブラー透か、イケメン横山のどちらかだ。
烏丸はベッドの上で背伸びをする。
金髪美少女にやられた。
ギャルだけではなかった。
美少女が持つ言葉の力を、烏丸は汲み取ることができる。
汲み取った言葉を、小説にする。
カーテンの向こうから、ガサゴソと聞こえる。
カーテン越しに、人影が見える。
髪が長いので、女性だと分かる。
隣にも、ベッドがあるようだ。
女性はベッドの上で伸びをする。
胸のあたりが、黒い曲線になっている。
「誰かいるのかな?」
「……」
返事はないが息遣いは聞こえてくる。
隣の女性も寝起きなのだろうか。
それとも、返事ができないくらい体調が悪いか。
「聞こえたら、返事をしてくれよ」
「……聞いたことない声。あなたはだれ?」
ダウナーな声が聞こえてきた。
股の辺りがキュンキュンする。
イったばかりで、感度が高い。
特筆すべき言葉ではなくとも、今の烏丸には刺激的だった。
「わたしはアカデミー生だよ」
「ふーん」
「貴方は誰なんだい?」
「アカデミー生には、教えられない……と思う」
「思う?」
「規則はない。けど、デビューしないでやめちゃう子もいるから」
「へえ」
烏丸はカーテンを掴む。
綺麗に波打った布が、ぐにゃりと歪む。
この布はいらない。
烏丸は、Vtuberの裏側まで到達した。
自分自身がVtuberになることで、Vtuberの横顔を見ることができる。
「開くのと、破るの、どちらがいいかな?」
「え?」
「わたしと君の出会い方の話だ」
「……よく分からない」
「じゃあ、わたしの好みを選ばせてもらうよ」
烏丸はカーテンを思いっ切り引っ張った。
ブチブチと音を立てながら、レールからカーテンが外れていく。
「さあ、姿を見せておくれよ!」
二人を隔てるカーテンはなくなった。
しかし、烏丸が求めていたVtuberの姿はない。
「……やってくれたね」
そこにあったのは、人のサイズに膨れ上がった毛布だった。
隣のベッドの女性は毛布に包まれ隠れていた。
布はまだ、二人を隔てている。
「……あなたの倒し方は聞いた」
「誰から?」
「あなたをここまで運んだ二人。透くんと、みさき」
「みさき?」
「あ、間違えた」
みさきなんて名前の人は多目的室①にはいなかった。
烏丸が、みさきという名前を聞いて思い当たるのは、小湊 みさきただ一人。
「まさか、あのなかに小湊 みさきが?」
「……めんどくさ」
「教えておくれよ」
「まあ、いいか」
布団の中から咳払いが聞こえる。
彼女が聞いた、烏丸の倒し方。
それは、強い言葉を伝えるだけ。
「まだVtuberじゃないくせに」
「うっ、うわあああ!!!」
烏丸は絶頂を迎え、ベッドに倒れる。
気を失ったのを確認して、毛布を剥ぐ。
「ふう」
現れたのは、ゾンビ系美少女。
ウェーブした白茶色の髪の毛。
ギョロっとした大きな三白眼。
細い手足と細い首。
胸は豊かで、重たそう。
シャツのボタンが外れて、胸元が見えている。
隣のベッドを確認する。
烏丸は、目をグルグル回しながら、ベッドに座った状態で、そのまま前にバタンと倒れていた。
このままでは可哀想なので、一度身体を起こし、ちゃんとした体勢で寝かせる。
ちゃんと毛布もかけてあげる。
それにしても背の高い女性だ。
3D配信ですごく目立つだろう。
果たして、彼女がどんなVtuberになり、どんなキャラクターになってデビューするのか。
烏丸のデビュー配信が、ゾンビ少女の楽しみになった。
ゾンビ少女は、烏丸の耳に口を近づける。
「わたしの名前も、みさきのことも、あなたのVtuberとしての名前が決まったら教えてあげる。それまでは、おねんねしててね」
「う、うう」
ゾンビ少女は囁いた。
烏丸は寝ながら、また果てた。
◇◇◇
Vスマホを起動させると、初期設定の画面に移行する。
画面には、名前を登録するように指示がある。
そこで、透の手が止まる。
「そこに入力するのは本名ではなく、みなさんがVtuberとして活動するときの名前です。自分がVtuberとして活動するときの名前を考えること、そして考えた名前をVスマホに登録するまでを今日の授業とします」
Vtuberの名前にはとことんユニークなものから、シンプルで親しみやすいものまで、様々なネーミングが存在している。
韻を踏む。
数字で表すことができる。
ダブルミーニングになっている。
などなど、Vtuberの名前には、様々な工夫がみてとれた。
アカデミー最初の授業は、自分がこれから活動していく際の名前を考えること。
「ニッポニアに所属しているVtuberの名前の傾向としてはですね、そこまで奇天烈なものはなく、シンプルでわかりやすいものが多いと思います」
「えー! 『乙骨 麦茶乙』(おつこつ むぎちゃおつ)先輩とかヤバくないですか?」
ギャル矢野は、山辺の言葉に指摘する。
たしかに、ニッポニアには奇天烈な名前のVtuberが在籍しているはずだ。
「……150名以上のVtuberが所属していますから、一人くらいは、そうですね、奇天烈な名前も存在しますよ」
「一人だけじゃないですって」
「奇天烈だと目立ちますから、たくさんいるように思えるだけです」
「えー」
ギャルの考えに、透も同感だった。
透は、ニッポニアのオタクというほどでもないが、所属しているVtuberの名前くらいは把握している。
ニッポニアにはチャンネル登録者が100万を超えるVtuberが7名在籍しているが、そのなかでも3名は奇天烈な名前という印象だ。
一人目は、ギャルも言っていたが『乙骨 麦茶乙』(おつこつ むぎちゃおつ)先輩。こんな名前で、黒髪ボブの普通の女子高生みたいな見た目をしている。マシンガントークと、神秘的な歌声が特徴的で、どこかカルト的な人気を集めている。
二人目は、『軽樽』(かるたる)先輩。ゾンビ系美少女で、ギャルの心を持ち、そしてゲームの腕前はピカイチだ。Vtuber業界だけでなく、ゲーム界隈にも幅広い顔を持ち、多くのゲーム大会や、ゲームイベントに呼ばれる人気者だ。
三人目は、『知恵下原 解熱』(ちえげばら げねつ)先輩。革命家美少女で、啓蒙的な一面を持ち、女性Vtuberのカリスマとして君臨している。なんでもできる器用な一面があり、ゲーム、歌、ラジオなど、さまざまな活動を行っている。
このように、ニッポニアにも奇天烈なVtuberは所属している。
山辺の説明は、あまり納得できなかった。
「……みなさんには、シンプルな名前で活動してもらいたいです。名前が変だと、馬鹿にされて、精神を病んでしまうケースもありますから」
「優しいんだね」
「あ、いや。あくまで個人的な意見です。みなさんが、どのような名前で活動しようと自由です。ですから、自由な発想で名前を考えてください。みなさんのネーミングセンスも、期待してます」
「任せてよ!」
「思い付いたら、挙手をしてください。みんなの前で発表してもらいます」
山辺の言葉に、詩音は顔をしかめる。
みんなの前で発表するのは恥ずかしい。
自分が書いた小説を、学校の教室で音読するようなものである。
そんなの、陰キャの詩音には耐えられない。
詩音は隣の席に座っている、透の表情を確認する。
唇をとんがらせていた。
表情から感情が読み取れない。
名前を考えているのだろうか。
透は、初めましてのみんなの前で、いきなり競馬に興じるような人間だ。
羞恥心というのはあまりないのだろう。
詩音がそんなことを思っていると、透も詩音の方を見て、二人の目が合う。
「発表するのは、ちょっと恥ずかしいですよね」
「!!!」
「え、そんな驚きます?」
詩音は目をまん丸にして驚く。
まさか、透も発表するのが恥ずかしい側の人間だとは思わなかった。
「もう、思い付いた?」
「名前はあらかじめ考えてきました」
透はカバンから筆記用具とメモ用紙を取り出して、名前の漢字を書く。
詩音はメモを覗き込む。
「えー、『透水』と書いて(とうすい)と読みます」
「あ、お馬さんの名前?」
「そうです。5200万円賭けたのは、いただきます的な意味もあって……、やっぱり、恥ずかしいですね」
「すごくいいと思うよ。カッコいい名前だし。ギャンブラーって感じもあるし。あれだよね。漢字も『清水 透』から、『水』と『透』を取って、『透水』だよね? なんだかエモいね!」
詩音はまくし立てるように『透水』という名前を褒める。
そこまで汲み取って褒めてくれると、透は気分が良くなる。
「でも、苗字がまだ決まってないんですよね」
「そうなんだ、じゃあ……」
詩音が何かを言いかけたところで、多目的室①のドアが開いた。
入室したのは、烏丸だった。
ちょっと、体調が悪そうというか、疲れている表情をしている。
「あ、大丈夫だった?」
ギャルは烏丸に声をかける。
烏丸は、またニヒルな笑みを浮かべる。
「君の言葉を聞くと、ダメになってしまうよ」
「えー」
烏丸の返事に、ギャルは不満そうな声を漏らす。
その声を無視して、ぐるりと多目的室①を見渡す。
烏丸には確認したいことがあった。
「ふむ」
「どうしましたか? 体調が大丈夫なら席に着いてください」
「いや、ちょっとねえ」
山辺は着席を促すが、烏丸は指示に従わない。
ドアは開けっ放し。
自分のやりたいことをやる。
それが烏丸 梓という女。
一人一人の表情を確認する。
ギャンブラー。
イケメン。
陰キャ。
ギャル。
メガネ女子。
金髪美少女。
ノンフィクション作家は、確信する。
このなかに、小湊 みさきがいる。
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