第2話 伝説の卒業ライブ


 烏丸 梓は、正面の顔でも、横顔でもなく、人の裏の顔が好きだった。

 虚構より、真実が好きだった。

 つまり、フィクションよりも、ノンフィクション。

 だから、フィクションの存在であるVtuberにはあまり興味がなかった。


 彼女は小説家だ。

 今年で25歳になる。

 ライターとして取材記事を執筆しながら、ノンフィクション小説を書いている。

 177センチと背が高く、高校時代はバレー部に所属し、全国大会に出場した。

 運動神経が抜群の、文明文化文学少女である。



「今日はわたしの推しのVtuberの卒業ライブがあるの」


 

 小牧 困手はパンケーキを食べながら言う。

 イチゴのジャムが丸いパンケーキの上に、山盛りになっている。

 一口サイズに切り分けて、フォークで刺して口まで運ぶ。

 悲しそうな顔をしながら、パクパク食べている。


 困手は、ラノベ作家だ。

 年齢は烏丸と同い年の25歳。

 二人の出会いは、出版社の総会でのこと。

 ノンフィクション作家と、ライトノベル作家は小説家のなかでも対極の位置にあるが、二人の相性は良い。

 



「このパンケーキを3つ食べたら、推しのグッズが貰えるの」


 

 パンケーキ屋さんは、アンメリカとコラボしていた。

 アンメリカは、国内最大手のVtuber事務所である。

 Vtuberは様々な企業とコラボしている。

 外に出たら、色んなところにVtuberの姿がある。

 涼宮 ハルヒの登場以降、アニメやゲームなど、日本に美少女が溢れて久しいが、現代の美少女の中心はVtuberだった。



 烏丸の目の前にも、いちご山盛りパンケーキが置いてあった。

 このいちご山盛りパンケーキを3つ食べることで、レシートを小牧の推しのアクリルスタンドキーホルダーを交換することができる。

 

 パンケーキを3つ食べないといけないなら、3人目を誘うべきだろう。

 しかし、小牧には友達が、烏丸しかいない。

 

 パンケーキを見ていると、疑問が浮かぶ。

 


「卒業するんだろ? どうしてグッズが欲しいんだい?」



 純粋な疑問である。

 烏丸はオタクではない。

 そもそも、推し活というのがあまりピンとこない人間だ。

 卒業するVtuberの推し活なんて、なおさら理解できない。



「もう新しいグッズは出ないからね。これで最後だ」

「記念品みたいなものかな?」

「うーん。ちょっと違う」



 違うなら、分からない。

 烏丸はパンケーキを切り分けて、一口食べる。

 パンケーキの美味しさは分かる。



「推しは推せるときに推せだよ」

「なんだいそれは?」

「知らないの?」

「有名な言説なのかな?」

「そうだよ。いつ推しは突然いなくなるから。オタクが後悔しないように、そういう言葉がインターネットで流行ったの」

「……推しねえ」



 推し活を題材にしたノンフィクション小説が最近は多い。

 

 そもそも『推し』とは、日本のファンダム(ファン・キングダム)文化において、自分が応援している特定のキャラクターや、アイドル、俳優、アーティストなどを指す言葉である。一般的には、ファンが自分の一番好きな人物やキャラクターを「推し」と呼ぶ。


 それから転じて、クラスの隣の席の男の子や、通学の電車で一緒になる高校生など、身近なお気に入りの人物にも使用されることもある。『推し』は個人の自由であり、その人の価値観によって普遍的に形容される多様性に対応した言葉だ。


 現代の経済は、心のシェアを奪い合う戦いだ。

 その戦場に置いて『推し』というのは、強い力を持つ。

 推しのためなら、パンケーキが3つ売れる。

 3つで4500円だ。



「Vtuberというのは、そこまで魅力的なのかな?」

「うん。明確にね。そうだ。卒業ライブを一緒に見よう」

「卒業ライブだけ見ても、なかなか分からないだろう」

「いや、分かるよ」



 小牧は力強く答える。

 好きと、推しは少し違う。

 好きであることに自信がある。

 力強さは、自信からくるもの。

 自信があるから、力強く推すことができる。



「わたしの推しは、最強だからね」



◇◇◇




 小湊 みさきはアンメリカに所属するアイドルVtuberだ。

 活動は6年目。

 ゲームと歌を中心に、ライブ配信を行っている。

 チャンネル登録者は256万人を越えた。

 トップクラスに知名度のあるVtuberである。


 小湊 みさきが卒業を発表したのは、8月1日。

 それから一か月間、毎日配信を行った。

 同接は平均で10万人を突破していた。

 

 卒業ライブは8月31日に行われた。

 小湊 みさきの卒業は業界に大きな衝撃を与えていた。

 圧倒的な注目度のなか、卒業ライブは開始された。


 誰もいないステージが映し出され、音楽がかかる。


 歌い出しと同時に、小湊 みさきが登場した。紫色の髪をしたスーパーエージェントが、アイドルの衣装に身を包む。一曲目は小湊 みさきのオリジナルソングで、ステージ正面のモニターにはアニメのMVが流れていた。


 小湊 みさきは、涙声になりながらも歌って踊る。


 一人の小さな女性の、小さな涙だった。


 256万人の期待が乗っかっているとは思えない背中。


 踊っている最中に、小湊 みさきは屈んだ。

 涙が溢れて、なかなか立てないでいた。

 ステージにはポップな曲が流れ続ける。


 踊れなくても、なんとか声を出して歌う。


 頭を垂れ、下を向き、必死で、そして、全てが見える。


 つむじ。

 うなじ。

 お尻。

 背中。

 胸。

 瞳。

 

 そして、横顔。


 



◇◇◇




 少女は一人でステージに立つ。歌って踊る。

 何曲、何分経ったのだろうか。

 みんなが目撃した、その伝説のステージは、星の煌めきを象徴するように、一瞬。

 その一瞬で、流れ星のように虹色のスーパーチャットが飛んでいる。

 彼女の門出の祝いには、虹色の円が相応しい。



「ま、わたしにしては、よくできた」



 一瞬を逃さないように、瞬きを忘れる。

 脳みそがチカチカする。

 すべてやり切った、小湊 みさきの涙声。

 この世の喜びと、悲しみを、細い、白い、指先に集めたような特別な宝石を、一口で食べてしまうような素朴な言葉。

 

 その言葉は、烏丸の小説の理想だ。



「じゃあね」



 ライブ配信は終了した。

 隣では、小牧が号泣していた。

 烏丸の腕に鼻水を擦り付けている。



「じゃあね、だってさ……」

「またね、ではなくてねえ」



 最後の一言まで完璧。


 烏丸はノンフィクション作家としてこの伝説のライブの記録を文字にする。

 同時接続者数100万人、スーパーチャットの合計金額は5億2000万円。

 涙を流した人は数えきれない。

 心にぽっかり穴が空いた人は、少なくとも一人。


 どうして、小湊 みさきは卒業をするのだろうか。



「意味が分からないなあ」


 

 ここまで完璧で、歌って踊って、泣いて、どうして卒業しないといけない。

 何も分からない。

 心の穴を埋めるために、烏丸は言葉を探した。

 きっとノンフィクション作家だから、探せば自分の内側に、簡単に言葉は見つかった。



「推しというのは、やっぱりよく分からない」

「……そっか」

「てことは、わたしは推される側の人間だ」

「え?」



 小牧は、顔を上げた。

 烏丸は、確信していた。



「バーチャルユーチューバーになる」



 どうして、小湊 みさきは卒業したのか。

 烏丸は、Vtuberの裏の顔が知りたい。




 

 



 


 

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