12(S××…。)

 その日、彼女は僕を押し倒した。

「してよ」彼女の声は聞き慣れた声だ。柔らかい声。然し状況はもっと蠱惑的な情景を映していた。

 それは雨音の微かに響く夜。僕の部屋。天気予報には満月と言われていたのに雨雲で隠れている、それでも微かに月光が夜空を照らしていた。そんな明かりが開いた窓の風でカーテンがなびいた時、彼女の姿が照らして肌が宵闇に浮かびあがった。

 制服を着た胸元のボタンのほどけているまま僕の視界をふさいで覆いかぶさっていた。

「……してよ」震えた、濡れた声。

 神楽さんの目には、かすかに僕の姿だけが映る。

 その誘いに乗れない、僕は神楽さんをそうは見ていなかった、僕は相手に相応しくないのだから。偶然であっただけの一般的な男子だから。

 僕は彼女を抱きしめてることができない。僕にはなにも、してあげることはできない。


 天気予報にはもうすぐ満月だと話題になっていたその日。茫然自失なまま朝を迎えた僕は、虚空を眺めるように登校した。身支度をした記憶はなく、けれど確かに襟元まで整えた制服を着ていた。

 そんな時、視界に飛び込んできたのは神楽さんだった。

 僕は思わず背筋が凍った。

「あ、おはよっ!」

 その時、神楽さんは僕の視線を敏感に悟って僕を発見した。

 僕はその時、言いようのない違和感に襲われた。

『なんで?』

 神楽さんは、たしか僕を忘れているはずだ。傷どころかキスマークもあげていないのだから。

 そして僕を覚えているのなら、同じく昨日の出来事も覚えていて然るものだと思うのに。

「おーい、無愛想だぞ」

 神楽さんは駆け寄り僕の肩に触れる。快活な仕草で大胆なボディータッチだった。その様子に僕は奇妙に思いながら神楽さんの顔を見る。

「ん? ちがった? 黄瓦芳くんだったよね」

 奇妙なセリフだった。けれど昨日も見た柔らかそうな髪は風にはためいた。

「たしかに僕だよ、どうして覚えてるの?」

 そう問いただして、神楽さんの笑顔はぎこちなくなる。

 その変化が、痛い。

「あーうん、へへ」

 各々の教室に行く前に、少し音楽準備室に寄り道をして少し話してくれるらしかった。

「私の部屋の壁には「1.素肌に書かれたメモを見ること」「2.机のメモを見ること」「3.分からなければお母さんに頼ること」と張り紙があるのよ」

 と切り出された。

「…………」

 正直、計り知れない。言葉が重い。

「それから、私は洗面所の鏡でデコルテを見たわけ」

 言いながら神楽さんは制服をはだけさせ、眼前に素肌を晒した。

「……」

 それはらなんというか、凄く達筆な鏡文字だった。肌にしかもそこそこ複雑な形状をしている位置に関わらず綺麗に。

「読めない」

 それを聞いた神楽さんは自分でそれを見る為にさらに制服をひっぺがす。

「ちょっ!」

 僕は目を隠して当惑する。

「あ、えと……ごめ」

 そう謝った神楽さんは制服を正した。目隠しを取った直後、僕はまたそれが書かれていた鎖骨のあたりを見た。その時はまだ制服が乱れたままだったが、それ以上に目立つものが、大きな文字が見えた気がした。

 それはすぐに隠されることになった。

「こう書いてありました」

「はい」

 僕の気分は座ってもいないのに正座をしているようだった。

 そして意気揚々と述べられる。

「凄く整ったTheきつね顔の男子が黄瓦芳くん、見たらわかる。大事な人です!」

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