第32話 魔法の森

 「そろそろ魔法の森が見えてきたな」


 あれから数時間、馬車に揺られ続けて、ようやく魔法の森に辿り着く。


 森を見るに、噂以上に不気味で、どこか異様な空気を漂わせているようだ。


 暗く陰鬱な空の下に広がる木々は、まるで生き物のようにねじれ、こちらを見下ろしている。


 そして木の根は地面に張り巡らされ、その隙間から青白い霧が立ち上っている。


「な、なんて霧だよ」


 ゴウの言う通り、その霧はまるで森全体が吐き出す溜息であり、見ているだけで不安を煽られる。


 ここに入れば何が起きるのか、容易には想像できない。


 どれだけ強い冒険者でも、この森から無傷で戻れる者は少ないと聞く。


 俺たちがこの依頼を受けることができたのも、他の冒険者が怖気づいて誰も近寄らなかったからに他ならない。


 そうして馬車が止まり、俺たちは一瞬だけ沈黙し、緊張が空気を支配しながら、互いの顔を見合わせる。


 ユキ達の表情からはいつもの陽気さが消え、皆、心の中で気を引き締めているのがわかる。


「それじゃあここから徒歩で行くよ、皆降りて!」


 ユキの声が、緊張で張り詰めた空気を少しだけ和らげる。


 俺たちは静かに馬車を降り、周囲の霧に飲み込まれるようにして地面に立つ。


 地面に足を置いた瞬間、冷たさが靴越しにも伝わってきて、まるで氷の上に立っているかのような感覚に襲われた。


 周囲は白い霧に覆われており、数歩先も見えない。


 手を伸ばせば霧を掴めるのではないかと思うほど濃く、どことなく不気味な冷たさが肌に纏わりついてくる。


「皆、絶対に離れないように動いていくよ。こんな所で別れたら生きて帰れないからね」


「確かにな。こんな所でバラバラになったら、再会できる保証はねぇ」


「これやばいよ~」


 普段なら軽口を叩くような場面だが、今は違う。


 皆、真剣な表情で頷き、ユキの言葉に従う。


 何が飛び出してくるかわからない、どこか悪夢じみた森――それが魔法の森だ。


 そうして俺たちは周囲を見渡しながら歩き始める。


 森の中に一歩足を踏み入れると、周囲の空気が一層重くなるのがわかる。


 まるで、森そのものが俺たちの存在に気づき、じっと見つめているかのようだ。


 木々の間から細い光が差し込んでいるが、その光さえも霧に飲まれてぼんやりとしか見えない。


 まるで異界に迷い込んだかのような感覚。


 そう思っていると森の奥深くから、微かに低いうめき声のような音が聞こえる。


 それが風で枝が揺れている音なのか、何か得体の知れないものの息遣いなのかさえ、判別がつかない。


 その時、霧の向こうから微かな魔力の波動が伝わってきた。


「オークか」


 遠くに潜んでいるようだが、数が多いと厄介だ。


 ここで無駄な戦闘を避けるため、俺はユキに進む方向を変えるように指示を出す。


「ユキ、この先からオークの魔力をかなり感じる。左から行くのが無難かもしれないな」


「分かった、それじゃあ移動していきましょう」


 俺たちは静かに合図を交わし、左側へと進路を取る。


 森の奥で待つのは、今回の依頼の対象であるヤギンという魔物。


 その角が高価な材料となるため、俺たちはその討伐依頼を受けたのだ。


 しかし、ヤギンはA級の魔物であり、その角を手に入れるには命を懸けた戦いが避けられない。


 ヤギンの姿は、人型のヤギのような形で、身の丈は数メートルに達する。


 棍棒を武器にし、鋭い角を持ったその姿は、ただの獣とは一線を画す知性と凶暴さを備えている。


「ちょっとずつ霧が強くなってきたわね……皆、離れないように」


 ユキの指示に、皆、声を出さずに頷き、互いに密集して歩みを進める。


 霧は一層濃くなり、視界はさらに悪化していた。


 何も見えない白い霧の中、次第に足音さえもぼんやりとしてきて、周囲が不気味な静けさに包まれる。


 この状態で道を間違えれば、二度と戻れないかもしれないという恐怖が、じわじわと胸に広がっていく。


 その時、不意に低い叫び声が霧の向こうから響いた。


「ガアァァァァァァ!!!!」


―――



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