第5話 合宿③
ちなと稲垣は、酒の入ったビニール袋を両手に提げていた。
ちなが驚いたように声を掛ける。
「たまき。え、一人? どうしたの?」
「うん、ちょっと電話してた。ちなは買い出し?」
「うん。今行って来たとこ」
ちなが答えると、稲垣がビニール袋を開けて見せる。
中にはさまざまな種類の酒類が入っている。
「田崎、好きなの選びな」
「え、いいんですか? じゃあ……えー、どうしよ」
袋の中を覗き込み、たまきは真剣な表情で迷い始める。一本一本の缶を手に取ったり戻したりしながら、悩みが深くなっていく様子が面白い。ちなはその姿に思わず笑みがこぼれる。
「また出た」
「また?」
ちなが笑いながら言うと、稲垣が不思議そうに尋ねた。
「たまきっていっつもこうなんですよ」
「いつもじゃないよ」
「いつもだよ」
たまきは唇を尖らせながら考え込む。
「んーとね、んーと……」
そんなたまきの様子を見ながら、稲垣がちなに聞く。
「決められない性格ってやつ?」
「優柔なんです」
ちなは軽く頷いて同意しながら、たまきを微笑ましく見守っていた。ようやく、たまきは一本の缶を手に取った。しかし、その直後にまた迷いが表れる。
「んーと……これ! あ、やっぱこっちもいいかな」
稲垣は肩をすくめて笑った。
「いいよ、両方取りな」
「いいんですか?」
「いいよ、いいよ」
たまきは笑顔で2本の缶を手に取り、ちなの方へと目を向けた。
「へへっ」
「よかったね、たまき」
ちなが広場の方を指差しながら聞く。
「戻る?」
「あー……うん、もう一本電話したら戻る」
「そう?」
ちなと稲垣は、ビニール袋を提げて去っていった。
たまきは、そんな二人の後ろ姿を見送りながらニコッと微笑み、ぶどうチューハイの缶を開け、しばしその場で飲むのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日、テニスコートにはメンバーたちが集まっていた。山口が、今回の合宿のダブルスの結果を発表した。
「優勝は安東・稲垣ペア!」
周りからは大きな拍手が送られ、のぞと稲垣の二人はみんなの前に出て、優勝メダルを受け取る。
「いえーい!」
のぞは満面の笑みで、メダルを齧りながら写真撮影に応じている。
「いーなあ」
のぞの姿を遠目に見ながら、ゆりゆりがため息混じりにつぶやいた。
かおるんは黙ったまま、じっと二人の姿を見つめていた。
帰りのバスの車内は、みんな疲れた様子で眠ってしまっていた。
その中で、たまきだけは眠れずに窓の外を見つめていた。
新宿駅のバス降車場。合宿を終えたメンバーたちは、そこで解散になった。
「「お疲れ様でした!」」
何人かが軽く手を振りながら散っていく中、ゆりゆりが明るく声を上げる。
「お茶してく人ー?」
「「「はーい!」」」
のぞ、ちな、かおるんが手を挙げた。
「たまきは?」
のぞがたまきに声を掛けたが、たまきは申し訳なさそうに首を振った。
「ごめん、用事あって。ごめんね、お疲れ!」
たまきはそう言って、足早にその場を去っていった。
その後ろ姿を、のぞは少し心配そうに見つめていた。
ファミレスの店内で、ゆりゆり、のぞ、ちな、かおるんの4人はドリンクバーのドリンクをそれぞれ選んで注いでいた。たまきのことを気にしてちなが口を開く。
「たまきどうしたんだろうね」
「バイト?」
「合宿終わってすぐに? 働くねえ」
ゆりゆりとのぞが返答する。
すると、かおるんがためらいながらもみんなに言う。
「あー、彼氏と会うっぽいよ」
「彼氏かよー」
「いーなあ。彼氏持ちは」
のぞとゆりゆりが羨ましがるも、かおるんが微妙な顔をする。
「あー、これ言っていいのかな」
かおるんの匂わせ発言に、みんな「何?」と食いつく。
一同はドリンクを持ってテーブル席につき、かおるんの方にぐいっと顔を寄せた。
「たまきの彼氏さ、浮気してるらしいんだよね」
一同は「浮気!?」と声を上げると、「しっ!」とかおるんが制し、言う。
「まだわかんないらしいんだけど、確かめるために、今日会うって」
「うっわ。修羅場じゃん」
「たまきじゃ修羅場になんなそうだけど」
「言えてる」
ゆりゆり、ちな、のぞは好き勝手に発言する。
「私だったらソッコー別れるな」
「あたしも」
「私も。絶対無理」
ゆりゆりの言葉に、のぞとかおるんが同意する。
みんなの視線がちなに注がれた。
「私は……どうだろ」
「え、別れない派? 浮気されても付き合っていける?」
「うーん……」
ちなはのぞに問われるも、考え込んでしまう。
実は、ちなは稲垣のことが気になっていた。「彼氏が浮気したらどうするか?」の問いにイメージしてしまうのは、稲垣の姿なのだ。硬派で真面目な稲垣が、浮気をする姿が想像できない、という方が正しかった。
昨日、ちなは稲垣からお酒の買い出しに誘われ、二人で色々と話す中で、ちなは稲垣に心惹かれていた。
しかし、まだそれをみんなに打ち明ける勇気はないのだ。
「ちなってば、たまき化してる」
ゆりゆりがそう言うと、かおるんものぞも「たまき化!」「言えてる!」と、きゃいきゃいと盛り上がるのであった。
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