第2話 失くしもの

 大学の教室内は、静けさと緊張感に包まれていた。テストが進行中で、全員が真剣に紙と向き合っている。たまきもその一人だったが、途中で書き間違えてしまい、思わず眉をしかめた。ペンケースに手を伸ばし、消しゴムを探す。しかし、何度探っても消しゴムが見つからない。


(……おかしいな)


 昨日まではたしかにあったはずなのに。でも、ないものはない。焦りながらも、諦めずにテストを続けるしかなかった。



 テストが終わると、テニスサークルに所属しているたまきはテニスコートへ向かった。青空の下、サークルメンバーたちはそれぞれウォーミングアップをしている。

 のぞ、ちな、かおるん、ゆりゆりもおり、みんなでいつものように輪になって、ストレッチをしながら話し始める。


「テストどーだった?」

「あれ時間足りなくない?」

「全然足りない!」


 かおるんが口火を切ると、ゆりゆりがすぐに応じ、のぞが激しく同意する。

 今日のテストは英文学で、記述が多く、時間との戦いだったのだ。

 たまきも溜め息混じりに同意する。


「ねー。私さ、しかも消しゴム忘れて焦ったよ」

「え! 間違えたとこ、どうしたの?」


 ちなが驚きながら聞いてくる。


「二重線で消した。ザイオンじゃやばいかな」

「ザイオンはやばいんじゃない?」


 ちなが心配そうに言った。

 ザイオンは英文科の教授で、40代、彫りが深く、とにかく顔がこわい。ブリティッシュ英語を話し、英国紳士然としているが、当てて答えらなければ「Next」「Next」と次々当てていき、満足のいく答えが出るまで当て続ける。たまきはそもそもザイオンの満足のいく解答ができた試しがない。最終的には英文科のエース、神崎さんが当てられ、帰国子女らしい滑らかな英語で回答を述べると、ザイオンは「Good」と告げるのだ。その「Good」も実にそっけなく、外国人ならもっと大袈裟に感情を出してくれてもいいのにな、とたまきはいつも思っているのだった。


「やっぱり? ただでさえ点数厳しいのに、どーしよ」


 たまきは顔が青くなる。


「たまき、前にもシャーペン失くしたって言ってなかったっけ?」

「そうそう! まだ見つかんないの?」


 かおるんが思い出したように言い、ゆりゆりも加わる。

 たまきは肩をすくめながら答える。


「うん、どこにもないんだよね」

「どっかで落としたんでしょ?」


 と、のぞが推測を述べる。


「かなぁ。気に入ってたのになぁ」


 たまきは、遠くを見つめながらシャーペンを思い出すようにつぶやいた。


 ストレッチが終わると、先輩とペアになってボールの打ち合いが始まった。

 たまきは先輩の山口とペアだ。何度か緩いラリーが続き、たまきはテストがうまくいかなかった思いをボールにぶつけるように力を込めてラケットを振った。……が、空振り。たまきはまだまだテニス初心者なのだ。


「ドンマイ! ドンマイ!」


 メガネで優等生風の山口は明るくたまきに言った。山口は後輩に優しく声を掛けてくれるのだが、相変わらず空振りしてしまうたまきは、自分のことをちょっと恥ずかしく思っていた。


      ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     


 テストの全日程を終えたたまきは、ファミレスのバイトに復帰していた。

 更衣室で制服に着替えていると、店長の美和子が入ってきた。


「ごめん、田崎。今日、シフトちょっとだけ延ばせる?」


 美和子が少し申し訳なさそうに尋ねてきた。


「はい、いいですよ」

「ほんと? 急でごめんね」

「テスト終わったんで、ガシガシ働きます」

「ありがと。助かる」


 美和子はたまきが引き受けてくれたことに安堵し、また店内へと戻っていった。

 たまきは制服を整え、ロッカーを閉めようとしたところで、メールが来ていることに気づいた。メールは、Kazukiからだった。


【来て】


 たったの二文字。

 たまきは困惑した表情を浮かべ、返信を打つ。


【今日バイトだから】


 すぐに返事が来る。


【終わってからでいいよ】


 たまきはため息混じりに打ち返す。


【終わるの遅いよ】


 しかし、Kazukiは引き下がらなかった。


【それでもいいよ】


 たまきはスマホを見つめ、思案する。


【わかった】


 結局、そう返してしまうたまき。大きくため息をつく。

 ロッカーを閉める音が、更衣室に小さく響いた。

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