Kazuki

千葉翠

第1話 悩み多きベーグル



 たまきは、ベーグルが整然と並べられたガラスケースの前に立ち止まり、その表面に鼻先が当たりそうなほど近づいて、中をじーっと見つめていた。さまざまな色合いの、ぷっくりと焼かれたベーグルたち。チョコレート、ブルーベリー、キャラメル、チーズ――その名前を頭の中で反芻しながらも、たまきは一向に決断できない。どれも美味しそうで、どれを選べばいいのか、いつものように悩んでしまう。 


 そんな彼女の横で、友人たちはためらうことなく注文を済ませていく。


「オレンジのください」

「私はいちじく」


 ちなとのぞが注文を終え、いよいよたまきだけが残った。


(オレンジ? いちじく?)


 たまきは店員の手によってオレンジといちじくのベーグルが持ち去られていく様子を目で追いながら、まるで自分の選択肢が一つずつ消えていくように感じた。焦りが募る中、ふと目に留まったのはチョコレートベーグルだった。これなら間違いない、とたまきは思い、ようやく選択肢が固まる。


 チョコレートベーグルを目指して、たまきはレジに並ぶ。しかし、運命の悪戯のように、前に並んでいた客が最後のチョコレートベーグルを注文してしまった。


「あっ……」


 思わず声を漏らしたが、もう遅い。たまきは肩を落としながら、自分の優柔不断さを心の中で責めた。


「どれにします?」


 店員の視線が彼女に向けられる。たまきは焦った。選択肢がなくなった今、何を頼めばいいのか……。


「あの、えっと……おすすめ、どれですか?」


 自然と口から出たのは、困った時のいつものセリフだった。


 店内の窓際のテーブル席では、のぞ、ちな、かおるん、ゆりゆりがすでに席についている。太陽の光が柔らかく差し込み、テーブルの上にはそれぞれのベーグルが置かれていた。たまきはようやくベーグルの載ったトレーを持って、みんなの元へ合流する。


「お待たせー」

「遅いー」


 のぞが軽く口を尖らせて言った。たまきは肩をすくめ、謝りながらトレーをテーブルに置く。


「ごめんごめん」

「で、何にしたの?」


 ちなが聞いてくる。


「カボチャ」


 席に座りながら答えるたまき。


「へぇ、珍しいね」

「そう?」

「たまきって、悩むわりに安パイ選ぶじゃん?」


 たまきは何気なく答えてやり過ごそうとしたのだが、ゆりゆりからごもっともなツッコミが入った。


「ほんとはチョコにしようと思ったんだけど、なくなっちゃって……」

「たまきって、そういうとこあるよね~」


 たまきが正直に告げると、かおるんがいたずらっぽく笑って言った。たまきは店員セレクトのカボチャベーグルをぱくりと食べると、予想外に美味しくて顔が綻ぶ。そしてふと、ゆりゆりがアイスコーヒーだけを飲んでいるのに気づいた。


「あれ? ゆりゆりはベーグルなし?」

「うん」


 ゆりゆりは冷静に答える。


「いさぎよ」

「意志つよ」


 と、のぞとちな。


「ここ、ベーグル屋だよ?」


 と、かおるんが突っ込む。


「秋までに絶対痩せるの」


 ゆりゆりは秋のミスコンに出場したいのだ。美人ですでに細身のゆりゆりに、みんなは今のままでも十分勝てると言うのだが、ゆりゆりの決意は固そうだった。


「ダメ。あと5キロは痩せないと」


 たまきは信じられないというように目を大きく見開いた。しかし、強い意思を持つゆりゆりのことが羨ましくもあった。


 ベーグルを食べ終えたたまきたちは、ショッピングモールの下着売り場に移動していた。色とりどりのブラジャーやショーツが並ぶ中、それぞれ気に入ったデザインを手に取っていく。


 ゆりゆりがピンクのブラを手に取り、たまきに見せる。シンプルながらも上品なレースが施されている。


「これどう?」

「可愛い~! あたしはこれかな」


 たまきは、明るい黄色のブラを胸の前に当てて、ゆりゆりに見せる。


「うん、たまきに似合う」


 ゆりゆりはたまきが手にしているブラサイズが「D」であるのを見つける。


「たまきって、意外とあるんだ」

「ないよ、ないない!」


 たまきは顔を赤らめ、慌ててそのブラを戻した。


「いいなぁー。わたし胸から痩せるんだよねー」


 と、ゆりゆりは近くの棚からぶ厚いパッドを手に取ると、カゴに入れた。


「詐欺じゃん」


 たまきが言うと、ゆりゆりは人差し指を口元に当てて「しっ」と言い、レジに向かっていった。

 たまきは黄色のブラを買おうかどうしようかと悩み始める。そしてふと、視線を感じて店の入り口に目を向けた。そこには、黒いキャップを目深に被った男の姿が。男はたまきに気づかれると、そそくさとその場から去っていくのだった。


 その後、女子トイレの鏡の前で前髪を直していたたまき。整え終わり、よしっ、とトイレを出ようとしたところで、スマホが振動する。ポケットからスマホを取り出すと、一件のメール通知。開いて見る。


【Dあるくせに】


 背筋がゾクリとした。差出人は、「Kazuki」からだった。

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