第2話 山下
私がカウンセラーの通信講座を受講してみて感じたことはこんなものではとても役に立たないということだった。もちろん学者の積み重ねた人間の心理についての傾向はためになる。だが実践という部分で果たして意味を成すのだろうか。
自室で講座の動画を見る。手元のグラスには美酢のザクロを炭酸水で割ったものに氷まで入っているし、時には一袋600円くらいの干し芋をつまんだりもする。誰かを救うとはそういうことなのだろうか。
「別に良いよ。救われる側としてはどうでもいいよ。いや、まあ僕にとってはどうでもいいかな」
公民館の一室で山下と会話している。私はただPCの前に快適に座るだけではダメだと思い、地域の精神的な不調を抱える人と交流する会に参加した。
「干し芋と美酢って合うの?ああ、別か。干し芋の時はお茶?」
私は正直怯えていた。やはり精神的な問題を抱えた人と接するには覚悟がいった。だけど山下は拍子抜けするほど普通の人だった。募集要項の但し書きなんて就活の経験上嘘しかないと思っていたのだけど、軽度の不調を抱えた人との対話会という文言は間違いなかった。だが会というのは結果的に嘘で参加者は私とこの山下だけだった。
「温かいお茶っていいよね。お腹が温まるし睡眠にも良い影響があるんよ。でもカフェインには気を付けないといけないからルイボスティーがいいよ。あれはノンカフェイン」
山下はあらゆる話題を睡眠につなげることができる。彼はおおよそひと月のサイクルで昼行性と夜行性になる。月の初めの頃はだいたい朝に起きるがサイクルがゆっくりとずれて中ごろにはすっかり夜行性になる。次の月のはじめまでにはまた徐々に昼行性に戻っていく。
「ぬくもりは睡眠にいいんよ。体内から温める暖かい飲み物は効果高いよ。もちろん外部からも、シャワーだけでもいいけど、浴槽に浸かるといい。なぜぬくもりがいいかって言うと深部体温が関係してて人間は深部体温が下がる時に副交感神経が働いて眠くなるんよ。分かり易い例やと雪山で寝てしまうのもそのせいみたい。そんな極端じゃなくても快適な家では深部体温を高めてからゆっくりと体温を下げていけばいい」
山下は奇怪な睡眠サイクルのせいでまともな仕事に就けない人だ。彼自身は出来るだけ一般的なサイクルを目指しているが一向にうまくはいかずに40歳を超えたらしい。そんな男が幸福そうな笑みを浮かべて話す良い睡眠の話。どう聞けばいいのかわからなくて私はこれが実践なのかと痛感した。
山下にとって奇怪なサイクルから逸脱して少しでも一般に近いサイクルの真似をできた時に救いを感じる。明確に救われないから人はずっと信仰することができるのだろう。
今日はよく眠れるといいですね。
いつもの挨拶を伝えると山下は「いつもありがとう」と返す。私が山下の睡眠サイクルに合わせて昼や夜や不定期にこの会を開催していることに感謝をしているのだと思う。
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