第9話

翡翠が身を乗り出して思わず応えると、「ぶっ」と吹きだす声が二重に響く。 




「違う違う!」




 そして誠が笑いながら翡翠に告げる。




「ここをどこだと思っているんだい――金糸雀歌劇団を擁する金糸雀百貨店だ。君自身がここで働いてお金を返してくれるのなら、君を立花子爵の元へ戻してあげてもいい」


「! ほんとうですか?」




 思いがけない申し出に翡翠がパッと顔を明るくすると、誠がふっと意地悪そうに笑いかける。




「ただし、条件がある」


「どんなことでもやってみせます!」


「まだ何も言ってないぞ?」


「それでも!」




 このまま横濱から戻れなくなるのはイヤだ。帝都に戻って父や皓介に逢いたい、そのために翡翠は自分のちからでここから出ていかなくてはいけない。働いてお金を稼いで返すことでその願いが叶うのなら、どんなに過酷な条件でも成し遂げてみせると、翡翠は挑むように瞳を輝かせ、誠へ訴える。




「……面白い娘だ。なら、勝負しよう」


「はい?」




 きょとんとする翡翠に、誠は宣告する。




「今日付けで君を金糸雀百貨店へ雇い入れる。広報部門、歌劇団劇団員とする」


「……それって」




 ごくりと唾を飲み込み、翡翠は誠の言葉を待つ。




「条件は――小鳥遊愛間音を抜く歌姫になること」


「え?」


「歌姫に勝て。それだけだ」




 以上、と打ち切られ、翡翠は呆然とする。


 その隣で、アマネもまた、目を瞬かせている。




「それから。お前にも言っておく。このまま歌姫でありつづけることが難しいなら、今度こそ結婚させるからな」


「ぶっ」




 ――それってつまり、わたしが歌劇団の歌姫としてアマネさんを抜いたら、アマネさんが意に沿わない結婚をさせられてしまうということ?




「……アマネさん?」




 翡翠がおそるおそる声をかけると、アマネは射殺しそうなほど鋭い視線を誠に向けている。




「どうだ? 悪い話ではなかろう?」




 いけしゃあしゃあと応える誠に、アマネは低い声で言い返す。




「――この陰険狸ジジイっ!」


「まぁそう怒るな。のう、静鶴」


「とても素晴らしい提案だと思いますわ。まるで乙女が身を焦がす浪漫すロマンス小説のようね!」




 うっとりと呟く静鶴に、こめかみをひくひくさせているアマネ。そして自体を受け入れられずにおろおろしている翡翠。


 どこまでも楽しそうに笑う誠の声だけが、室内に響いている……

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