第8話

そこは簡素でありながら上品な部屋だった。扉には何も書かれていなかったが、どうやら商談をする際に使われる応接室のようだ。


 猫脚の椅子と箱型のスツールがガラスのテーブルを挟んで向き合うように並んでいる。透明なテーブルの上には深紅の薔薇が生けられた陶器の花瓶が置かれ、ほのかに香っている。無機質な壁にかけられているのは左御紋ひだりごもんの旗。たぶん、家紋なのだろう。




「よく来たね」




 扉の向こうで待っていたのは大柄で浅黒い肌を持ちながらも上品に黒のスーツを着こなしている白髪の紳士と、浅葱色の和服を着た小柄な若い女性だった。




「どうか緊張なさらないで。こちらにお座りなさい」




 柔らかな笑みを浮かべ、椅子に腰かけていた女性が翡翠を隣にあるふかふかのスツールに誘う。翡翠はアマネをうかがい、彼女が頷くのを見て、そっと腰を下ろす。


 それを見て、向かい側でどっしりと腰を据えていた白髪の紳士が低くて野太い声をあげる。




「わしは金城誠まこと。この百貨店の経営責任者で、金糸雀歌劇団の団長でもある……それよりも、君にとっては義父になると説明した方がよいかな」


親父おやじさま、言いすぎですわ」




 きっぱりと言い切る誠にアマネが反論すると、誠はにやりと笑い、言い返す。




「ほぉ、さっそく情が移ったか」


「このこは婚約者と楽しく観劇した直後に身売り同然で別の男に嫁ぐことになったんです。情が移るのは当然のことでしょう?」




 同じ女性として納得できないとでも言いたそうに、アマネは誠の言葉に噛みつく。




「だが、こっちは大金はたいたんだ。立花子爵は娘を我が息子に嫁がせると契約書も渡している。お前よりもお嬢さんの方がわかっているのではないかな?」




 誠に獲物を捕獲するような鋭い視線を向けられ、翡翠は渋々応える。




「……父の借金を肩代わりしていただき、ありがとうございます」




 誠の援助がなければ、立花子爵家は一家離散ですべてを失っていただろう。




「わたしが嫁入り先を変更するだけですべてが丸く収まるんです。文句は言いません」




 それを見て勝ち誇った表情を浮かべ、誠は子どものようにアマネへ言い募る。




「ほれ見ろ。お前も夢を追いつづけるより、そろそろ現実を見た方がいい」


「その夢をお金に還元して儲けてらっしゃる方に言われたくはありませんわ」


「何を言う。お前が花形じゃなければ歌劇団など費用のかかる余興……そうか、その手があった!」




 アマネとぽんぽん言い合っていた誠はぱちんと手を打ち、あらためて翡翠の姿を見つめる。




静鶴しづる


「はい」




 部屋にいながら空気のようにじっとしていた女性が、朗らかに応え、翡翠を立たせる。




「……あの?」


「立花子爵が愛しの宝石と讃えていただけはあるな。陶器のような白肌につやのある栗色の髪……西洋人形のように可憐ではないか」




 誠に値踏みされるように見られ、翡翠は赤面する。さきほどアマネに可愛いと言われた時よりも、なぜか恥ずかしい。




朝周ともちかにやるのが惜しいな」


「ぶっ」




 誠の言葉にアマネが吹きだし、キッと睨みつけ言い返す。




「親父さまは静鶴さんを後妻に迎えたばかりでしょう!」


「冗談だ。ただ、彼女にも選択肢を与えてもいいかと思っただけだ」


「妾になることが?」


「……うむ、それも一理あるか」




 アマネから視線を外し、誠は翡翠の青みがかった瞳を見つめる。さきほどまでの朗らかな空気が一瞬にして引き締まったことに驚き、翡翠は不安そうに誠を見返す。




「立花翡翠。すでに父上に金は払ってしまったからすぐに君を解放することは叶わぬ。だが、君が実際に容姿性格ともども難ありな息子と顔を合わせ、結婚することがどうしても難しい、無理だと思うのなら……別の道を用意してやろう」


「お妾さんになるんですか?」

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