危殆
「**くん、君はアセビに感染しているね」
2ヶ月前、病院の先生が俺に告げた事実。
罹れば100%死ぬ。そんな最悪の病、アセビ。
俺はそれに感染した。
俺はそんな事実を受け入れきれず現実逃避の日々を送っていた。
部屋に引きこもり、今まで読んだマンガを何度も何度も何度も読み直し、本棚にしまって別のマンガを本棚から引き出す。そんな繰り返し。
部屋には時間がなくて読めなかった漫画や小説の山ができていたが、それを読んだら本当に俺は終わってしまうんじゃないかって、
そう思うと、体が固まって手が出せなかった。
終活なんてできる人は本当にすごいんだなって、
俺にはそんなことできない。
でもそんな繰り返される日々が、普通じゃない非日常の連続が、段々と死というものを実感させて恐怖にのまれていく。
「死にたくねぇよ、、」
俺は泣いた。ただただ泣いた。繰り返される日常の中に溶け込むかのように毎日のように泣いた。
いつからか、声も涙も出なくなってしまった。
それでも泣き続けた。
死にたくなんかない。いつの間にか頭の中はそれひとつでいっぱいになっていた。
もうご飯もいつからかまともに食べれなくなってしまった。
それがアセビのせいか俺にはわからない。
漫画もいつのまにか読まなくなった。
親の顔ってどんな顔だったっけ、友達ってどんな奴がいたっけ、、
思い出そうとすれば悲しくなるから、もう思い出そうとすること自体俺には許されないんだ。
だんだん俺が、俺じゃなくなる感覚。
でも、もう全てがどうでも良くなっていた。
別に俺がどうなってもいい。どうせもう1年も生きられるはずがないから。
死にたくない。そう思っても抗えない死。
昔聞いたことがある。
アセビは最後、耐え難いほどの苦しいの中で最後を迎えると、
呼吸ひとつ取る事出来ず、食事もまともに取れず、
体は指一本も動かすことが出来ず、
延命措置なんて、ただ苦しみを長引かせるだけの拷問だって、
それは俺の心を蝕み、また、俺は恐怖に飲み込まれていた。
また、何日か経っただろう。
俺は、ベットの上で体を抱き込み、また現実逃避だ。でも、そんなことをしていても俺はもう死からは逃げられない。
ふと、頭の中に現れた1つの想い。
時間が流れ続ける中で近づく死。
それに抗うように俺に1つの想いが浮かんだ。
今までの思い出の景色をもう一度みたいと、
俺の記憶に深く刻まれたこの島の展望台から見たあの景色が。
もしかしたら、この想いは走馬灯というものかもしれない。
これが最後になってもいいと思えるように。
最後は絶望ばっかよりも、1つでも幸せって思えることがあった方がいいに決まっている。
死からは逃げられない。でも、死に方は選べるんだから。
「いこう、」
数ヶ月ぶりに発した言葉は酷く掠れて弱々しいものだった。
それに、髪も肌も荒れて、まともに運動もしなかったから身体が重い。
それでも、今の俺には十分すぎるものだった。
*
久しぶりに家族の顔を見た。
母親は、随分とやせ細り、目の下にはクマができていた。
父親は、生気を失った顔をしていた。
そして、どこか悔いているような表情を浮かべていた。
2人とも、記憶の中の姿と全く違った。
これも、俺がアセビに感染したからだろうか。
そう思うと、俺のせいでと、胸が苦しくなってしまう。
ただ、唯一妹は何も変わらず俺を迎えてくれた。
「部屋から出てきてどうしたん」
妹はスマホから目を離さず、質問をなげかける。
やっぱり、変わっていない。
「行きたいところがあってさ」
「行きたいところ?」
リビングの中、とても重苦しい空気が流れる。
父親は声を出すのも精一杯らしい。
今の一言ですら、掠れて聞こえる。
「昔、見た灯台に行きたくてさ」
「昔って、お前が小学生ぐらいに行ったところ?」
「そうだと思う。曖昧にしか覚えてないから正確には言えないけど、」
「そーなのね、いいじゃない。」
母親の優しい声。やはり、落ち着く。
「でも、そのかっこで外出るの?」
「確かに、ずっと部屋に篭ってたから少し汚れちゃってるね」
「じゃあ風呂入ってから行く。」
「それだけじゃ、ダメ。私のお兄ちゃんがそんな人ってバレたら学校でなんて言われることか」
「じゃあ、どうすればいいんだ?」
我儘を言う妹に、俺は少し腹を立てる。
ただ、妹は俺が言うのもあれだが、かなり顔立ちは良く、愛想もいいし、努力家だ。
その結果今は学校でもかなりの人気者らしい。
そんな妹のメンツを潰すのも良くない。
「風呂に入ったらガレージに来て」
「わかった」
だから、俺は素直に従うことにした。
*
ガレージのドアをノックする。
「いいよ入って」
「風呂入ってきたけど、この後何するんだよ」
「ここ座って」
妹が指を指したところに胡座で座る。
「まず、ヒゲ剃るね」
確かに、ここ暫くはヒゲを剃ることも無かったし結構伸びていた。
正直、自分の見た目を気にしていなかったからな。
ジョリジョリと音を立てて、俺のヒゲを剃っていく。
「じゃあ次、髪切るね」
「お前、髪なんて切れるの」
「美容師志望なめんな」
妹は昔から美容師に憧れていた。
自分の髪は自分できるし、母親も妹に切ってもらっている。
ただ、俺は今日初めて妹に髪を切ってもらう。
なんだか、恥ずかしいけれどやる気が入るな。
手馴れた様子で伸びた髪を切っていく。
数分もすれば整ったウルフヘアが完成していた。
「ありがとう」
「何言ってんの、まだ終わってないよ」
そう言って、手に持っているメイク道具を使い俺にメイクを施していく。
メイクが終わると今度はワックスで髪の毛をセットしていく。
「終わったよ。明日もまた来て、髪とかセットしてあげる」
「ありがとう。行ってくるよ」
そうして、俺は家を出た。
今思えば、ここまでしてくれたのは妹なりに俺の事を心配していたからだろうか。
なら、妹にちゃんと報告できるといいな。
あの景色もう一度見ることが出来たって。
***
死ぬならせめて、幸せの中で死にたいから。
***
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