第9話

「お邪魔します」

「……ああ」

 そして、僕は仕事を定時きっちりに終わらせると、急いで部屋に戻り、身なりを整えることにした。どういう服装で行けばいいのか悩んでいたら、あっという間に夜の八時になってしまい、慌ててヴィッセル指揮官の部屋を訪れた。

 服装は悩みに悩んだ結果、大きめの白いTシャツ黒のジーンズにした。インターホンを押すとしばらく経って扉が空いた。ヴィッセル指揮官はなぜか、僕を見て少し安堵したように見えた。そして、この前とは違い、すんなり僕を迎え入れてくれた。

 ヴィッセル指揮官はいつもの隊服を脱いで、黒のシャツとズボンを履いている。袖からは毛皮に覆われた太い腕が見えており、その僕にはない男らしさにどきりと胸が跳ねる。そんな格好良いヴィッセル指揮官は、僕が部屋へ入るなり、苦笑いを浮かべて頭を掻いた。

「家で人と会う時に何をすればいいのか分からなくてな。とりあえず今日は一緒にご飯を作ってから映画でも見るのはどうだ」

「えっ」

 ヴィッセル指揮官の言葉に僕は二つの意味で驚く。一つはヴィッセル指揮官とご飯を作るとは想像もしておらず、コンビニ弁当でも買いに行くと思っていたのだ。もう一つは、ヴィッセル指揮官は少し前まで相手に困らないほど人気があったと聞いているのに、こういうことは慣れていないのだろうかとびっくりした。驚く僕を見てヴィッセル指揮官が口を開く。

「嫌か?」

「いえ……嬉しいです」

 けれど、彼と話しをして一緒に時間を過ごせるだけでもとても嬉しく、そのことを素直に伝える。僕の言葉を聞いて、ヴィッセル指揮官は嬉しそうな顔で笑った。そして「来てくれ」と言って歩き出した。

 着いた先は部屋の隅にある、小さな一人暮らし用のキッチンだ。僕の部屋にも同じものがある。流しは狭いがコンロは二口あるのだ。そして、そこには人参やじゃがいもなどの見覚えのある野菜が置かれていた。また、以前はベッドとテレビ台しかなかった部屋に、ローテーブルと小さなソファが増えていた。

「俺の作るカレーは家族から評判が良くてな。一緒に作ろう」

「は、はい。頑張ります」

 ヴィッセル指揮官が料理も出来るとは知らなかった。家族からの評判がいいということは一度や二度ではなく作っているのだろう。それに対して、僕は料理と言えるほどの料理を作れる腕前はなく、切って炒めるだけの料理しかできない。

 冷凍うどんをチンして麺つゆをかけて食べるだけの時もある。彼の足手まといにならないようにしなければと思うものの、手際よく包丁で人参の皮を剥くヴィッセル指揮官の姿は格好良くて見惚れてしまう。意外だけれど、少しも彼の魅力を損ねていないのだ。

「料理、されるんですね」

「たまにはな。普段は外食ばかりだが。ヒビキはどうだ」

「僕は本当に簡単なものを作って食べることが多いです。それかお弁当を買ってきて食べています。ヴィッセル指揮官みたいに料理が上手く出来ないので」

 僕の言葉を聞いて、ヴィッセル指揮官は苦笑いをして僕を嗜める。

「ヒビキ。今は肩書きで呼ぶのはやめてくれ。部下にカレーの作り方を教える野外訓練を思い出す」

「あ……」

 ヴィッセル指揮官の言葉はもっともだけど、僕は心の準備ができておらず、戸惑ってしまう。

「俺の名前を知らないのか」

 そんな僕の様子を見て、少し悲しげにされてしまい、慌てて否定する。

「そんなわけないです……!ガ、ガムラさん」

 そうすると、僕の反応が予想通りだったのか、ガムラさんは悲しげな顔は直ぐに消し去り、満足げに笑う。ふさふさの尻尾がゆらゆらと揺れており、かっこいいのに可愛くもあり、ドキドキしてしまう。

「今はそれでいいが、二人でいる時は敬語もなくていいんだぞ」

「えっ……?は、はい」

 そう言ってガムラさんはじゃがいもの皮を剥いていく。僕もお手伝いをしようとしたけど、じゃがいもの皮剥きというのは予想以上に難しいことが分かった。ガムラさんは、五ミリくらいある皮を量産する僕を見て、最初は驚いた顔をしていたけれど、直ぐにコツを教えてくれた。

 そうしているうちに、僕の包丁を使う手つきが危なげだったことを除いて、無事にカレーの下準備を終えることが出来た。今日はズッキーニやアスパラ、パプリカなども入れた夏野菜カレーだ。

「ヒビキはどんな料理が好きなんだ?」

「何でも食べます。ただ、唐辛子の辛さはどうしても苦手で」

「唐辛子は俺も苦手だ。鼻が効かなくなるからな」

 二人で取り止めのないことを話しながら調理をしているとあっという間に時間が過ぎていった。出来上がったカレーを皿に盛り付けて、ローテーブルに向かい合わせで座る。色とりどりの野菜達がとても美味しそうだ。

「「いただきます」」

 僕とガムラさんは同時に「いただきます」をしたので被ってしまったが、そんな些細なことも楽しく感じられる。

「ウルフワムの郷土料理は大体が大皿料理で、家族みんなで分け合って食べることが多いな。だから、割合を考えずに食べる奴はウルフワムでは嫌われる。気をつけろよ」

「っふ、あはは」

 そんなことを真面目な顔で言うガムラさんの様子が面白くて、つい吹き出してしまった。それを見たガムラさんは怒ることなく、笑ってくれる。穏やかな時間が嬉しくて、楽しくて、幸せだと思った。

 食事を終えて二人で食器を片付けた後は、新しく増えた小さなソファに座って映画を見ることになった。そのソファは、僕とヴィッセル指揮官が隣り合って座るとお互いの肩がピタリとくっつくほど小さい。このサイズだとヴィッセル指揮官だけで座ってもゆとりがあるとは言えないかもしれない。サイズが変だなと思っていると、ガムラさんがそれに気付いたのか口を開く。

「狭いが気にしないでくれ」

 ガムラさんが言うには、ドールガー副指揮官にソファを頼んだらこんなに小さいものが届いたと言う。ドルーガー副指揮官は、ガムラさんと同様にこれまでにないほど優秀だと言われている。それほどまでに有能な人がどうして、と不思議に思っていると、僕の考えていることが伝わったのか、ガムラさんはなぜか気まずそうにしていた。

 理由を聞けないうちに、ガムラさんは映像プレイヤーをセットし始めた。その映像プレイヤーは日本で販売しているものとは少し異なり、とても小さい。どこにディスクを入れるのだろうと思っていると、プレイヤから一筋の光が出てきて、その光が一瞬ガムラさんの瞳に吸い込まれたかと思うと、テレビ画面に映画のオープニングが映し出された。

「え……?」

「ああ。日本人には馴染みがないかもしれないな。ウルフワムでは瞳の虹彩にデータを入れて、それを瞬時に取り出せる技術がある。このプレイヤーはその技術を使ったものだ」

 僕にそんなことを教えてくれる友人がいなかったからかもしれないが、そんな技術があるなんて初めて知った。

「そんなことが出来るんですか。瞳にデータを入れるなんて、痛くはないですか」

「痛くはない。人間もそうだが、何かを思い浮かべる時、瞳の中というのは微細な動きをする。その動きと設定したデータが連動して、プレイヤーに映し出される仕組みだ。入れられるデータは無限で、セキュリティも万全だから、俺はよく使っているな」

 ガムラさんがそこまで言った時点で、オープニングが終わり、僕達は映画に集中し始めた。

 テレビ画面に映るのは、大きなドラゴンに立ち向かう騎士たちの姿だ。勇ましい音楽が流れてくる。仲間達を集めて、巨大な敵に立ち向かっていく姿は、ファンタジー映画のようでアクション映画のようでもある。アカツキの部屋では、ウルフワムと人間が対立する映画ばかり見ていたのでなんだか新鮮だ。

「この映画、とても面白いですね」

「ああ、人気があるようだ。何度もリメイクされているらしい」

 映画は中盤に差し掛かり、主人公の男が仲間たちと共に強大な敵に挑んでいく場面になった。僕もヴィッセル指揮官と一緒に手に汗握りながら見ている。主人公が剣を振るうと、画面が光ってすごい迫力だ。

「わあ、かっこいい……!」

「そうだな」

「はいっ……。……あれ?」

 耳元で聞こえた声に、僕は驚いて横を見ると、ガムラさんの顔がすぐ近くにあって、僕の心臓がどきりと跳ねた。ガムラさんも自分の顔が近いことに気づいたようで、恥ずかしそうにしている。

「すまない。つい夢中になってしまってな」

「いえ……」

 僕の頬には熱が集まり、きっと赤く染まっているだろうと思う。ガムラさんの耳はピクピクと動いている。もしかして照れているのだろうか。それからお互いに無言で、僕は映画を見るのに集中しているように見せかけるのに一生懸命だった。しばらくしてちらりと横を伺うと、こちらを見つめていたガムラさんと目が合ってしまい、ピクリと身体を揺らす。ガムラさんの目には熱が籠っているように見える。

 ガムラさんは、僕が身体を震わせたのを見て、少しずつ顔を近づけてきた。(あれ…? こ、これってキスされる…?)そう思い、僕は顔を背けることもできたのに、ゆっくりと近づいてくるガムラさんの唇を目を閉じて受け止めた。かさついたそれは触れてすぐ離れていった。

「ん……」

 僕は初めてのキスの衝撃から、少し声を漏らしてしまった。顔は真っ赤になっていると思う。だって、誰かとキスをするのは初めてだし、その相手があのガムラさんなのだから。何て言えばいいのか分からずに、ガムラさんを見つめていると、挙動不審な僕を見て、ガムラさんは少しだけ悲しそうな顔をした。心なしか尻尾も萎んでいる。

「どうした……?狼獣人とのキスは気持ち悪かったか?」

「えっ……?ぜ、全然、そんなことはないですっ!」

 予想外のことを言われて、慌てて否定する。ガムラさんの悲しそうな姿は見たくない。その一心で真実を打ち明ける。

「僕、誰かとキスするのは初めてで……」

 僕は必死に伝えると、ガムラさんは訝しげな声を出す。

「初めて?タマルはどうした」

「あっ……! そ、それは、アカツキはキスが嫌いで、あの、その」

 うっかり本当のことを漏らしてしまった僕はしどろもどろになりながら、言い訳を探す。それと同時に、僕はガムラさんを騙すためにこの場にいることを思い出してしまい、胸が痛くなった。ガムラさんはそんな僕を見て、何かを考えている様子をしたのだが、慌てふためく僕がそれに気づくことはなかった。

 急に顔を曇らせた僕を見て、ガムラさんは何を思ったのか、柔らかで、けれどどこか僕を縛り付けるように、僕に問いかける。

「……ヒビキは俺にどういう関係を望んでいるんだ」

「えっ……」

 ガムラさんは真剣な眼差しで僕を見つめる。そういえば僕達の関係は何なのだろう。アカツキはセックスの相手になるように言っていたけれど、こんな素晴らしい人が僕を抱いてくれるとは思えない。

「あの時は混乱していたようだったが、俺はてっきりアカツキが浮気している間の寂しさを紛らわせたいのだと思っていた」

「そ、それは」

 なんて返せばいいのか分からず、僕は言い淀む。焦りで目の奥から涙が出てきてしまう。セックスフレンド、一夜の恋人、身体だけの関係など頭の中でぐるぐると言葉が回る。そんなことをガムラさんとするというありえないことを考えるだけでくらりと眩暈がする。アカツキからも関係性までは指示されていない。

 そうやって焦る僕の口から出てきたのは、紛れもない本心だった。

「その、僕、は、ガムラさんの側に居たいだけです……」

「っ……! 」

 ガムラさんは小さく息を呑んだ。瞳の瞳孔が小さくなり、獲物を見つけた時のような鈍い光を放っている。僕はなぜかぞくりと背筋が粟立つ。

「っ……」

 僕は何か間違えてしまったかと思い、聞き返す。しかし、ガムラさんがふっと息を吐いた途端、その光は霧散してしまった。

「……分かった。浮気相手のくせに聞きすぎたな。次はヒビキの部屋へ行ってもいいか?」

「えっ……あの、はい」

 ガムラさんが浮気相手なんて畏れ多い。彼はただ、縋り付いてきた部下を放っておけないだけということは分かっている。今は何を言っても間違えてしまいそうで、ただ頷くことしかできない。

 僕の返事を聞いて、ガムラさんはほっとしたような表情を見せた後、「またチャットを入れる」と言ってくれた。隣の部屋だと言うのに、僕が部屋に入るのを見届けようと、僕に着いてきて部屋の外まで来てくれた。

「しっかり寝て、身体を休めるように」

 その言葉が上司のようで僕は思わず笑ってしまう。

「ふふ。はい。ありがとうございました」

 僕が笑う様子を見て、ガムラさんは不思議そうにしていたが、最後は微笑んだ。その笑顔を見て、僕の心臓がどくりと跳ねる。

「こちらこそ」

 ガムラさんは僕が扉を閉める間際に、僕の頬を優しく撫でて、隣の部屋へ戻っていった。別れ際に交わした言葉は短かったけれど、僕の胸には不思議な余韻が残った。




時間がある時に残りを更新しますので、しばらくお待ちいただければと思います〜!

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@ichijo_twr

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狼獣人と偽りの恋人 一条珠綾 マジカルラブリー @ichijo_miaya

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