第8話

「……ほんと、ですか」

 僕は、自分から言い出したことなのに、驚いてしまう。

「ただし、タマルとの仲が戻るまでだ。それでもいいか」

「……はい」

 泣き止まない僕をどう思っているのか分からないが、ヴィッセル指揮官の言葉は優しく、僕を包み込んでくれる。僕はそれに甘えて、彼の陽だまりのような温かさに包まれながら、しばらくそのままの状態でいた。


 *


 あの後、ヴィッセル指揮官は、僕が泣き止むまでずっと待っていてくれた。そして、僕が落ち着くと僕から身体を離して、「今日はもう戻りなさい」と言った。

 ヴィッセル指揮官に泣きついた時、僕は咄嗟に寂しいと言ってしまった。けれど、あの言葉は僕の本音だ。

 僕は幼い頃からずっと、まとわりつく寂しさに悩んでいる。僕の寂しさの根源は分かっていても、僕が親に捨てられた子供だからだ。僕の親は、僕を産んですぐ育児放棄をしたらしい。"らしい"というのは、親と一緒にいた記憶がないほど小さな赤ん坊の時に捨てられたからだ。

 それから、僕はずっと国の施設で育った。ウルフワムに支配される前の日本は家族の絆は緩く、成人したら一人暮らしをし、児童養護施設も複数存在したと聞いたことがある。けれど、僕が生まれた頃には、家族を大切にするというウルフワムの文化が日本には根付いていた。

 ウルフワムの人々からすると、子供を捨てるなんてありえないことで、そんな非常識な親から生まれた子供なんて不幸だと周りの大人は口を揃えて言った。

 現に、僕がいた身寄りのない子供達を保護する施設は全国に一つしかなく、そこにいた子供は二十人程度だった。

 しかも僕以外の子は、親が死別してしまい、親戚もいないために泣く泣く施設にやってきていた子達で、親に捨てられるというあり得ない出来事によって施設にやって来た僕は、疫病神のような縁起の良くないものだと見られることが多かった。

 そんな環境で育ったために、僕は小さい頃から、世界でたった一人の不幸な人間なのだと思い込んでいた。

 僕は自分が幸せだと思ったことがないし、価値のある存在だとも思えない。だって、無条件の愛を注いでくれるはずの親にすら捨てられたのだから。

 いつも心にぽっかり穴が空いたような虚無感を抱えて、少しでも人に求められると嬉しくなって頑張ってしまうようになった。

 僕は人に頼られていると思うと、拒否できない。頼られていることで自分を必要としているのだと思ってしまうからだ。それがどんなに僕を蔑ろにしたものであっても、出来ることがあるならしたい。そうじゃないと捨てられてしまうから。

 ただ、暗くて人見知りする性格と親がいないという育ちのせいで、僕を頼る奇特な友達も出来なかったし、施設の先生にもあまり好かれていなかったと思うけれど。

 僕は自分に家族がいないことが、成長した今でも寂しくて仕方がないのだ。だから、アカツキが僕を家族のように思ってくれていると知って、その期待に応えたいと思ってしまう。

 そのアカツキに、ヴィッセル指揮官との間で起きたことことを話した方がいいのだろうかと考えながら出勤したところ、狼獣人の課長から「タマルは長期休暇を取る」と言われた。

 少し前に繁忙期が終わり、今は経理部の仕事は少ない。夏に入る少し手前なので、この時期に夏休みとしてまとめて休みを取る人も多い。課長もアカツキがいないと楽なのか、少し嬉しそうにしているように見える。

 長期休暇はいつまでか分からないが、確かアカツキの有給休暇は僕の同じく沢山残っているはずので、一ヶ月ほどは休むのかもしれない。何も聞いていなかったので少し驚いたけれど、もしかしたらウルフワム打倒連合軍の活動が入った可能性もある。

 メールをすべきだろうかと思ったけれど、なんだか気が進まずにいたらあっという間に日が経ってしまい、一週間後の金曜日になった。

 僕は少し罪悪感とヴィッセル指揮官とまた話せるという期待で、どことなくそわそわしている。いきなり部屋へ行っても大丈夫だろうか。何時頃行くのがいいのだろうか。

 もしかしてヴィッセル指揮官の方が嫌になって心変わりしてしまったらどうしよう。そんなことを考えながら、仕事用のデスクトップパソコンの画面を見つめていると職場用のチャットアカウントにメッセージが入った。

 このチャットアカウントには全職員分の連絡先が入っており、他部署の人とも気軽に連絡が取れるツールなのだが、アカツキ以外の人と話さない僕にチャットをくれる人はおらず、なんだろうと訝しむ。そして、そのチャットの内容を見て声をあげそうになってしまった。

(夜八時には部屋に戻る。俺の部屋に来るなら晩ご飯を一緒に食べよう)

 チャットをくれたのはヴィッセル指揮官だった。そこには部屋に行く時間が書かれており、僕がその時間に行ってもいいのだと理解できた。

(分かりました。八時に伺います。晩ご飯は何か買っていけばいいですか)

(いや、手ぶらで来てくれ)

 返事をすると、すぐに返信をくれる。僕はこういう風に誰かと帰る時間の連絡や晩ご飯の相談をしたことがなく、なんだか心のどこかがくすぐったくなり、こんな気持ちになるのは初めてだった。恥ずかしくなってきた。

心のどこかがふわふわとしてこんな気持ちになるのは初めてだった。

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