第5話
そして、ヴィッセル指揮官が隣に引っ越して来てからの一月の間に変わったことがもう一つある。
それは、経理部の部長と課長が異動になり、狼獣人の部長と課長になったことだ。これまで経理部の管理職は日本人しかいなかったので、大きな変化だ。
僕は狼獣人が上司であっても気にならないのだが、狼獣人に対して忌避感を持っているアカツキはことあるごとに部長や課長とぶつかっていた。
「タマル、その態度は何だ!」
「態度よりも仕事の内容で見てくださいよ。ミスはしてませんから」
狼獣人は上下関係に厳しい人が多く、新しくやってきた課長もそのようだ。そんな彼に対して、アカツキは反抗的な態度を取っている。
それを指導しようとする課長と言い争うのは日常茶飯事で、言い争う声というのは周りに悪い影響を与えるのか、経理部の雰囲気はどことなく荒んでしまっている。アカツキは何度も怒鳴られて、心底嫌そうな表情をしている。
僕としては、これまでお世話になっているアカツキが課長から怒られるところは見たくない。どうすればいいのか悩む日々が続く中、課長が席を外している時に、アカツキが僕のもとへやって来た。少し目が血走っており、心配だ。
「ヒビキ!今日の仕事終わりに、俺の部屋まで来てくれないか?二人で話したいことがある」
「今日?うん、分かった……」
アカツキは目を爛々と輝かせているものの、どこか正気を感じさせず、僕はざわつく胸の内を隠して頷いた。
そして、仕事終わりにアカツキの部屋へ行った。部屋に入り、いつものソファに座った途端、アカツキは僕の肩をぐっと掴んで、興奮したように話しだした。
「ヒビキ。ヒビキは俺の味方?」
アカツキから真剣な顔でそう聞かれて、最近やってきた課長とのトラブルのことを思い悩んでいるのだと思い、アカツキを擁護する。
「え?う、うん。アカツキの味方をしたいと思ってるよ」
「そうか……。じゃあ、お前なら分かってくれるよな。俺、いいや、俺達はようやくウルフワムの連中を駆逐する方法を見つけたんだ」
「え?」
「俺達の日本をウルフワムから取り返すんだ。ただ、そのためには、ヒビキの協力が必要なんだ」
「なに、言って……」
アカツキは僕の小さな声など聞こえないかのように、熱に浮かされたような口調で続ける。その目は、いつか見た仄暗い光を移している。
「俺はウルフワム打倒連合軍の一員で、ウルフワムを倒すためにスパイとしてこの会社に潜入していたんだ。黙っていて悪かった。だけど、狼の奴ら、俺達を奴隷のようにこき使っておいて、自分達だけ良い暮らしをしてるなんて許せないだろう?」
「……っ!?」
アカツキの言葉に衝撃を受け、僕は目を見開く。ウルフワム打倒連行軍は、日本がウルフワムに事実上支配されて以来、アンダーグラウンドな世界で活動を続けている、いわゆるテロ組織だ。
まさかアカツキがウルフワム打倒連合軍からのスパイだったなんて、信じられない。けれど確かに、思い返してみれば、アカツキは妙に手際よく仕事をしていた。あれは慣れていたというより、あらかじめ訓練を受けていたからできたことだったのだろうか。アカツキは僕の動揺を意に介さず話し続ける。
「だから、ヴィッセル指揮官から国防に関する情報を奪い取って、隙を見て狼野郎を駆逐する。日本人が日本のトップに立つんだ。それこそが国として正しいあり方だ。そうだろ? そのゴールがあるからこそ、こんな理不尽な差別とも戦える」
「ア、カツキはどうして、そんなことを?」
いきなり告げられた衝撃の事実に声が掠れる。僕は、くらくらと眩暈がして気が遠くなる。お酒を飲んだ時のように感覚が鈍く、若干呂律が怪しくなっている。僕の質問に対して、どこかアカツキはどこか悲しげに微笑むが、その問いに答えてくれることはなかった。
「……ヒビキ、頼む。俺に協力してくれないか。俺にはお前しかいないんだ」
その真摯な表情に僕は思わず息を飲む。酩酊時のように判断する能力が落ちているが、彼の言葉は僕のどこかを満たしたような気がして胸の奥が震えた。
必要とされなかった僕でもできることがあるのだと、そう思った瞬間、僕は夢現のままアカツキの言葉に頷いていた。
「……僕にできることなら」
「っ!ありがとう!ヒビキ」
アカツキは満面の笑みを浮かべて僕を抱きしめる。その腕の中は暖かくて、なんだか泣きたい気持ちになってしまった。もし僕に兄がいたらこんな感じだったのだろうか。
そして、眩暈がする中、不思議とよく通るアカツキの声で聞かされた作戦はこうだった。まず、僕がヴィッセル指揮官と親しくなって、彼のプライベートゾーンまで入り込む。
そして、油断をさせたところで、機密情報を手に入れる。機密情報そのものを手に入れることが出来なくても、どのデータベースに保存されているのか程度を聞き出せれば十分ということだ。
アカツキが欲しい情報は、まずは軍や軍兵器の配置図とそれが手薄になる時期とのことだ。他には、有事の際に共同防衛省の全ての活動を止める極秘パスワードがあるらしく、それが喉から手が出るほど欲しいということだった。
ヴィッセル指揮官は共同防衛省の全てを指揮しているため、確かに彼ならばその情報を持っているだろう。けれど、僕とヴィッセル指揮官が親しくなることは不可能に近い。そう言うと、アカツキはこれまで見たことがないような軽薄な笑顔で僕を見た。
「いくらヴィッセル指揮官でも、セックスした後は無防備だろう」
「えっ……!? セ、セックスって、そんなの無理だよ……。僕にそんな魅力はないし、そもそも狼獣人はパートナーがいる人は絶対に好きにならないのは、アカツキも知ってるでしょう」
「いや、狼獣人が誰かのパートナーだと認識するのは、相手の匂いがついてからだと聞いたことがある。その匂いがいつ着くのか、人間の俺には分からないけど、ウルフワム打倒連合軍の研究者曰く、精子を何度か体内に取り込むと、相手の匂いが身体の奥に根付くんじゃないかと言ってたな」
「え……だったら」
「そう。俺とヒビキはヤッテないだろう。だから、ヒビキは、狼獣人どもにとって、彼氏がいるけど純潔は散らされてない美味そうなご馳走に見えるんじゃないか。現に、ヒビキを物欲しげに見る狼野郎共がどれだけいたことか」
「そんなこと、知らないよ」
アカツキから訳が分からないことを聞かされて、頭がパニックになる。
「ヒビキは俺から見ても綺麗な顔してるよ。俺は異性愛者だから、弟にしか見えないけど。それに、ヴィッセル指揮官は二年くらい前までは来るもの拒まずで遊んでいたらしい。だから、セフレくらいにはなれるんじゃないか」
弟と言われて、気持ちが湧き立つものの、その後に続いた言葉にはどう反応していいか分からずに、困惑していると、アカツキはぽつりと呟いた。
「……そうじゃないと、お前に話しかけた意味がない」
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