第3話

 共同防衛省の独身職員は、緊急事態に備えるため社宅に住まなければならない。その社宅は共同防衛省と同じ埋立地に建てられており、共同防衛省まで徒歩五分もかからない場所にある。

 経年により少し黄ばんだ白い建物で、独身者用なのでワンルームにキッチンとバスルームがついた狭い作りで、生活のための必要設備だけ揃えたというレベルだ。

 キッチンはかろうじて二口コンロがあるが、収納スペースが小さくて、早く出たいと思っている職員も多いと聞く。こればかりは規則なのでどうしようもないことで、役職者や既婚者になったら都内のマンションを借りることができる仕組みだ。

 僕とアカツキはB棟の二階の部屋を割り当てられている。同じ部署だと近くの部屋に配置されることが多いと聞いたことがある。

 金曜日の仕事終わりにスーツからシャツとゆるいズボンに着替えて、ストックしてあるお菓子を持ってアカツキの部屋へ向かう。今日は金曜日なので、繁忙期の経理部といっても早めに帰る人も多く、僕は八時前に仕事を終えた。アカツキはもっと早めに仕事を切り上げていた。

 明日と明後日は土日ではあるが予定がないので、今日は少しくらい夜更かしをしても大丈夫だと思う。僕は人付き合いが下手で、同期やアカツキ以外の経理部員と話すことは滅多にない。

 話しかけられればそれなりに応対するのだが、自分から話しかけることが苦手だ。それに、僕がアカツキ以外の人と話すと、僕達の関係がバレるのではないかと危惧したアカツキがそれとなく割り込んできて、話しを終わらせてしまうのだ。だから、入省して二年経ってもアカツキ以外で親しくしている人はいない。

 休日は一人で本を読んでいることが多く、専らインドア派だ。しかし、アカツキと付き合い始めて、夜は映画を見ることが多く、唯一この時間が他人と深くコミュニケーションをとる時間だといえる。ただ、これまで他人と密な関係を持ったことがないため、これが良いのか悪いのか、正しいのか正しくないのかは分からない。

 そうやって取り止めのないことを考えながら、自分の部屋と全く同じ見た目の扉を開け、隣にあるアカツキの部屋に入ると、スウェットを着たアカツキがいた。

「お。来たな。呼びに行こうかと思ったたんだ」

「うん。お邪魔します。お菓子は持ってきたよ。アカツキが好きなピザ味」

「サンキュ。今日はどれ見る?」

「えー、と、アカツキに任せるよ」

 僕が言い淀んだ理由は、アカツキの狼獣人嫌いのせいか、この部屋で見る映画は狼獣人が虐げられる映画ばかりになるからだ。血飛沫が上がることも多く、好みが分かれる作品だと思う。

 けれど、どんな映画がいいなんて僕に言う資格はないと思うので、自分からリクエストをしたことはない。そんな僕の様子を気にも止めずにアカツキは、嬉しそうにDVDを漁り始めた。そして、適当に選んだものをセットしてから、僕達はソファに並んで座った。

 そうして始まった映画は予想通り、和平条約を結ぶ頃の日本とウルフワムの対決を描いたものだった。僕は狼獣人に対して敵愾心を持ったことはなく、この映画を嬉々としていることはできずに、持ってきたお菓子をぽつりぽつりと摘みながら過ごしている。

 史実とは異なり、日本がウルフワムに打ち勝ち、狼獣人達を屠るというかなり偏ったストーリーだった気がする。"気がする"というのは、不思議なことにアカツキが選んだ映画を見ていると、気が遠くなり、脳が酸欠になったように動きを止めるのだ。そして、あっという間に映画が終わっている。それなのに、狼獣人が無惨に人を殺すシーンや日本人が勝利するシーンは頭の中に鮮明に残っているのだ。

 そして、映画を見終わった後に軽い頭痛と吐き気がするのもいつものことだ。エンドロールが流れて、アカツキは満足したように大きく伸びをした瞬間、魔法が解けたかのように意識がはっきりする。

「あー、面白かった。やっぱり、俺、こういうの好きだわ」

「そ、そっか……」

「どうかしたか?」

 僕は吐き気を感じながらも、それをお菓子と一緒に飲み込む。

「あ、いや、なんでもないよ」

「ふうん。ま、でも、野蛮な生き物に人間が酷使されるなんておかしいよな」

 アカツキは平然と、しかしどこか仄暗い目をしながら言う。野蛮な生き物とは狼獣人のことだろうか。そう思っても、それを聞いてしまえば後戻りできないところまで進んでしまうような気がして、尋ねることが出来ない。

「……アカツキ」

「いや、なんでもない。それじゃあ、メシにするか。カップ麺でいいよな」

「う、うん」

 結局、アカツキは僕の返事を聞かずに立ち上がってキッチンの方へ歩いていった。僕も立ち上がり、後を追う。そうすると、一緒に飲もうと思って買っておいた炭酸飲料を自分の部屋に忘れてきてしまったことに気がついた。

「ア、アカツキ。僕、飲み物を忘れてきたから持ってくるね」

「あ、おい」

 どうせ隣の部屋に行くだけなので、アカツキの返事も聞かずに部屋の外へ出る。そうすると、薄暗い共用部の廊下に、僕の部屋の隣の部屋に入ろうとしている人物がいるのが見えた。その部屋はずっと空室だったので、不思議に思って見つめると、そこにいたのは思いもよらない人だった。

「ヴィッセル指揮官……っ!どうしてこのフロアに?」

 思わず呟いた僕の声を聞いて、ヴィッセル指揮官が振り返る。仕事終わりで黒い隊服を着ているが、少し疲れているのか毛並みの艶が少しくすんでいる。そして、僕の姿を見ると、とても驚いた表情を見せた。

 確かに、ヴィッセル指揮官は独身者のため、この社宅にいてもおかしくはないのだが、そうなると最上階の部屋を割り当てられることになるだろうし、そもそも指揮官なので都内に別のマンションを借りているはずだ。

「ヒビキ?!……っくそ、バロンめ」

 ヴィッセル指揮官は驚いて僕の名を呼ぶものの、すぐに何かに思い至ったようで、ドルーガ副指揮官の名前を呼ぶ。そのことに軽い胸の痛みを覚えるが、それを無視をして、僕は尋ねた。

「ど、どうかされましたか?」

「いや、ヒビキはこの部屋の隣に住んでいるのか?」

「はい。入省してからずっとこの部屋です」

「そうか……」

「あ、あの、ヴィッセル指揮官はなぜここにいらっしゃるんですか?ここは若手のフロアです」

「俺が住んでいるマンションが改装することになって、その間の仮住まいだ。自分で探す暇がなくて、バロンに頼んでいたんだが、空いている部屋がここしかないと言われてな」

「そ、うですか……」

 この社宅が満室になるほど人気だとは知らなかったが、ヴィッセル指揮官が隣人になることが俄に信じられずに立ちすくんでいると、後ろからアカツキの声が聞こえた。

「ヒビキ、うちにコーラがあるぞ……って、ああ、指揮官じゃないですか」

「タマル」

 アカツキはヴィッセル指揮官を見るなり、少しだけ声のトーンを落とし、なぜか揶揄うような言葉尻で話しかけた。これまでアカツキの振る舞いからすると、狼獣人に対してそういう態度をとることは不思議ではない。しかし、アカツキに話しかけられたヴィッセル指揮官もなぜか不機嫌そうな顔をしている。それに、アカツキのことはファミリーネームで呼ぶのだと気づく。二人からお互いに対する嫌悪感が透けて見え、間に挟まれた僕の背筋に冷や汗が垂れる。

「君達の部屋は隣同士なのか」

「そうですよ。恋人同士なのでとても助かってます」

 アカツキはどこか挑戦的に笑い、ヴィッセル指揮官は眉間に皺を寄せている。どこかピンとはった糸のような緊張感を感じる。その雰囲気の悪さに戸惑いながら、僕が口を開こうとすると、ヴィッセル指揮官がそれを遮るように口を開いた。

「……そうか。休みだからといって羽目を外しすぎないように」

「あ、はい」

 ヴィッセル指揮官は、アカツキに対する嫌悪感を一瞬で消して、指揮官らしく僕達を諌めてから自分の部屋に消えていった。アカツキはその後ろ姿を見つめている。その瞳に先ほどの仄暗い光が差したように見えて、僕はアカツキに声をかける。

「ア、アカツキ?」

「……ほら、コーラ。早く戻ろ」

「あ、うん」

 アカツキは僕の声を聞き、すぐさま剣呑な顔を引っ込めて、いつも通りの様子で僕の手を引っ張って、部屋に入った。僕は違和感を感じつつも、アカツキに従うことにした。

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