4 雪見水晶と世界の危機
女神を祀る薄暗い聖堂で、椅子に腰かける恒久、卜部、倉本を前に、ヴィンセントが話し出した。
「既にあなた方もお聞きの通り、あなた方人間の見る夢の中にあるこの世界には女神様がおられます。信じる者の心の中にという訳ではなく、実在しています。この国にも度々遊びに来られては、アカデミーでの講義を生徒と一緒に受けてみたり、街中で子どもたちと一緒に遊んだりと。特にこの国の料理がお気に入りだったようで、この国に来られた際は必ず、どこかの家で食事を共にしておられました。この世界の女神でありながら気さくで、飾らず気取らない、とても可憐で無邪気なお方でした」
そこでヴィンセントは思いを馳せるように暫し中空を見つめたあと続けた。
「ですが二年ほど前、突如として女神様のお姿が見られなくなったのです。他国とも連絡を取り合ったのですが、どの国でも女神様を暫くの間見かけていないとのことでした。そして、その後あらゆる場所で異変が起き始めたのです」
「異変って?」卜部が尋ねる。
「川の水が枯れたのが、この国では最初の異変でした。その川はこの国の背後に連なる山々から流れる豊かな清流なのですが、突如として干上がってしまったのです。それを皮切りに建物が倒壊するほどの地震が度々起こるようになり、これまで穏やかだったある海は、収まることのない嵐に今も尚見舞われています。他にもこの世界の各地に発生した天変地異は数知れず、今も尚多くの犠牲者が出ています」
「でも、そんな風には全く見えないよ。きれいな街並みに美味しいごはん。それに温泉だって気持ちよかったし。昨日は砂漠で砂をたくさん被ったからほんと嬉しかったな」
倉本が今もまるで温泉に浸かっているかのように頬を緩ませている。
「砂漠ではありません」
答えたのは、憂いの表情を浮かべたリコレッタ王女だった。
「え?」三人の声が重なる。
「みなさんと私が出会ったあの場所は、緑の生い茂る、豊かな草原でした。女神様がいなくなる前までは」
「そんな。あの辺りには何も……」
あの時、谷崎を休ませるのに周囲を探した時、恒久は木の一本も水溜まりの一つも見つけられなかった。ヴィンセントが話を続ける。
「ええ。今では見る影もありません。この国の周囲には砂漠が広がり、この国がまるで砂漠の中のオアシスのように見えますが、元々は田畑と緑豊かな森林と草原がどこまでも広がるとても美しい土地だったのです。そしてさらに深刻な事態が起きました。ところで倉本殿、あなたが美味しいと言ってくださったこの国の料理はどうやって作られていると思いますか?」
「え?どうやってって、コックさんが腕によりをかけて、でしょ?」
倉本が至って真面目にそう答える。
「ええ。もちろんそういった料理もあるにはありますが、この世界では普段あなた方が食べているような人間の世界の食材を揃えることは不可能です。ある程度作物は育てていますし、似たような食材はあるでしょうが、そもそも私たちが他者の肉を食すことはあり得ません」
「じゃあ、僕たちが昨日食べたのは一体……」
恒久には何が何だか訳が分からなかった。ヴィンセントが何を伝えようとしているのか、話の行き着く先がまったく予想できない。
「心配せずとも変なものではありません。言っていることが矛盾していると思われるでしょうが、ちゃんとあなた方の世界の食材ですよ。ただその調達方法が特殊なのです」
調達方法?この世界にないものをどうやって調達するのか。恒久たちはますます首をひねる。
「この世界にはあなた方人間の世界には無い二つの特別な石、鉱石があります。一つはもう御存知かもしれません」
「あっ」と卜部が何かを思い付く。
「さっきモール先生が見せてくれた白煙水晶のことじゃない?水晶って鉱石でしょ?それに夢を覗ける水晶なんて私たちの世界じゃ見たことも聞いたこともないし」
「その通りです。そしてもう一つが……」
ごそごそとヴィンセントがローブの外ポケットから取り出したのは、握りこぶし大の少し角張った見かけには何の変哲もない真っ白な石だった。
「これがあなた方の世界の食材を作る原料になります。名を『雪見水晶』と言います」
雪見水晶。確かに恒久には聞き覚えがなかった。
「私たち石を食べてたの?」
倉本の顔が一気に青冷める。
「はっはっはっ。違いますよ。この雪見水晶は細かく削ることで絵の具の原料になるのです。そしてこの世界には『ピクター』という特別な能力を持って生まれてくる者たちがいます」
「ピクター?」
恒久たちは未知の言葉の連続に頭がついていかない。
「ええ。雪見水晶から作った顔料を使ってピクター達が絵を描くことで、その絵は実体化するのです。ただし生き物は描いても実体化しません」
絵が実体化する?恒久にはまったくもって信じられないことではあったが、僅か一日の間にありえないことばかり目にしてきたためか、とりあえずそういうものだと思える耐性のようなものが既にできていた。疑問を口にしないところを見ると、二人も同じなのだろう。ヴィンセントが続ける。
「さらにこの雪見水晶と白煙水晶には一風変わったところがありまして、植物のように育てることができるのです。白煙水晶はある特定の地質の土壌でしか育ちませんが、この真っ白な雪見水晶の方は、育てる土壌の性質や栽培方法によって何種類もの色鮮やかな水晶に育つのです。そしてそれらを原料に作られた顔料を使って、ピクター達が料理やその食材を描くのです。我らコニア王国は昔から腕のいいピクター達を世界に多く排出してきた美食の国として名を馳せてきました。腕のいいピクターが描く料理はどれもキラキラと輝き、見るだけでも美味しく、我々の日々に喜びをもたらすもの、だったのですが……」
それまで饒舌にしゃべっていたヴィンセントが急に肩を落とし、言葉を詰まらせる。
「どうしたの?」
倉本が心配そうにヴィンセントに声をかける。
「雪見水晶が育たなくなったのです。原因は女神様が消えたことによって大地そのものが枯れはじめたからだと推測されています。我々は食べ物の九割以上をピクター達が描く料理に頼ってきました。数種類の野菜や穀物は栽培していますが、それだけでは全国民に十分に行き渡るはずもなく、さらにその微々たる作物でさえ育ちが悪くなる始末。雪見水晶から作った顔料の備蓄も残り僅か。このままではこの国、この世界の生き物全てが近い内に飢え死ぬことでしょう。この世界の要である女神様が突如としてお消えになったことで世界各地で天変地異が頻発するようになり、さらには世界的な大飢饉も起きつつある。これがこの世界が直面している危機なのです」
三人は誰一人として口を開けないでいた。一見何の問題もなく平和に見えたこの国、この世界がそんな窮地に立たされていたとは。昨夜、お城の中庭で王女様が話していた以上の危機がこの世界を脅かしている。そして間接的にせよ、自分達の努力如何によってこの世界の命運が決まってしまうのだ。恒久は急に肩の荷が重くなったのを感じた。
「私たちに、何ができるのかな」
卜部の声も落ち込んでいる。倉本も戸惑いの色を隠せない。そんな三人に王女様が歩み寄る。
「それを共に考えましょう。女神様が消えた後にあなた方がこの世界に現れ、その内のお二方が女神の加護を授かった。これはただの偶然ではありません。あなた方の来訪には何か理由があるはずです。どうか御助力のほどを」
リコレッタ王女とヴィンセントが頭を下げる。それでもまだ、三人の決心は揺らいだままだった。
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