3 白煙水晶とヴィンセント
「と、ここまでがこの世界について既にあなた方もご存知の内容です」
リコレッタ王女と別れたあと、恒久、卜部、倉本の三人は、モールと名乗った羊のような学芸員にアカデミー内の一室に案内された。アカデミーの左翼棟の二階に位置する教室内には椅子と机が綺麗に並べられており、その一番前に座り紙とペンを渡された三人は、まさに講義を受けていた。その内容を恒久は次のようにまとめた。
・人間が見る夢の世界に存在する『ノア』と呼ばれる別の世界。
・そこに暮らすのは、地球上で既に絶滅した動物達。
・二つの世界は夢で繋がってはいるが、行き来はできない。
・人間がごく稀に『霞の轍』と呼ばれる通路を通って『ノア』に迷いこむことがある。
・『霞の轍』を通ることが現実世界に戻る唯一の道で、その出現場所もタイミングも全くのランダムで見つけようがないが、この世界の女神様のみ、それを見つけることができる。
・その女神様が現在行方不明。
この現状が、自分が見ている夢ではないことは既に理解できた恒久だが、こうやって改めて書いてみても、容易に理解できる内容ではない。それに違和感というか、分からないことがまだまだあった。
「モール先生、質問があります」
倉本が右手を頭上にビシッとあげている。
「先生と呼ばれると何だかこそばゆいですね。なんでしょう?」
モールは照れ隠しにポリポリと頬を掻く。
「どうして私たちの言葉が通じるのですか?」
そう言えばそうだ。驚きの連続だったからか、全く疑問にも思わなかった。
「いい質問ですね。その答えはこのノアを満たす空気にあります。空気が振動することで音が聞こえるのは、そちらの世界でも同じですが、ノアの空気には翻訳機のような役割もあるのです。私たちはノア語を話しますが、ノアの空気を媒体とすることで、あなた方が話す言葉はノア語に、私たちのノア語はあなた方の言葉に変換されます」
「へぇ~、すっごく便利ね。じゃあ空気を媒体としてないから、私たちにはノア語で書かれた本は読めないってこと?」
卜部が聞き返す。
「ええ。そうなります」
嘘のような今の状況でお互いに意思の疏通が取れるのは救いではあるが、当たり前のように今も呼吸している空気に違和感はなかった。無味無臭で息苦しさも感じない。唯一、現実世界の空気と違うとすれば、それは『濃さ』だろうか。街中でもお城の中でも乾いた砂漠でも、場所は違えど現実世界の空気に比べて新鮮なのは、恒久も感じていた。人里離れた森の中や美しい清流の側で感じる淀みの無い空気。そんな空気を、このアカデミー内でも感じることができた。
「モール、僕も質問いいかな?」
「ええ、どうぞ」
「昨日の夕食のときに王様が、料理は元々人間の世界のもので、人間の夢を覗いて学んだって言ってたんだけど、あれはどういう意味?」
恒久は昨晩から引っ掛かっていた疑問の一つを尋ねた。
「おや、まだ見せてもらっていないのですね」
モールはそう言って羽織っているローブの内側から、手のひらサイズの透明な板を取り出した。
「それは?」
卜部が身を乗り出す。
「これは『白煙水晶』と言って、あなた方人間が見る夢を映し出せる水晶を加工したものです。近くへどうぞ」
三人がモールの周りを囲んだ。三センチ程の厚みの半透明の水晶板のなかで白い靄が渦巻いているだけのように見える。
「なにも映ってないよ」
「ええ。ですがこうすると……」
モールがその半透明の水晶板を両手で五秒ほど包み込み、開いた。すると白い煙がすーっと半透明の板から湯気のように立ち上ぼり、消えずにその場に留まったかと思うと、もぞもぞと動きだし、人のような形になった。そして徐々に輪郭がはっきりとしてくるとともに色づいて、二十センチほどの小さな一人の人間が水晶板の上に現れた。どこからどう見ても日本の女子高生だ。いや、中学生かもしれない。とにかくセーラー服を着ている。しかも絵に描いたようではなく立体的で、サイズが小さいだけの本物の人間が現れたように見える。目の前の状況に口をポカンと開けたまま一言も発っせないでいる三人をよそにモールが続ける。
「誰のどんな夢が見られるかは全くのランダムです。好きなものに囲まれた幸せな夢もあれば、トラウマから必死に逃げようとする夢もあります。さて、この方の夢はどんな夢でしょうか」
モールが話終えるのを見計らったかのように、水晶の上に白煙で形作られた彼女が歩き出した。水晶も一緒に動くわけではないため、ランニングマシーンの上で歩いているかのように見える。
一定のペースで歩く彼女の前に、白煙で形作られたドアが現れた。彼女がそれを押し開くと、ドアだった白煙はガラスのショーケースに姿を変えた。中には色とりどりの小さな ー 彼女には普通サイズの ー ケーキが並び、彼女がそれらを前に目をキラキラと輝かせているのが分かる。顔をほころばせながら目移りする様はとても幸せそうだ。
「うわぁ~、美味しそうなケーキ」
そう言ったのは白煙の彼女ではなく隣の倉本だった。目の輝きは白煙の彼女にも負けていない。
「ほう。これは……」
モールが水晶に手を伸ばし、指で円を描くように水晶の表面をなぞった。
「今のはなに?」
恒久が尋ねる。
「今のシーンを保存したのです。ケーキ自体はこの国でもたくさんの種類がありますが、なかに見かけないケーキがありましたので。後でピクトの本部に照合してもらうとしましょう。ですがまあ、この国の現状では新しい料理であっても描くのは難しいでしょうが」
料理を描くとはこの国は芸術も盛んなのだろうか。恒久はそれよりも他のことが気になった。
「その水晶は夢を覗くだけじゃなくて記録もできるの?」
「ええ。夢の長さにもよりますが、このサイズの白煙水晶では十個ほどの夢を保存できます。誰かに見せたりお気に入りの夢をもう一度見るのに便利なのです」
そう語るモールはどこか誇らしげである。
もしも、他人の夢を覗くなんてことが元の世界でも可能であったとしても、それは倫理的にもプライバシーの観点からしても決して許される行為ではないが、ことこの国、この世界に於いては、人間の夢を覗くことが生活の一部になってしまっているのだろう。それは僕たちがテレビを見たり、携帯電話やパソコンで動画を見る感覚とさほど変わらないのかもしれない。そう恒久が思案していると、水晶に映し出された女学生が靄に戻り、水晶の中に吸い込まれていった。
「この夢はこれで終わりのようですね」
モールが白煙水晶を手に取る。
「もう他にはないの?」
倉本がモールにおかわりを求めたが、モールは首を横に振った。
「いくらでも見れますが、残念ながらそろそろヴィンセント様の元へあなた方を案内せねばなりません。ではこちらへ」
モールと三人は部屋を後にした。モールはすぐそばの階段を上がり、ひとつ上の三階の廊下を進む。左右には先程までいた教室と同じような大きさの部屋がいくつも並び、中では様々な動物たちが何かしらの講義を受けている様子がガラス窓越しに見ることができた。突き当たりを右手に折れると直ぐにまた右手に折れる廊下が続いている。右手側の窓からは中庭が見下ろせた。どうやらこの左翼棟は逆Uの字の形に建てられているようだ。恐らく右翼棟も同じ造りだろう。
「ここです」
三人を連れたモールが立ち止まったのは、ちょうど逆Uの字の頂点辺りにある大きな両開きのドアの前だった。モールがコンコンコンと控えめにノックをすると中から「はい」と女性の声が聞こえた。
「モールです。人間の方々をお連れいたしました」
すーっとドアが内側に開き、中からリコレッタ王女が顔を覗かせた。
「お待ちしておりました。どうぞ中へ」
王女様に招き入れられた部屋は、壁に等間隔で灯された蝋燭の明かりだけが頼りの薄暗い一室だった。中央に一本の通路ができるよう左右に長椅子が五脚ずつ並べられているのが辛うじて窺える。まるで教会だ。そして通路の先にはろうそくの明かりでぼんやりと照らし出された一体の石像が鎮座している。それは昨日応接間で見た、女神様を象った置物、その石像だった。しかしこの石像は頭から足まで一メートル以上ある。
「お察しのとおり、こちらが女神様の姿を象った女神像です」
女神像の前で歩みを止めた王女様がこちらに向き直る。恒久たちも間近で石像を見た。女神と崇められている人間の少女の姿をした石像。この像が実寸大であれば、まだ十歳ぐらいだろうか。それを言葉もなく見つめる恒久は、何故か懐かしさを感じていた。
「どうかしたの?木下くん」
隣に並んだ卜部が尋ねる。
「え?いや、なんでもないよ」
「そう?でもやっぱりこの女神様、私たちと同じ人間だよね」
「うん。どこにも動物っぽさはないよ。
羽も角も生えていないし、耳も爪も僕たちと同じだ。口は閉じてるから牙までは見えないけど」
目を瞑り、胸の前で両手を組んで鎮座する女神像。穏やかな表情にはあどけなさも残っている。祈りを捧げられる存在である女神が誰に何を祈っているのだろう。
「もちろん君たちと同じ人間だよ。元々はね」
突然背後から声がし、三人は振り向いた。いつからそこにいたのか、何者かが一番後ろの長椅子に腰かけているのに気づいた。蝋燭の頼りない明かりに照らし出されているのは、何本もに枝分かれした立派な角を持つ鹿のような動物。角と声色から男だというのが分かる。その動物が二足歩行でこちらに近づいてくる。
「ご紹介します。こちらはヴィンセント。このアカデミーの現校長です」
「王女様より紹介いただきました、エウクラドケロスを祖に持つヴィンセントと申します。以後お見知りおきを。あなた方が人間の恒久殿に弥生殿にめぐみ殿ですな。お会いできて光栄です。なにせ人間をこの目で見るのは初めてでして。私の祖父は一度見たことがあると聞いていたのですが。ええ、祖父もこのアカデミーの校長を務めておりました。その話を聞いて以来、私も一目お会いしたいと常々願っておったのです。もちろん白煙水晶で人間の夢は欠かさず……」
「コホンッ」
三人の苦笑いに気づいた王女様の配慮によって、ヴィンセントの永劫まで続くかと思われた長話は遮られた。
「とまあ、挨拶はこのぐらいにして。あなた方も女神様の捜索に協力していただけるとか」
「え、ええ。それと恐らくこの世界にいる僕達の友達のことも」
恒久は自分達の当初の目的のことを忘れられないよう強く念を押した。
「心配せずともあなた方の御友人を探すのが我々の第一目標ですよ。女神様を探し出すには『女神の加護』を受けたとされるその方の協力が必要不可欠ですからね」
ヴィンセントは笑顔で優しく頷き、話を続ける。
「今日この後、蒼紺の鐘の後に開かれる会議にて、女神様の捜索並びに加護を授けられし者の捜索についての話し合いがあります。そこに私も、あなた方も出ることになりますが、その会議中にあなた方がこの世界や女神様について質問する時間はありません。そこで、あなた方に最低限知っておいていただきたいことを今から伝えましょう。この国、引いてはこの世界が直面している危機について」
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