2 薬草摘みとノラ

 「コリーナ。これでどう?」

 「うわぁ。こんなにいっぱい。凄いですねタケさん。飲み込みが早いです」

 太陽がてっぺんにかかる少し前、タケはコリーナの薬草摘みを手伝っていた。牙の国のエントランスを抜けて三十分ほど歩いた森のなかで、解熱と鎮痛効果のある薬草をタケはコリーナに見た目の特徴を教えてもらいながら摘みとった。慣れない内は見当違いの何でもない雑草や、よく似た毒草を摘んではコリーナを苦笑いさせていたタケだが、今では一時間足らずで背中に担いだ篭の半分ほどの量の目当ての薬草を摘みとれるようになっていた。

 「コリーナの教え方が上手いからだよ」

 タケは自分の二倍の量の薬草が入ったキユナのかごを見てそう言った。

 「薬草ってこんなに生えてるもんなんだな」

 「今はこの擦り傷や切り傷に効く薬草が繁る時季なんです。これでもまだ十人分程度にしかなりませんけど。細かくすり潰して薬となる成分を抽出する必要があるので」

 「うへぇ。大変だな」

 「ええ。一度休憩しましょうか。お昼も過ぎましたし」

 二人は薬草が入った篭を下ろし、木の幹にもたれるように腰を下ろした。森の中は涼しく、気持ちのいい風が吹いている。

 「はい、どうぞ」

 コリーナは右肩にかけた麻で編まれた袋の中から、海苔が巻かれた三角形のおにぎりを四つ取りだし、タケに二つ渡した。森へと向かう前に立ち寄ったデニス王国第四層に住む住民から、ルベルの薬のお礼にと貰ったものだ。本来ならこのおにぎりはルベルのものだが、今頃ルベルはお城でお昼を頂いているということなので、代わりにタケが貰うことになった。

 「何だが悪いな。俺なんにもしてないのに」

 「そんなことないですよ。こうやって薬草摘みを手伝ってもらっていますし。それにお師匠様は普段から少食なので全部は食べきれずに残しちゃうんですから」

 コリーナは激しく首を横に振りながらそう言った。

 「なら、ありがたくいただくよ」

 タケは改めておにぎりを見る。コンビニで売ってあるおにぎりより一回り大きい。これもコリーナお得意のカレーとシチュー同様、人間の夢を覗いて作り方を知ったのだろうか。

 「タケさん。タケさんも食べる前に女神様にお祈りしてみませんか?」

 「いいけど、どうするの?」

 「簡単です。両手を出してください」

 タケが差し出した両手をコリーナが握る。コリーナの手は暖かく、肉球の残るそれはぷにぷにとした触り心地で、タケは何故かどぎまぎした。

 「こうやって同じ食卓を囲む者同士で手を繋いで、目を閉じます。それから心の中でこうお祈りするのです」


 ーー 

   親愛なる女神様

   変わらぬ日々に感謝します

   変わらぬ恵みに感謝します

   あなたの変わらぬ愛に

   心からの感謝と変わらぬ愛を

                ーー


 「分かりましたか?」

 「ああ、やってみるよ」

 タケはゆっくりと目を閉じ、コリーナが唱えたように心の中で暗唱した。前半まで言い終えた。次は何だったか……。

 

『……して』

 

 (ん?)

 タケは何か聞こえたような気がして、途中で目を開けた。目の前にはまだ目を瞑ったままのコリーナの顔がある。タケはもう一度目を閉じて続きを唱えたが、次は何も聞こえてこなかった。目を開けると、少し遅れてコリーナも目を開いた。

 「さっき何か言った?」

 「いえ何も。お祈りの間は私語厳禁なので」

 コリーナがキョトンとした顔でタケをみる。やはり空耳だったのだろうか。

 「さあ、いただきましょうか」

 コリーナは袋の中から今度は竹の水筒とコップを二つ取りだし、水を注いでタケに渡した。

 「ありがとう」

 タケはコリーナからコップを受けとると、一つめのおにぎりにかじりついた。そしてその味と食感に、タケは目を丸くさせた。粘り気のあるお米は、一粒一粒がその形をしっかりと残しつつも口の中でホロホロとほぐれ、時間が経っても固くならないよう絶妙な力加減で握られたことが分かる。塩加減も、噛む度にお米の甘さが際立つよう計算されたかのように程よい。そして喉から鼻に抜ける海苔の香りが、とても心地よい。思わず二口目をかじる。すると口の中に今度は味噌の風味が広がった。甘じょっぱい味噌はお米と相性が抜群で、タケは夢中でおにぎりにかじりついた。

 「最高だよこのおにぎり。あっちでもこんなに旨いのなかなか無いよ」

 二個目を口に頬張りながら喋るタケを見てコリーナがはにかむ。

 「ふふ。ルッコラさんのおにぎりは美味しいと巷で結構評判なんですよ」

 タケは二個目のおにぎりの半分を飲み込むと、コップの水をごくごくと飲み干した。

 「これも夢で作り方を覚えたの?」

 「初めはそうでしょうね。でも今は各家庭でそれぞれの味や形があるほどポピュラーです。私の祖母が作るおにぎりの中には魚のほぐし身が入ってて、それも美味しかったです」

 遠くを見るようなコリーナの目が少し悲しみを帯びているように見えたタケは、慌てて話題を変えた。

 「どんな料理でも再現できるの?」

 「いえ。再現できているかどうかも私たちには分からないのです。白煙水晶は夢が覗けるだけで、味や匂い、食感などは分からないので」

 「じゃあどうやって再現した料理が正しい味か判断してるんだ?」

 「そうですね。夢の中でその人が一から作る行程が見れたら、形だけは再現できるのですが、行程が複雑だったり完成品しか夢に出て来なかったりすると、後は想像するしかないのです。なのでとんでもない味の料理が出来上がることもありますよ。中にはタケさんのような迷い人に食べてもらうことで、正しいと分かったものもあるようです。ですから再現したもののほとんどが、この世界オリジナルの味でもあるのです」

 「でもコリーナのカレーとシチューは完璧だったよ。あっちでレストランでも開いたら大繁盛するな」

 「そんなことないですよ。また作りますね」

 コリーナは照れくさそうに笑う。

 「具材なんかはどうしてるの?こっちでも同じ食材が揃うのかい?」

 「それはですね……」

 その時、タケとコリーナの頭上で木の枝がガサガサと大きく音を立てて揺れた。初めは突風でも吹いたのかと思われたが、揺れたのは頭上の枝だけだった。するとコリーナがいきなり立ち上がり、身構えるような姿勢を取った。

 「タケさん、動かないでください。物音を立てず、私の後ろに隠れて」

 コリーナには何かが見えているようだ。その顔はひきつっているように見える。

 二人ともそのままの姿勢で一分ほど経った時、再び頭上の木の枝が傾いだかと思うと、すぐに少し離れたところの木の枝がガサガサと揺れた。何かが遠ざかって行くように、木の枝の揺れる音が森の奥へ奥へと続いていく。

 「ふう……」

 ようやくといった具合に、コリーナがため息をついた。頬には一筋の汗が伝っている。

 「何だったんだ今の?」

 タケは立ち上がってコリーナに尋ねた。

 「恐らくですが……。あれはNORAです」

 「ノラ?」

 「ええ。『Nobodies of Rights and Against』。通称『NORA』。そのメンバーの一人でしょう」

 「う、うへぇ。俺、英語は苦手なんだ。結局何なの?」

 「直訳すると、『あらゆる権利と抵抗の意志を持つ名も無き集団』でしょうか。ノラはこの世界にある四つの国のどこにも属さない集団で、四国すべての転覆と統一国家の勃興を目論む危険な存在なのです。いわゆる反社会的勢力です」

 「反社会的勢力?」

 「そうです。そのメンバーはこの世界の至るところに潜んでいて、その数は数千人とも数万人とも言われています。彼らによる放火で、いくつもの村が全焼させられたこともありました。暗殺された方々も少なくないと聞きます。私たちの国デニスの国王ダガ様も一度、そのお命を狙われたのですが、運良く失敗に終わり助かりました。とにかく恐ろしい集団です」

 そう語るコリーナの険しい表情が、その集団の危険度を物語っていた。

 「でもよく分かったな。俺には枝が揺れたようにしか見えなかった」

 タケは再度頭上を見上げる。

 「私も見えたわけではありません。気配を感じたのです。危険な気配を」

 「気配?」

 「私の唯一の特技です。大したものではありませんが」

 「へえ。動物の勘ってやつか」

 「まあ、そんなとこです。さ、早く残りを食べてしまって街に戻りましょうか。ノラのことを衛兵に伝えないといけませんし」

 そう言われて初めて、食べかけのおにぎりを持ったままだったことに気づいたタケは、残りを口にぽいっと放りこんだ。


 「おや、おかえりコリーナ。それにタケ君」

 森から街に戻り、衛兵に森での出来事を伝えたコリーナとタケは、家に戻ったところでルベルと一緒になった。ルベルもたった今城から帰って来たところのようだ。

 「お師匠様もお帰りなさい。薬の件はどうなりましたか?」

 「うん。中で座って話そうか。コリーナ、お茶を淹れてくれるかい」

 三人は昨晩のようにキッチンの食卓を囲んだ。食卓にはコリーナが淹れてくれた緑茶と見たことのある米菓子が並んだ。

 「あの薬の生産だけどね」

 ルベルが口を開く。

 「先送りになったよ」

 緑茶を飲もうとするコリーナの手が止まる。

 「ど、どうしてですか?」

 「効き目が強すぎるようだ。初めは売れるだろうが、即効性がありすぎるがゆえに、皆繰り返し購入する機会が減って後々には売れなくなるということらしい」

 「それで、お師匠様は納得されたんですか?」

 「金儲けのために作ったんじゃないけど、一理あると思ってね」

 「そんな。また効能を薄めた模造品が出回って、それで潤うのはいつもあの人の懐なんですよ」

 コリーナは苦虫を噛み潰したような顔をした。

 「国民達の手元に届けば、それでもいいのさ。それに功績は認められたから、ダガ様から研究費は頂けたよ。これで当面は大丈夫さ」

 コリーナとは反対にルベルは至って落ち着いた様子だが、話に加われないタケでさえその内容に不満を覚える。ようは、国がはした金でルベルの研究成果を横取りしたということだ。本当にそれでいいのだろうかとタケは思ったが、部外者の、ましてや違う世界から来た自分が口を挟むことではないと思い直した。

 「わかりました。お師匠様がそれでいいなら、私は構いません」

 「うん。この話は終わりにして、森ではどうだった?」

 「それが実は……」

 コリーナは森であったことの一部始終をルベルに話した。

 「ふむ。ノラのメンバーが単体で動いていたということは、あまり穏やかな話じゃないね」

 「ええ。先程伝えた衛兵の方もそう言っていました。もう王様の耳にも入っているでしょう」

 「一人ぐらいならどうってことないんじゃない?ノラってそんなに強いヤツらなのか?」

 タケは分からないなりにも必死に話についていこうとして尋ねた。

 「ノラのメンバーが一人で動いているということは、そいつは斥候兵だろう。単に国内や城内の様子を探っていただけかもしれないし、もう一度国王の暗殺を企んでいるのかもしれない。どちらにしても街は慌ただしくなるだろうね」

 ルベルは伸びすぎた顎髭を撫でながらそう言った。

 「でも、どうしてすぐに去らなかったんでしょうか。姿は見えませんでしたが、私たちのことをじっと見ているようでした」

 「ふむ。タケ君は変装してたのだろう?」

 「もちろん。朝から一度も外してないよ」

 「変装がばれたのでしょうか?」

 「そうかもしれないし、木の上でただ休んでいただけかもしれない。何にしても用心するに越したことはないね」


 陽が傾きかけた頃、ルベルが言った通りデニスの街は騒々しいほどに慌ただしくなった。街中を幾人もの甲冑を着けた兵士が巡回し、各家々を訪ねて回る様子があちらこちらで見られた。ルベル曰く、他にもノラが紛れていないか、怪しい者や噂がないかを探っているようだ。

 「この家にももうすぐ兵士が来るだろう。打ち合わせ通り、タケ君は薬草学を学びに角の国から来たことに。今タケ君が人間だと知れたら厄介だからね」

 「どうして?」タケが尋ねる。

 「この状況でタケ君が人間だと知れると要らぬ混乱を招くばかりか、ノラとの関係性を疑われるだろうね。そうなると……」

 ルベルの話の途中で、コンコンと扉がノックされた。コリーナがゆっくりと扉を開ける。扉の前には二人の兵士が立っていた。

 「これはコリーナ殿。ルベル殿は既にご在宅かな?」

 屈強な体格をした兵士は腰を少し屈めてコリーナに尋ねた。

 「はい。少々お待ちください」

 タケの目の前をコリーナが通りすぎる。二人の兵士はルベルの研究室兼居間に一歩足を踏み入れる。タケはというと、その研究室兼居間の机に積まれた書物に隠れるようにして、読めもしない薬草学の研究書を開いて、ごく自然に勉学に励むふりをしていた。

 「ん?君は……」

 兵士の一人がタケに気づいた。タケの心臓が波打つ。一滴の冷や汗が背中を伝うのが分かる。いや、大丈夫だ。バレるはずがない。変装もしているし……。

 「見かけない顔だな。その頭の角からして、コニア王国から来たのか?」

 「は、はい。薬草学を学びに」

 タケは努めて冷静に答えた。

 「ほう。名前は?」

 兵士が詰め寄る。威圧感が凄い。

 「タケです」

 本名の稲井武政ではこの世界に似つかわしくないと思い、咄嗟にそう名乗った。

 「変わった名だな。許可証を見せなさい」

 許可証。もちろんタケはそんなもの持っていない。

 「どうした。入国許可証だ。まさか持っていないのか?」

 兵士の声に明らかな不信感が混じる。どうする。入国許可証なんて聞いてないぞルベル。というより、いつの間にかルベルがいない。それにコリーナも。

 「何故黙っている。怪しいな……」

 「いやいや、お待たせして申し訳ない」

 兵士がにじり寄り、今にもタケの胸ぐらを掴もうというタイミングでルベルとコリーナが現れた。

 「これはルベル殿。急にお邪魔して申し訳ない。して、この若者は?コニア王国から来たというが、入国許可証を見せていただきたい」

 「ああ。ではこれを」

 ルベルは胸のポケットから一枚の紙を取り出して兵士に見せた。

 「……確かに、コニア王国とデニス王国の印がありますな。いや、これは失礼を。何せ今は厳戒態勢でして」

 「うん。ノラが出たらしいね。コリーナから聞いたよ」

 「ええ。それでこちらにはコリーナ殿に、当時のことをさらに詳しく聞きに来た次第でして」

 「そうでしたか。ではこちらへ。と言っても衛兵の方に話したことで全部ですよ」

 コリーナはそう言うと、二人の兵士を伴って隣のキッチンへと入って行った。

 数分して、コリーナと二人の兵士がキッチンから出てきた。

 「申し訳ない。夕食の準備で忙しい時にお時間を取らせてしまって」

 「いえ、お国の役に立てるのならいつでも喜んで。宜しければお二人も夕食を食べていきませんか?」

 コリーナは笑顔でそう答える。

 「嬉しいお誘いですが、まだ職務が残っていますので。是非ともまたの機会に。それではルベル殿、コリーナ殿」

 一礼して、二人の兵士はルベルの家を後にした。

 「ふう。なんとかやり過ごせましたね」

 兵士達が見えなくなるのを窓から伺っていたコリーナはホッと胸を撫で下ろした。

 「俺はもうダメかと……。ルベル、あの許可証はどうしたの?」

 「ああ。コニア王国とデニス王国の印が押された似たような書類があったからね。偽造したまでさ。騙せるかどうかは、半々だったけどね」

 ルベルは至って冷静にそう答えた。偽造って、いいのか?それに、偽造可能な都合のいい書類って何だ?

 「緊張したらお腹が空きましたね。すぐに夕食にしますので、少し待っててください」

 そう言われてタケの胃がぴくっと反応した。確かに腹ペコだ。窓の外を見ると朱色の太陽が沈み始めていた。ロストノアと呼ばれる世界に来て三度目の夜。元の世界へ戻る方法を探すのに必死になっていない自分に、タケは内心驚いていた。

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