4 捜索と大楠
タケがいなくなってから三日が過ぎた。恒久はその間、公園や図書館、隣町のゲームセンターなど、タケとこれまでに一緒に行ったことのある場所はすべて探した。と言っても、二人で一緒に旅行に行ったことはないので、自転車で行ける範囲に絞って探したが、成果は得られなかった。
漸く昨日から警察が捜索に乗りだし、二人のクラスにもタケが失踪したことが二見先生から告げられた。複数の生徒が同じ症状で休んでいることは伏せられたままだ。因みに周囲の噂では新種のウィルスというのが有力らしい。
「あの、木ノ下くん」
放課後、同じクラスの倉本めぐみが声をかけてきた。
「心配だよね。稲井くんのこと」
倉本は陸上部のマネージャーでもあるので、恒久もタケも仲は良い。
「うん。今日も放課後探すつもりなんだけど」
「わ、私も一緒に探しちゃダメ、かな?」
一瞬の沈黙。
「え?ああ、うん。もちろん、助かるよ。でも正直もうどこを探せばいいか……」
心当たりは探し尽くしてしまった。
「そう、なんだ……。じゃ、じゃあ陸上部のみんなにも手伝ってもらおうよ。木ノ下くんが探したところ以外で稲井くんが行きそうなところ。みんなで出し合って手分けすればきっと」
確かに探す人数は多いにこしたことはない。だが、陸上部のメンバーのほとんどは長くても中学からの付き合いで、僕以上にタケと付き合いが長いメンバーがいるとは思えないが……。
「ほら、とりあえず部室行ってみよ!」
倉本に背中を押されながら、恒久は半ば強引に部室に連れていかれた。
陸上部の部室に着くと、グラウンドの手前で二年と一年がストレッチをしているところだった。夏のインターハイが終わってから三年は、高校受験でほとんど顔を見せない。
「部長~、ちょっといいかな?」
「あ、めぐみ~遅刻よ。てか私まだ正式には部長じゃないんだけど」
倉本が話しかけたのは卜部弥生(うらべやよい)。同じ二年生で次期陸上部キャプテン。倉本とは小学校からの親友である。走るときに邪魔にならないようにとショートヘアにしており、それがよく似合っている。背も高く手足もスラッとしている。
「ま~堅いこと言わず~。あ、それでね……」
倉本がタケの捜索を提案している。
「二年集合!一年はそのままストレッチ続けて」
二年生が卜部の元へ集まる。卜部のリーダーシップは既に開花しているようだ。今ここにいる二年生は僕を含めて八人。あの症状で休んでいる岩辺を除いた全員だ。
「木ノ下くん、みんなにも詳しく話してくれる?」
恒久は、みんなにタケが消えた日のこととこれまでにタケを探した場所を伝えた。
「タケが連絡も無しに急にいなくなるなんて考えられないんだ。もしかしたら何か事件に巻き込まれたのかもしれない。警察も捜してくれてるみたいだけど、だからってじっとはしてられない。でも、僕が思い当たるところは探し尽くしてしまったんだ。だから……」
「いいぜ」
割って入ったのは砲丸投げのエース、谷崎隼人(たにざきはやと)。ガッチリとした体型で広い肩幅を持つ如何にもなスポーツマンだが、普段は口数は少ない。
谷崎の言葉が鶴の一声のように、残りのみんなも恒久が具体的にどうして欲しいか伝える前に、次々と同意を示してくれた。
「満場一致でみんなで稲井くんを探すことにはなったけど……」
キャプテンの卜部がみんなを宥める。
「来月に控えてる全国大会のことを考えると練習をしない訳にもいかないし、コーチに理由を話しても、警察に任せて練習しろって言われるのが目に見えてる」
確かにそうだ。やっぱり僕だけで探すしか……。
「だから練習メニューを変えるわ。全員の持久力アップを名目に外周を走るの。学校からあまり離れるわけにはいかないけど、複数のコースに散らばればかなりの範囲を一度で探せると思うの。どう?」
卜部は皆をぐるりと見回す。
「さっすが部長!抜群のアイディア!」
倉本が卜部の脇腹を小突く。周りも異論は無いようだ。
「みんな、本当にありがとう」
恒久は少し目頭が熱くなるのを感じた。
程なくして外周のコースが決まった。恒久が既に探したルートや場所は極力避け、学校を起点にした四つのルートを一年生八人と二年生を合わせた十六人が四つの班に分かれて走る。恒久のグループにはキャプテンの卜部弥生、砲丸投げの谷崎隼人、マネージャーの倉本めぐみが加わった。
恒久たちが通う高校は小高い山の中腹に建てられている。そこから四方に分かれるようにコースが設定された。恒久たちのグループは北側、校舎の裏の森の遊歩道を抜けてから南側にある学校の正門まで、山の麓の道を一周するコースだ。
「じゃあみんな五分後に正門に集合。私はコーチに練習メニューの変更を伝えてくるから」
そう言って卜部は職員室に向かった。
きっかり五分後、みんなが正門でコースの再確認をしながら軽いストレッチをしているところに卜部が現れた。
「みんなコースは覚えたわね。この外周の目的は稲井くんの捜索だけど、決して無理はしないこと。タイムリミットは今から二時間。遅れないようにね。それじゃあ各グループ、スタート!」
卜部の合図でみんなが一斉に走り出した。恒久達は裏の森に向かうが、他のグループは正門から百メートル程同じ道を下ってから各々のコースに分かれる。
恒久は一縷の望みと感謝を込めて、少しの間彼らの後ろ姿を見送った。
「めぐみ。あんた本当にそれ持ってくつもり?」
倉本が乗っている自転車を見て卜部が呆れた顔をしている。
「うん。だって私マネージャーだよ。みんなみたく走れないよ」
「でも森の中は乗って走れないじゃん。でこぼこのとこあるし、階段あるし」
倉本の顔が曇る。そこは念頭に無かったようだ。
「だ、大丈夫だよ。何とかなる。たぶん……」
「俺が持つ」
谷崎が短く言い放つ。
「え、いいよいいよ。だって重いよ」
「足腰を鍛える良いトレーニングになる」
谷崎は倉本に惚れている。それは周知の事実だ。ただ本人は周りにはバレていないと本気で思っている。
倉本は一言で言うと可愛い。肩上で内側にカールさせた栗毛色の髪にクリっとした大きな瞳。ぷっくりした唇に笑うとできるエクボ。ファンは大勢いるが、ドか付く天然。そのためか、倉本も谷崎が自分に気があるとは微塵も思っていないようだ。『谷崎のお堅い性格という壁を倉本の天然の柔らかいオーラが包み込んで溶かしたんだろうな』と以前タケが言っていた。的を得ている。と思う。谷崎が倉本に好意を持っていると一番に気づいたのもタケだった。
「ったく。相変わらず谷崎くんはめぐみに甘いんだから」
「そ、そんなことはない」
谷崎よ。バレてるぞ。
「ありがとう。谷崎くん」
倉本が満面の笑みを投げ掛ける。谷崎よ、お前は電気ケトルか。
十分も走ると森の入り口が見えてきた。この森はそれほど大きくはないが、中心付近には高さ約五十メートル、樹齢千五百年とも言われる楠の大木が鎮座しており、昔から神聖な場所として周辺地域の住民から『大樹の森』と呼ばれ親しまれている。この辺りの子どもなら、学校の遠足や地区の行事などで幾度となく訪れる通い慣れたスポットだが、今は平日の夕方ということもあり、人気は無く静まり返っている。ここからはなだらかな登り道になっているが、ハイキングコースでもあるので地面は綺麗に舗装されている。まだ谷崎の出番はない。途中にはテニスコート二面程の大きさの溜め池があり、散策コースとしてそれを囲うように楕円形の木製の橋が渡されている。
「木ノ下くん。確認だけど大楠様の方はもう探したんだよね?」
卜部が少し速度を落とし、後ろを振り向いて言う。卜部は大楠に『様』を付けるのか。
「うん。タケがいなくなった日の放課後に一人で探しに来たんだけど……」
あの時も誰ともすれ違わず、静けさだけが立ち込めていた。
「そっか。じゃあ今日は別ルートで行く?」
ただ登って下るだけならほとんど一本道なのだが、大楠と溜め池に行くには途中で脇道に逸れなければならない。
「いや、ダメ元でももう一度探してみるよ」
大楠がある場所は二人にとって、いや希未子も含めて思い入れのある場所だ。まだ希未子が元気だった頃、よく三人で晩御飯の時間まで遊んだ。といっても足の早いタケがいるので、走る必要のないかくれんぼが定番だった。あれは確か希未子が五歳の頃、梅雨が明けてセミが鳴き出す、少し汗ばむ午後だった。その日もいつもと同じように三人でかくれんぼをしていた。見つけては見つかってを何度か繰り返し、タケが鬼の番になった。希未子はかくれんぼが下手というより、どういう訳か見つけられたがった。だから毎回一分とかからず鬼に見つかり、鬼と二人で最後の一人を探すというのがお決まりのパターンだった。だがその時はタケが最初に恒久を見つけ、その後五分、十分と二人で探し続けても希未子を見つけられず、いよいよ二人とも本気で焦り始めた。そして十五分ほど経ってどちらかが大人を呼びに行こうとしたとき、希未子がひょっこりと大楠の後ろから現れた。不安と焦りで嫌な汗をびっしょりかいた二人の前で、希未子が何事も無かったかのようにきょとんとしているのを鮮明に覚えている。どこに居たのか聞くと、希未子は涙目になりながらずっとここにいたという。少し語気が荒かったのかもしれない。そんなことがあっても希未子は大楠の近くで遊びたがった。希未子曰く『安心する』のだと。
森の入口から十分ほど登ると、一メートルぐらいの高さの標識が見えてきた。左向きの矢印に『大楠まで約百メートル』と書かれている。途中の溜め池までは二、三分の距離だが、まずは五十段ほどの階段を登る必要がある。やっと谷崎の出番だ。
「ありがとう、谷崎君。気を付けてね」
倉本は軽々と自転車を担ぐ谷崎に笑顔を向ける。谷崎は黙々と階段を登っていく。ここからは窺えないが、顔を赤らめているに違いない。
階段を登りきり少し進むと溜め池が見えてきた。いつもの見慣れた景色。だが何故だろう。ほんの少しの違和感。
「何だか静かね」と卜部が呟く。
違和感を覚えたのは恒久だけではなかった。そう、静かすぎるのだ。人気がないのは珍しいことではない。音がしないのだ。鳥のさえずりも虫の鳴き声も葉の擦れ合う音さえも。まるで周囲の全てが息を潜めるかのように静まり返っている。
不安を抱きながらも一行は先に進み、大楠が見えるところまで来た。空気が張り詰める。一行の足が止まる。神聖な場所は他と空気が違って居心地の良い緊張感と静けさがあるが、ここはそんなものじゃない。触れてはならない、一切を拒むような冷たい空気が辺りを包んでいる。
「寒気がする……」
倉本が自分を抱き締めるように両腕を擦る。まだ九月の半ば。汗をかくことはあっても、肌を擦るほど寒気を感じることはまず無い。
「おい、あれ……」
いつでも平常心の谷崎が上ずったような声をあげた。谷崎が指差す方を見る。大楠。その根本が大人が腰を屈めずとも裕に潜れるほどに大きく穿たれている。
「何?あの大きな穴」
卜部がそう言いながら大楠にゆっくり近づいていく。みんなもそれに続く。パキッ。背後で木の枝が折れる音がした。悪寒が走る。全員が振り向く。背後に立ち並ぶ木陰。そこに奇妙なモノが佇み、じっとこちらを窺っていた。
「きゃっ!」
倉本が初めて見る奇妙なモノに短い悲鳴をあげた。二メートルは裕に超える目の前のソレは、ボロボロで黄ばんだ布を腰に巻いている。上半身は裸だが、全身を厚い体毛が被っており、一見するとゴリラを思わせる容姿だが、体が球体に近いほど異様に丸い。そして一際ソレを異様に見せているのが、唯一体毛が生えていない腹部。そこに眼が二つ、鼻が一つ、口が一つ。どう見ても人の顔を思わせるパーツが付いている。ソレがこちらを見てニヤっと笑っているのだ。
「ほう。持たざる者が四人もいるじゃねぇか」
その風貌には似合わない不気味なほどに甲高い声。それは腹部からではなくその上の、サッカーボールほどの大きさの頭から聞こえてきた。ナイフで切り込みを入れたような鋭い目に顔の半分を占めるかのような大きな鼻。上に尖った耳。しゃくれた下顎からはイノシシを思わせる長い牙が生えている。明らかに人ではない何かが、人の言葉を話している。
「どう思うよゴルジ。あの中にいる気がしねぇか?」
頭部が、腹部に向かって話しかけている。
「ヴ~」
頭部とは反対に、腹部が発した音は腹の底から響くような重低音。腹の虫が鳴いているようにも聞こえる。
「お前もそう思うか。よし!この際四人とも持って行くぞ。そうすりゃ前の失敗も大目に見てくれっかもしんねぇ」
とても奇妙で危険なやり取りの間、四人は身動きひとつ取れないでいた。ソレから漂うオーラのようなものがそうさせてはくれなかった。
「みんな、動けるか?」
谷崎が小声で話す。その声で少し金縛りが解けたようだ。
「少しずつ後退してから逃げるんだ。俺が囮になる」
「そんな、危ないよ!」
倉本が必死に止める。
「俺は大丈夫。それにアイツは動きは鈍そうだ。俺の合図で一気に走り出せ。倉本さん、自転車だけ借りる」
こんなに饒舌な谷崎は初めて見る。不安を隠すほどの気迫が谷崎から伝わってくる。
三人は谷崎の後ろに下がり、少しずつ後退していく。目の前のソレも独り言のような話を止め、短い足でゆっくりとこちらに近づいてくる。
楠に空いた大穴が、後退する三人のすぐ後ろまで近づく。もう下がれない。
谷崎とソレの間が五メートルほどになった。そのとき、谷崎が担いでいた自転車をソレに向かって勢いよく投げつけた。
「今だ!」
谷崎の合図とともに三人が走り出そうとした瞬間だった。ソレは投げつけられた自転車を横に避け、その体型からは想像もつかないスピードで谷崎の目の前まで来ると、そのままの勢いで谷崎にぶつかった。
「ぐぁっ!!」
谷崎はその反動で真後ろに吹っ飛び、走り出す間もなかった三人にぶつかり、まるでボーリングのピンが倒れバックヤードに消えるように、恒久達四人は大楠に空いた穴に吸い込まれていった。
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