3 忍び寄る者と消えた者
日の光の届かない深緑を、奇妙な生物が辺りの暗さも突き出た枝葉も気にもせず歩いている。虫の鳴き声も鳥の羽音も獣の息づかいも聞こえない静まり返った森に、黒板を爪で引っ掻くような不快な音が響く。
「おいゴルジ!間違えたら俺達がどうなるか分かってるよな?」
「ヴ?」
兄の問いにゴルジはだみ声で答える。
「バカヤロー!オメェ見ただろ?俺達の前の奴らがバカやらかしてソッコーで首を跳ねられたのを!」
兄のドルジはそのときの光景を思いだし身震いした。
「ヴ~」
「そうだろう?俺だって嫌だ。だから絶対にヘタこく訳にゃあいかねんだ」
ドルジはどこからか一枚の紙を取り出した。
「年齢十六才。性別は男。こいつを探しだして主様んとこ連れてかなきゃなんねぇ。にしても……」
ドルジは紙をヒラヒラさせながら、
「もう少しまともな情報はないのか?場所は絞られてるっつっても、こんな奴何人いるか分かったもんじゃねぇ。名前とか顔の特徴とか、もちっと識別できる情報を寄越せってんだ。これだけじゃいくら首があっても足んねぇぞ。ゴルジよ、兄ちゃんがいなくても一人で生きてけるか?」
「ヴ、ヴ~」
「そうだろう。そうだろう。俺だって死にたくねぇ。なら必死にしらみ潰しに探すぞ。それに何も一人だけしか連れてきちゃいけねぇって決まってる訳じゃねぇんだ。条件に合った奴等を手当たり次第捕まえりゃ何とかなるだろ」
二匹で一人前の怪物は一本の巨木の前で足を止めた。
「よし、ゴルジ。準備はいいか?」
「ヴ」
ゴルジはそう答えると、巨木を穿った大きな虚に吸い込まれるように入っていった。
*
岩辺の家を訪ねた次の日の朝、いつもの時間になってもタケは現れなかった。毎度眠そうに迎えに来るタケだが、今まで遅れたことは一度もなかった。風邪を引いたなら連絡ぐらいあるはずだ。タケの家に電話をかけようと受話器に手を伸ばそうとしたと同時に電話が鳴った。受話器を耳に当てる。
「あ、恒久くん。うちの子、もうそっちに着いたかしら?」
タケのおばちゃんからだった。
「いえ、それが来てないんです。僕もちょうど電話しようと思ってたところで」
「あら、本当?おかしいわね。朝起きたらあの子もう部屋にいなくて。部活の朝練があるとも聞いてなかったけど、いつもより早く恒久くんの所に行ったのかなと思って。じゃああの子、どこに行ったのかしら」
やっぱりおかしい。こっちに来る途中でタケに何かあったのだろうか。
「僕、探してみます。学校が始まるまでまだ時間があるので」
恒久は学校の準備をして、自転車でタケの家から恒久の家までの道を探すことにした。タケの家から恒久の家までは歩いて十五分。途中で橋をひとつ渡らなければならないが、ほとんど一本道でこれといった寄り道をする場所もない。タケがこっちに向かっていれば出くわすはずである。
だが、結局見つけられないままタケの家に着いてしまった。玄関のチャイムを鳴らすとおばちゃんが出てきた。
「タケ、いませんでした」
おばちゃんの顔が曇る。
「全くどこ行ったのよあの子は。ごめんね。恒久くんは学校に行きなさい。学校と一応警察にも届けてみるわ」
タケはどこに行ったのか。学校に着いてクラスのみんなにも部活の仲間にも聞いてまわったが、誰もタケのことを知らなかった。昨日、岩辺の家を出てからタケは珍しく考え込んでいるようだったが、恒久の家でケーキを食べていたときはいつものタケに戻っていた。夕飯前には家に戻り、しっかりと御飯をおかわりし、風呂に入り、十時には自室に戻ったとタケのおばちゃんが言っていた。その間も特に変わった様子はなかったようである。ということはタケは自室に戻ってから次の日の朝、おばちゃんが気づくまでに居なくなったことになる。夜中に家族にばれずに抜け出したのか?だけど理由は?事故や誘拐も可能性としてあるが、事故ならさっき探しているときに何らかの異変に気づいただろうし、誘拐なら金持ちでも腕利きのハッカーでもない、ごく普通の男子であるタケを狙う理由が全く想像できない。二年の男子生徒ばかりがあの症状で学校を休んでいることと関係しているのだろうか。だとしたらいったいどんな関係が。
黙々と恒久が熟考していると、始業のチャイムが鳴った。ホームルームで担任の二見先生から、タケは風邪で休みだとクラスには伝えられた。そんなはずはない。だがその事を知っているのはこの教室では二見先生と恒久だけだろう。何もわからない状況で生徒を不安にさせないためだろうが。
ホームルームの後、教室を後にした二見先生に恒久は廊下で声をかけた。
「こっちへ」
先生は待ち構えていたかのようにそう言って、少し離れた誰もいない視聴覚室に入った。
「今朝、稲井のお母さんから連絡があった。稲井を探してくれたそうだな」
「はい。でも何もみつけられなくて……」
タケが急にいなくなった理由も痕跡も。
「先生はこれから稲井の家に行って、親御さんにもっと詳しく話を聞くつもりだ。警察は稲井の捜索について検討しているところみたいだが」
「検討?どうして警察は今すぐ探してくれないんですか!」
自然と語気が荒くなる。
「先生も学校に来た警察にそう言ったんだがな。ただのずる休みや思春期の青年のよくある家出の可能性もあるから、すぐには警察も動けないそうだ。今のところ事故や事件の情報も入って来ていないから、と」
「そんな……」
タケが学校をずる休みするなんてあり得ない。授業中に居眠りはするが、風邪を引いても部活中に腕の骨を折った翌日も学校を休まなかったタケが。あり得ない。
「何事にも慎重なお前のことだから心配はないだろうが、この事は周りの友達には黙っておいてくれよ。まだ何もかも不確かなんだから」
何もかも……。
「先生。実は……」と、恒久は一昨日タケと職員室の前で立ち聞きしたことを話した。
「そうか。噂の出所はお前たちだったのか」
「違います!もう一人一年生の女の子がいて……」
「まあいい。聞かれていたなら黙っていてもしょうがないな。うちの生徒が何人も学校を休んでいるのは事実だ。さっき言った警察はその事について聞きに来ていたんだ。稲井の失踪、いやこの表現はまだ早いか。稲井の件とは無関係だとは思うがな」
確かに何人もの生徒が眠ったままのこととタケがいなくなったことを結び付けるのはかなり強引だろう。
「おっと、もう次の授業が始まるぞ。稲井のことは一先ず警察の判断に任せよう。お前も心配だろうが無茶はするなよ」
そう言って、二見先生は教室を出ていった。誰もいない教室に一人取り残された恒久は強い憤りを感じていた。
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