2 噂と異変
「ねぇお兄ちゃん。これ見て」
希未子が一冊の本を抱えながらリビングをトタトタと駆けてくる。希未子が見せてきたのは先日誕生日プレゼントに買ってもらったばかりの図鑑だった。タイトルは『絶滅した生き物たち』。
「キミねきのう夢の中でこのコに会ったの」
ページを捲り、希未子が指差したのはフクロオオカミという既に絶滅した動物だった。
「ふーん」
朝のアニメに夢中だった僕はそうそっけなく返した。
「それでね、一緒におしゃべりしてね、ケーキも食べてね、それがと~っても美味しかったの」
希未子はお構い無しに夢の内容を話すが、僕がだんまりを決め込むと少し不満げな表情になり、「ママ~」とキッチンで朝御飯の準備をしている母のところに図鑑を持っていった。
今朝見た夢はそんな感じだった。久しぶりに母や妹の夢を見た気がする。暗い気持ちになるので普段は極力考えないようにしているのだが、やっぱり寂しい。たぶんあれは希未子が四歳の頃の記憶だ。それにしても、どうして希未子は誕生日に絵本やぬいぐるみじゃなく、図鑑なんて買ってもらったんだろう。そう思いながら朝食のヨーグルトを食べていると玄関のチャイムが鳴った。タケが来たようだ。
学校に着くと案の定昨日の噂でざわついていた。タケを問い詰めると彼は誰にも喋っていないと言う。
「部活終わってから家に帰るまでずっとツネちゃんと一緒だったじゃん」
確かにそうだった。
「じゃあ誰が?」
「もう一人いたっしょ」
あの一年生か。もう一人噂好きがいたとは。
「ねぇねぇ。あの噂もう聞いた?井田君たちが休んでるの何かの呪いかもしれないんだって!」
恒久の肩越しに話しかけてきたのは同じクラスの古川明美。ショートカットで眼鏡を掛けた小柄な女子だ。もう既に噂に尾ひれがついているようだ。しかもその尾ひれはあらぬ方向を向いている。
「その話、言いふらさない方がいいぜ。嘘だから」とタケ。
「なんでわかるのよ?」
明美は少し驚いている。
「だって……」
恒久はタケの脇腹を小突いて、
「だってイマドキ呪いなんかそんなの嘘っぽいだろ?行こうタケ」
恒久はタケを引きずり、その場から逃げるようにして立ち去った。
人気の無い外階段まで歩いた。始業のチャイムまではまだ五分ほどある。
「どうしたんだよ、ツネちゃん?」
タケは不思議そうな顔をしている。
「さっき僕らが先生たちの話を聞いた張本人だって言おうとしたろ?」
「そうだけど?」
「あそこで言ったら僕ら針のむしろじゃないか。もっと詳しく聞かせろってみんなが押し掛けてくるぞ。それにそうなると先生たちに怒られるのは僕らなんだ」
「あ、そうか」
タケは本当に今気づいたようだ。
「それにしても不思議だよな。タケはどう思う?」
「何が?」
「みんなが休んでる原因さ」
「ただの風邪っしょ」
昨日の興奮はどこへやら。タケはあっけらかんとしている。
「でも昨日先生たちは原因はインフルエンザじゃないみたいなこと言ってたぞ?」
「あ~そう言えば。じゃあツネちゃんの考えは?」
恒久はタケに聞き返されて少し困った。先生達が言っていた通り偶然とは思えないが。
「分からない」
「だよな~。じゃあさこの際会いに行ってみないか?」
意外な提案。
「誰に?」
「そうだな、岩辺とか」
確かにそれが一番手っ取り早いし、岩辺の家なら部活帰りにタケと何度か行ったことがあるから会いに行きやすい。だが果たして岩辺の家族が会わしてくれるだろうか。
「何かお見舞い持っていこう」
始業のチャイムが鳴った。
部活が終わり、二人は駅前のケーキ屋に寄って、イチゴのショートケーキとチョコケーキを二つずつ買った。確か岩辺の家は両親と弟の四人家族だ。タケは俺達の分だと言って別に三つ買っていた。
岩辺の家に着き、玄関のチャイムを鳴らすと程なくして「はい」と岩辺のおばちゃんの声がした。
「木ノ下と稲井です。同じ陸上部の。岩辺くんのお見舞いに来ました」
返答がない。タケと顔を見合わせる。僕たちのことを覚えていないはずはないと思うのだが。二人がもう一度チャイムを押すべきか悩んでいると、スピーカーから声がした。
「あなたたち学校の先生からは何も聞いていないの?」
おばちゃんの声色はどこか不安げに聞こえた。
「えっと、何のことですか?」
恒久の脳裏には昨日の先生たちの会話がよぎった。
「そう。まあ伝えようがないわね。でもせっかく来てくれたんだから、息子に会ってあげて」
そう言って、おばちゃんは玄関のドアを開けて、二人を中に入れてくれた。
玄関を入ってすぐの階段を上がり、二階にある岩辺の部屋の前まで来ると、おばちゃんはドアを背にこちらを向いて言った。
「驚かないでちょうだいね」
どういうことか聞く前にドアが開かれて、二人は部屋の中へ通された。六畳ほどの広さに学習机とベッドが置かれ、そのベッドの上に岩辺が寝ていた。だがなぜだろう。ただ眠っているだけのようには見えない。
「お~い岩辺。見舞いに来てやったぞ」
タケの声にも岩辺は起きる気配がない。
「おばちゃん、岩辺はどうしたんですか?」
おばちゃんは目に涙を浮かべていた。
「大丈夫。生きてるわ。でも、昨日からどれだけ声をかけても体を揺さぶっても全く目を覚まさないの」
「どうして?」
「分からないのよ。でもお昼頃に学校の先生たちが来て、同じような症状で学校を休んでる生徒が他にもたくさんいるって言ってたわ。みんな病院で診てもらったようだけど、それでも原因は分からなかったみたい。そのまま全員入院しているそうよ。この子もこれから病院に連れていくところなの」
二人はお見舞いの品だけ渡して岩辺の家を後にした。最後まで岩辺のおばちゃんは目に涙を浮かべていた。
タケは普段滅多に見せない神妙な顔をしている。
「ツネちゃんはどう思う?」
「どうって言われても」
原因不明の症状。二人が通う高校の二年生の男子限定という、あまりにも不可解な偶然。
「タケはどう思うの?」
「俺も分かんないよ」
「だよね」
結局謎が深まっただけだった。
午後六時。沈みゆく太陽は何かを暗示しているかのように真っ赤に染まっていた。
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