第4話 赤い糸と黒い糸は堅く結び合う(1)

 最高な夢を見ていたのよ。枢木教官がね、私に接吻してくれる夢。そればかりか、私の事を好きって。愛しているって言ってくれたの。とても最高過ぎる夢だったの。


 だからもう一度まどろみたい。と、薫は懇願するが。その意志に反して、瞼はゆっくりと開き、甘い心地に漂っていた全てを現実に還らせた。


 ……目が覚めちゃった。

「嗚呼、最悪」

 開かれた視界にくっきりと映ってしまう現実に、薫は悔しげに呻く。


 この禍々しい象形文字がびっしりと連なった天井、間違いないわね。ここ、土御門宗家にある私の部屋……花牢はなろうだわ。


 薫は「本当にもう」ともう一度呻いてから、目元にバシッと片手を当てた。


 すると「お目覚めですか、お嬢様」と、柔らかな声がかかる。


 とても聞き馴染みのある声に、薫は目元を覆っていた手を少し下げて、そちらを伺った。

 見ると、いつもの様に美しい着物を纏った葛の葉が「此度は思ったよりもお早うございますよ」と手にしている盆を枕元に置いて言う。


「どれくらいなの?」

「五日でございます」

 薫は淡々と告げられた時間に「それでも、五日もかかっているのね」と、はぁとため息を吐き出した。


「お嬢様、そう嘆く事はございません。久しい暴走でありながら、こんなに早くお目覚めになったのですから」

 この葛の葉の予想以上でございます。と、葛の葉は朗らかな笑みを称えて答える。


 薫はその笑みを一瞥してから「あのね、葛の葉」と、天井の禍々しい文字を見つめながら言った。

「私、とっても良い夢を見ていたのよ。そのおかげで、ぐちぐち言い続けるコイツを撥ねのけられたの。本当にうるさかったけれど、幸せ過ぎてそれどころじゃなかったって言う感じなのよ」

「良い夢、とは……枢木様からの接吻やら告白やらでございましょうか?」

「そう、そうよ!」

 よく分かったわね。と、目を丸くして突っ込む。


 そんな薫に、葛の葉は「お嬢様」とやや憐憫を向ける声音で言葉を紡いだ。


「アレを全て夢と逃避してしまったら、枢木様があまりにも可哀想でございます。流石に、この葛の葉もお嬢様の味方には回れませんよ」

 可哀想にと言わんばかりに告げられる言葉に、薫は「待って」と小さいながらも、鋭く声を張り上げる。


「あ、貴女がそう言うって事は……も、もしかして、夢じゃない?」

 恐る恐る吐き出された問いに、葛の葉は「はい、何一つとして夢ではございません」と、直ぐさま首を縦に力強く振った。


 その肯定に、薫はゆっくりと唾を嚥下する。


 あ、アレが全て夢じゃなくて、現実だった……それってつまり、枢木教官が私を好きで、私も枢木教官が好き。


 私、私、枢木教官と両想いになれたって言う事?


 理解するや否やで、心の奥底から嬉しさがぼごおんんっと噴火し、ぶわっと一気にその熱を身体中に広げる。


 そして「キャーッ!」と、遅ればせながらの大歓喜が弾け飛び、バタバタッ、ゴロゴロッと布団の上を駆け転がった。

「とても愛らしい反応でございますが、お嬢様。そちらの方に控えているお客人様がいらっしゃるので、些かはしたのうございます」

 淡々と告げられた諫言によって、破顔一笑の薫にぐにゃりと歪みが入る。


「お客人?」

 誰か居るの? と、薫は歪んだ顔のまま「そちらの方に」と促す方を見る。


 刹那、小さく中央に寄っていた皺が全てカッと大きく開かれ、素っ頓狂な声が飛び出した。

「くっ、枢木教官! ?」

 薫は大きく飛び跳ね、慌てて布団の上でバッと正座し、サッと敬礼を作る。


 その慌てふためいた姿に、雅清は「直れ」と呆れ混じりに告げた。

「思ったより、元気そうだな」

「は、はい……それはもう」

 ご、ご心配、ありがとうございます。と、薫は身を縮め込ませながら敬礼を解いてから、「ど、どうしてこんな所に?」と、おずおずと問いかけた。


 そのおどおどした問いに答えたのは、葛の葉だった。


「私が分身を送り、枢木様をこちらにお呼びした次第にございます」

 お互いに、まだ伝えるべきお話があるかと思いまして。と、フフフッと蠱惑的な笑みを零す。


 そして「では、葛の葉はここで一度下がらせていただきますね。頃合いかと思った頃に、参上致します」と、身をぎこちなく強張らせる薫と、なんとはなしに気まずそうに佇む雅清を見やってから、ポンッと煙と共に消えてしまった。


 気がとても利くけど、とても利き過ぎてとても気が利かないわよ! 葛の葉!


 薫は煙と共に消えた彼女に向かって絶叫した。勿論、その叫びをあげたのは、見透かす事の出来ない内心と言う奥深い世界である。


 どうするのよ、ここから! あんな醜態を晒しておいて、この先はどうしたら良いって言うのよ!

 葛の葉ぁっ! と、薫は込み上げる羞恥に耐えきれずに声を荒げそうになった。


 その時だった。

「もう、大丈夫なのか?」

 雅清が気まずく下りた沈黙を先に破り、薫に向かって問いかける。


 薫はその問いに、小さく息を呑んでから「は、はい」と答えた。

「あ、あの、またご心配とご迷惑をおかけして。本当に、申し訳ありませんでした」

「謝らないで良い」

 雅清はフッと口元を綻ばせて返すと、薫としっかり向き合える様にサッとあぐらをかいて座った。


 そしてスッと手を伸ばし、大暴れをかまして乱れた薫の髪を整えながら「お前がこうして元気になった、もうそれだけで大満足だ」と、優しく告げる。


 甘く蕩ける声音と優しく整えられる手に、薫の胸はドキドキッと痛む様に高鳴った。


「……で、でも。また隊に穴を空けちゃったし」

 薫は胸の痛みを誤魔化す様にして、ドギマギしながら食い下がる。


 雅清は彼女の痛みに気がつく事なく、そのままに「そう気負うな」と言葉を続けた。

「アイツ等には毒の物の怪にやられて、毒抜きに時間がかかっていると伝えてある。だからお前を悪く思う奴は誰も居ない。逆に、大丈夫なのかと心配しているぞ」

 だがまぁ、怜人はそうじゃないと勘づいている気がするがな。と、薫の髪から手を戻して、小さく肩を竦めた。


 薫は付け足された言葉に、「柊副教官が」とボソリと呟く。

「でも、そうかもしれませんね。霊気探知に長けていらっしゃいますし、色々と達観されているお方なので……もう、花影と言う事をお伝えした方が良いでしょうか?」

「いずれは話さねばならない時が来るだろうが、今はまだその時ではないだろう。だからまだ怜人には話さなくて良い」

 雅清はおずおずとした提案をきっぱりと断ってから「お前に二つ、話がある」と、切り出した。

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