第5話 影王を封じる為には……

『何か企んでいるな?』

 影王は急に静かになった向こうを探ろうと、影の出力を上げてバァンッと桜の防壁を打ち壊した。


 ドロドロと瓦解していく葉の防壁が、厚く隠していたものをじわじわと露わにしていく。


『ほう?』

 闇に光る朱眼が捉えた姿に、影王は目を側めた。

『傲慢男と神格堕ちした式神一匹……あの忌々しい女狐の姿がないのが、お前等の策の肝か?』

 しゅるりと側を守る様にして控える黒き龍と、二刀を構えて臨戦態勢を取る雅清に淡々と投げかける。


 雅清は「教えん」と端的に答えてから、チャキと鋒を影王に定めた。

『……不遜』

 影王は冷淡に唾棄すると、ビュンッと影の鞭を振う。


 力強くしなり、目でも追えない速度で飛びかかった攻撃に、雅清はハッと反応に遅れてしまった。

 だが、その前に竜胆がバッと飛び退いて動き、雅清を強引に鞭から避けさせる。


 竜胆はそのままポンポンッと浮雲を掴みながら、飛んでくる影の攻撃から必死に逃れた。


 雅清は竜胆の背に乗りながら、「光焰付呪!」と叫び、影王から伸びた攻撃に素早く刀を振った。

閻炎えんえん!」

 野太い声と共に放たれる一振りに、赤色の炎がゴウッと唸る様に飛びかかる。


 向かいかかる影を飲み込みながら床に着地すると、ぶわりと自らの領分を広げた。

 地獄の業火の様にバチバチッと荒ぶりながら、伸びる影を飲み込んでいくが。強まる暗黒にドンッと侵食され、瞬く間に鎮火されていく。


『……妙だな。先の攻撃とは少々

 影王は独り言つ様に言うと、『そうか』とニタリと朱眼を細めた。


 刹那、ドンッと天井の影から棘が伸び、雅清の胸部をグサリと穿ち抜く。

『貴様が女狐だな』

 悍ましい程に冷たい声が朗らかに発せられると同時に、ぐらりと雅清の身体が前のめりに崩れ、竜胆の身体からひゅうっと落下した。


「葛の葉様!」

 竜胆が悲痛な声を上げて、落下していく身体の元へ急いで駆ける……が。受け止める寸前でくるんっと向きを変え、「今です!」と声を張り上げた。


『何?』

 張り上げられた頓狂な声に、影王は眉根を寄せる。


 その時だった。

 落下していた雅清の身体がポンッと音を立てて、一枚の桜葉になり、影に消えていった。


 その姿に、影王は『分身か!』と目を見開く。


『おのれ、女狐! 小賢しい真似を!』

 猛々しく吠えると、背後から「化かしこそ狐の本領でございますよ」と、艶やかな声がかかった。


 バッと葛の葉が飛びだし、メラメラと燃える指先を影王にグッと伸ばす……が。

『これで勝った、と?』

 ゾクゾクッと背筋に悍ましいものが走り、彼女の呼吸がピタッと止まってしまった。


 ……いけない!


 怯む己を素早く叱咤し、葛の葉は躊躇を乗り越えて動き出した。

 だが、その次の瞬間。ドンッと影が素早く突き上がり、彼女の身体をがっちりと捕らえた。


 捕らえられた葛の葉は身動き一つ取れぬまま固まり、「ううっ」と悔しげに呻く。


『妖術であの男を演じて攪乱し、本体は背後に回り込む策か。では、肝心のあの男はどこに行ったのかと言う事だが……答えは簡単よ』

 影王はスススッと影の中を移動し、影に捕らえられた葛の葉の前でトプンッと現れると、意地の悪い笑みを見せつけた。


『女狐の振りは下手くそであったな』

 影王が淡々と告げると同時に、じわじわと葛の葉の顔が剥がれ、苦悶に満ちた雅清の顔を露わにしていく。


「クソッ」

『分身のみならず模写の模写まで使うてくるとは、実に頭を捻らせたものだが。霊力の差異と行動の差異が大きすぎる』

 あまりにもお粗末だ。と、影王は淡々と告げた。


『頼りになる女狐も、もう影の中では手立てがないなぁ。傲慢男よ、勝負ありだ』

「……そこまで読めていたのか?」

 雅清は苦々しげに呻く様に訊ねる。


 その問いに、影王は『勿論だ』と尊大に鼻を鳴らして答えた。

『女狐はお前の内に居るのだろう? 飛び出した所をまた飛び出し、二段重ねの騙し打ちをしようとしたのであろうが。お前のせいで、女狐は出る幕なしに退場だ』

 残念だな。と、影王はスッと目を細めて、満足げにパチリと手を叩く。


『カオル、お前を傷つけた傲慢な男の最期だぞ。これでもう、お前を傷つける人間はこの世に居なくなる』

 クツクツと楽しげに喉奥から漏れる笑み。


 雅清は奥歯をグッと噛みしめて、自分をどろどろと食んでいく影の内で佇んだ。


『おい、もっと喚いたらどうだ? それではつまらんぞ』

「喚いた所で、この結果は変わらないだろう」

 雅清は淡々と打ち返す。

 その答えに、影王は無い肩を大仰に竦めて『実につまらん奴だ』と吐き捨てた。


『これがカオルの想い人だったかと思うと、此奴は本当に見る目がない』

「……いいえ。お嬢様の殿方を見る目は素晴らしいですよ」

 突然、雅清の口から葛の葉の美しい声音が発せられる。


 口の動きに寸分のズレなく出た声に、影王はギョッと面食らった。


 攻守どちらにも優れ、まるで隙が無い闇の王に綻びが走る。

 だが勿論、その綻びを見逃す彼等ではない。


「近寄ってくれて、助かりました」

 葛の葉がニヤリと告げた刹那、捕らえられた彼女のすぐ横から突如狐火が発火し、そこから雅清が飛び出した。

 指先に青色の炎を纏わせて。


『ばっ、馬鹿な!』

 影王は愕然と叫び、直ぐさま攻撃をぶつけようと動き出した……が。

「一歩遅いな、影王」

 雅清の指先は素早くドンッと影を掴み、ガチャリと施錠する様に手首が大きく回された。


「俺達の勝ちだ」

『き、貴様ああああっ!』

 全てを覆い潰していた暗黒が大きくわななき、キィキィと悲鳴をあげる。


 影王は、ドンッと最期の力を振り絞って雅清に攻撃を仕掛けるが。聖陽軍きっての武人である雅清はバッと素早く距離を取り、彼の最期の一振りを躱した。


 すると影王の身体が大きくぐにゃりぐにゃりと波打ち、どくどくっと形を保っていた影も崩壊を始める。


『クソ、我の身体が! 我の力が! 抜けていく! おのれ、おのれぇぇ!』

 ぐにゃりぐにゃりと波打つ身体で張り叫ぶが。身体の崩壊も止まらず、強まる一方であった黒もしゅううっと薄くなっていく。


「狐は相手を化かす為ならば手段を選びません。更に、この葛の葉は九尾の狐。模写の模写や複写に模写を重ねると言った偽りや、姿を霞に消す事はお手の物ですよ」

 捕らえられ、大部分を黒に染めあげられた彼女はニヤリと口元を綻ばせた。

 刹那、ぽすんっと可愛らしい音が弾けて、影に囚われていた姿はどこにもなくなってしまう。


 そしてサッと雅清が飛び出した所から葛の葉がスウッと現れた。まるで見えないヴェールを拭う様に、扇をひらりひらりと艶めかしく動かして。


「またも見事に化かされてくれましたね、影王」

 葛の葉はパチンッと扇を閉ざして、うふふっと蠱惑的に微笑んだ。

『女狐ぇぇぇえ!』

 影王は怒号を飛ばすが。彼の怒りに反して、暗闇がじわじわと萎んで消えていく。

『クソがぁぁぁ!』

 猛々しく衝かれた怒髪天を最期に、影王の姿は剥がれ落ちる様にして内へと収縮された。


 ……その代わりという様に、闇に覆われていた薫の姿が露わになる。


 雅清は現れた薫の姿に「柚木っ!」と叫び、ダッと駆け出した。


「……来ないで」


 か細く紡がれた一言に、雅清の足はピタッと止まってしまう。

 あと数歩、手を伸ばしたら届くと言う距離で。

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