第4話 だからここに居る

 一部しか露わになっていなかったあの時でも、凄まじい恐ろしさを感じたが……。これが影王、成程王に相応しい化け物だ。今まで戦ってきた魁魔達が皆、可愛く思える。


 雅清は『嗚呼。想い人奴、であったな』と、ニタニタと言葉を続ける影王の姿にゴクリと息を飲み、ギュッと二刀の柄を握り直した。


 すると影王が『カオルを助けに来たのか?』と、尊大に声をかける。

「そ」

『いいや、そんな事はないな』

 雅清が肯定するよりも前に、影王は素早く言葉を重ねて否定した。


『お前はカオルを傷つけるばかりか、カオルではない他の女を選んだ男だ。そんな奴が、今になってカオルを助けに来るなどあり得ん。カオルもカオルで、お前にだけは会いたくない様だしな』

 もうズタズタになっている心に、更にずけずけと傷が割り込まれる。


 雅清はグッと奥歯を噛みしめ、その痛みを押し止めてから「俺は柚木を助けに来たのだ」と、きっぱりと告げた。


「こうなった今では迎えに来た、と言う方が近い」

『迎えに来ただと! ?』

 貴様が、カオルを? ! と、ガハハッと影王から野太い笑い声が高らかに飛ばされる。


『どうした、どうした! 手元に居続けた女が離れる事を厭うたか? クククッ、お前、随分傲慢な男だな。選びもせずに捨てた女ならば、そのまま捨て置いた方が良いぞ。後腐れないし、己の醜さがそうも露見せぬからなぁ』

「俺は柚木を選ばなかったつもりも、捨てたつもりもない!」

 雅清は前からの嘲笑を力強く一蹴し、「だからこうしてここに居る!」と猛々しく声を張り上げた。


 その答えに、影王の朱眼が『ほほう?』と細められる。

『今更、カオルを好いているとでも言うのか? あれほどカオルをボロボロに切り刻み、あれほどカオルを泣かした男が? 今更、カオルを好き、とな?』

 醜い事このうえないぞ。と、影王は尊大に鼻を鳴らして言った。


 雅清は冷たく重ねられる言葉に、グッと奥歯を噛みしめてから「何とでも言え」と吐き捨てる様に打ち返す。

「俺はお前に何と言われても構わん。そして、お前に俺の心を一言一句漏らさず伝えるつもりもない」

 俺がコレを伝えたいのは柚木自身だ。と、カチャと二刀を構え、影王に向かって刃を向ける。


「俺は柚木に用がある。変わってもらうぞ、影王」

『そうか、そうか』

 突如ガラリと声音が変わり、顰められていた悍ましい殺気が再びぐわっと牙を剥いた。


 もう何も見えず、もう何も透き通る事のない漆黒に深まり、ぶわりと全てを飲み込んでいく。


 辛うじて耐えて灯っていた炎もバッと素早く消え、ガタガタと顫動していた全てが闇に同一化して震えを止めた。


『我がカオルの分まで、貴様を沈めてやるとしよう』

 物々しく告げられた、刹那。周囲の影から、ドンドンッと鋭い棘が雅清に向かって弾ける様に飛びかかる。


 雅清はトントンッと素早くそれらを飛び跳ねる様にして避けた。だが、それでも押し寄せる全てを避ける事は出来ず、「受けて捌くか」と、避けきれない棘をなぎ払うべく刀を振り上げる。


 すると「いけません!」と、葛の葉の絶叫が飛び、刀を振い上げようとした雅清の身体がぐわっとそちらへ引き寄せられ、彼がいたはずの場所にぼんっと大きな盾が現れた。

 その次の瞬間にドスッと棘に貫かれた盾は黒に染まって、影へと消えてしまう。


「枢木様、影王の攻撃には触れてはいけません」

 雅清を引き寄せた葛の葉は淡々と告げてから、サッと小袖から桜の葉を一枚出して投げつけた。


 ぶわっと桜吹雪が吹き荒れると共に、増加して行く葉がパパッと一面の防壁を作り上げる。

 そして『忌々しい女狐め!』と、防壁の向こう側から飛ぶ怒声を無視して、葛の葉は「良いですか」と雅清に向かって言葉を素早く紡いだ。


「絶対に攻撃に触れてはいけません。しかし何とかして影王の内側に踏み込み、緩んだ封印を閉め直さねばなりません」

「絶対に触れてはいけないが、絶対に触れねばならない……か」

 雅清は切羽詰まって告げられた事実を端的に纏めて呟く。


 その呟きに、葛の葉は大きく頷いてから「奴は攻守どちらも長けています」と、声を落として言った。

「故に、攻撃を触らず、当たらずの状態で内側に踏み込むのは至難の業です……しかし手がない訳ではありません」

 枢木様、貴方様がいれば確実に封じ込める。と、雅清に向かって力強く言葉を結ぶ。


 雅清はその言葉に小さく息を飲んでから「分かった」と、堅く頷いた。

「俺が光焰付呪を使って、隙を」

「そうではありません」

 葛の葉は雅清の覚悟をバッサリと遮り「奴に近づけば近づく程強まる闇の前では、炎も光も全て呑まれるので無駄です」と、バシッと冷淡に打ち落とす。


 雅清は「では、どうしろと?」と、眉根を軽く寄せて怪訝を露わに投げかけた。


 すると葛の葉が「考えがございます」と囁き、ぽうっと浅葱色の小さな狐火を手元に現す。それに優しくふうっと息を吹きかけ、雅清の額目がけて飛ばした。

 その炎がふわっと額に当たって入り込むや否や、雅清は大きく目を見開き、葛の葉をまっすぐ射抜いて口を開く。


「こんな手では」

「躊躇は必要ございませんよ。そして真に慮るべきは、命が一つしかない人間の貴方様でございます」

 食い下がろうと口を開いた雅清を葛の葉は婉然と素早く封じ、「出来ますか」と言葉を重ねた。


 力強い覚悟が乗った確認に、雅清はゴクリと息を呑む。


「……ああ、任せてくれ」

 葛の葉は前から紡がれた同じ強さの覚悟に、フフッと艶やかに微笑んだ。


「では、枢木様、急いでこちらに」

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