第10話 これが副官の務めだから

「ねぇ、もういい加減にしてくれないかな?」

 怜人は雅清の自室に入るや否や、朗らかに笑いながら彼を窘めた。


 雅清は笑いながらも、その裏に込められた激怒に、はぁと小さくため息を吐き出す。


「分かっている」

「いいや、分かってないよね。何一つ」

 怜人は冷淡に打ち返すと、椅子に腰を下ろして雅清と真っ向から対峙した。


「女にうつつ抜かしているだけじゃなくて、気の抜けた馬鹿に成り下がっている奴に隊長を務めて欲しくないんだよ。隊の雰囲気は悪くなるし、士気も下がる。何よりうちの大事な戦力の一人をいたずらに削って欲しくないんだよね。だからさっさと割り切って、前に進んでくれない? そうじゃないと、本当に鬱陶しくって困るよ」

 淡々と敷き詰められる厳しい言葉に、雅清は「お前……」と苦々しい面持ちで彼を見据えた。


 怜人は「フフッ」と蠱惑的な笑みを零してから、片肘を突いてハッキリと告げる。

「優しく慰めに来たとでも思った? 残念、君の横に居る副官はそんな優しい男じゃないよ。まぁ、そもそもの話、君は慰めなんて貰える立場にないけどね?」

 だって、自ら柚木さんを振って東雲嬢を選んだ男なんだから。と、大仰に肩を竦めた。


 その一言に、雅清は「違う」と剣呑に言い返す。

「俺は東雲嬢を選んだ訳じゃ」

「ないって? 君自身にそんなつもりはなくてもね、あんな事をすれば、そういう形になるんだよ」

 分からなかった? と、怜人は雅清の言葉を遮って訊ねた。


 雅清はその問いにグッと言葉を詰まらせてから、口を開くが。その前に、怜人が淡々と言葉を継いだ。

「だから柚木さんは君に踏ん切りを付けた。けど、君はどう? 曖昧な態度を取り続けて、おどおどと彼女の周りを彷徨うだけ。本当に柚木さんが可哀想で仕方ないし、見ているこっちも辛いもんだよ」

「……だから柚木を諦めろ、と?」

 雅清は声を絞り出す様にして問いかける。

「諦める、なんて高尚な言い方は出来ないはずだけどなぁ。まぁ、でもそう言う事かな。君は東雲嬢を選んだ、なら選んだ方へ進むべきだよ。結婚して、めでたしめでたしだ」

「そんな心で結婚なんて出来るか。柚木だけじゃなく、東雲嬢も傷つけるだけじゃないか」

「あれ、今更君がそんな事を言っちゃう? あの二人が同時に同じ場所に立った時点で、どっちかは確実に君によって傷を負わされるんだよ」

 だからさっさと東雲嬢とくっつきなって。と、怜人はひらひらと顔の前で手を振って言った。


 雅清はそんな怜人からサッと目を落とし「でも、俺は……」と、口ごもる。


 怜人はふうと小さく息を吐き出し「だからぁ、もううじうじしないでくれないかなぁ」と、呆れと苛立ちを滲ませて言い放った。


「自分の中で決まっているんだったら、決めた事にまっすぐ行けってば。簡単な話じゃないか、なんでそこでうじうじ立ち止まっちゃうんだよ」

 はぁっと嘆息し、「柚木さんが良いんだろ?」と彼に向かってまっすぐ問いかける。


「だったら、そっちに向かって走って行きなよ。そりゃあ今更かもしれないけどさ、今更でも何でも決まっている道があればそっちに走るべきだよ」

 呆れた口調で淡々と紡がれた言葉に、雅清はハッとする。バッと顔を上げて「怜人」と、呆れた面持ちの怜人をまっすぐ見据えた。


 怜人はその眼差しを受け止めると、「言ったよね?」とフッと口角を上げて告げる。

「俺は慰めになんか来ていない。ただ、君の情けない背を容赦なく蹴り飛ばしに来たんだよ」

 だからさっさとしゃんとしてくれよ、隊長。と、ポンッと彼の肩を軽やかに叩く。


「周りなんて気にしないで、ただまっすぐ進んでくれ」

 雅清は目の前の笑みに、グッと奥歯を噛みしめた。


「……だが、俺が東雲嬢を振れば聖陽軍に迷惑が」

「まぁ、それは色々とやかく言われるかもしれないけど。結局の所、うちは内務大臣の庇護下にないからね。何とかなるでしょ。そんな事よりも、君を腑抜けのまま燻らせる方がうちにとっても、国にとっても大損害だよ」

 君は自分を軽んじすぎだ。と、怜人は呆れをふうっと吹きかける。


 ……嗚呼、そうだ。怜人の言う通りじゃないか。

 俺は、今まで本当に大切な事を見誤り、選択を間違え続けていた。大切なものを失うものかと奔走する道を悉く間違えていたのだ。


 もう、間違えない。

 雅清はキュッと唇を真一文字に結んでから、怜人をまっすぐ射抜いた。


「すまん、怜人」

「別に良いよ、これが副官の務めってもんだしね」

 怜人は朗らかに笑ってから、スクッと立ち上がる。そして「じゃ、俺は戻るね」と、ひらりと手を振って、戸の方へと足を進めた。


 その背に、雅清は「怜人」と声をかけて立ち止まらせる。

 怜人はその声に「何?」と、立ち止まって軽く振り返った。

「今度酒を奢らせろ」

「安酒じゃなくて、上等な酒で頼むよ?」

「ああ、勿論だ」

 雅清は力強く頷く。


 その頷きにフッと微笑を零すと、怜人は「あ」と何かを思い出した様に口を開いた。

「あんなに頑なでまっすぐ過ぎる子をもう一度振り向かすのは、骨が折れる所の話じゃないと思うけど。まぁ、頑張ってね」

「ああ。そこは言われずとも、だ」

「そう、なら良かった」

 怜人はフフッと上機嫌な笑みを浮かべてから、軽やかな足取りで部屋を出て行った。

 雅清はその背を見送ってから、「よし」と小さく独り言つ。


 心も、進む道も決まった。

 だからまず、俺がやるべき事は……。



 

 薫の心は想いを消す為に闇を彷徨い、雅清の心は薫の心に向かって歩き出し、優衣子の心は雅清の心を追いかける。

 それぞれの心が、それぞれの道をしっかりと歩み始めた。


 だが、「歩くのが遅かったな」と言わんばかりに、突然道の中央に試練が立ち塞がる。

 それは、逢魔が時。魁魔が盛んに動き出し、活発になる頃合いに行われる東雲誠造氏主催の舞踏会に、枢木隊が護衛として当たる様にと命を下されたのである。

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