第9話 開かれない扉

 最悪だった。東雲氏が急遽呼んでいるからと急いで会えと言う事で足を運べば、待っていたのは優衣子嬢の売り込み。「優衣子ほど良い女は居ないぞ」としつこい程食い下がられ、「若い二人で帝都を出かけたらどうだね」と、強引も強引に作られた時間で、優衣子嬢と帝都を巡らされた。

 何とか退散しようとしたが。優衣子嬢に止められ、御者に「旦那様に言いつけられておりますから」と無理に引き止められ、帰るに帰れずにいたら……すっかり一日が潰れていた。


 内心で振り返った一日に、雅清は苦々しく舌を打つ。


 こんな事になるのだったら、さっさと柚木と出かけるべきだった。

 雅清は今更嘆いても仕方が無い現実にはぁと小さく息を吐き出してから、薫の姿を思い浮かべる。


 怒っている……だろうな。あんな目をして、俺を睨みつけていったばかりか。呼んでも立ち止まらずに、走って行ってしまったからな。

「嗚呼、本当に最悪だ」

 雅清の心が、更にずしんと重たく沈んだ。


 だが、どれだけ心が重たくとも、どれほど歩む事がしんどくても、雅清は薫が居る部屋へと進んでいた。


 きちんと謝ろう、それで次の非番に埋め合わせを約束しよう。それならば、きっとこの重しも取れるはずだ。


「柚木は許してくれる」……そんな想いを抱きながら、雅清は薫の自室をコンコンッとノックする。


「……はい」

 内から弱々しい、いや、泣き通してカラカラになった声が返ってきた。


 ズキリと心に痛みが走るが、雅清はキュッと唇を真一文字に結んで堪えてから「柚木、俺だ」と投げかける。


 すると直ぐさま「帰って下さい」と、地を這う程低い声で剣呑な言葉がぶつけられた。


 雅清はその声にゴクリと唾を飲んでから「柚木」と、弱々しく声をかける。

「一度、出て来てもらえないか。今日の事をきちんと謝らせてくれ」

 申し訳ないと言う心を露わにしながら扉の向こうに向かって投げかけた……が。

 扉は頑として開かず、返ってきた声もしなくなった。


 そしてその代わりと言う様に、トンッと雅清の横に降り立ったのは葛の葉で

「申し訳ありません、枢木様」

 と、雅清に向かって淡々と告げる。

「どうか、お引き取り下さいませ。お嬢様は貴方様にお会いしたくないそうですから」

 薫は現れず、式神の葛の葉だけが廊下に現れて言葉を述べる。


 その姿で、雅清は自分の考えがとても甘く、もうすでに取り返しが付かない所にまで事態が進んでいるのだと思い知った。


 雅清はグッと奥歯を噛みしめてから、現れた葛の葉に「何とか会えないだろうか」と弱々しく食い下がる。

「顔を見て、しっかりと謝りたいのだが」

「この扉の頑なさこそお嬢様のお心の現れ、故に貴方様を内へと入れる訳にはいきませぬ」

 葛の葉は冷淡な微笑でにべもなく一蹴すると、「お引き取りを」と繰り返した。


「……しかし」

「失礼ながら枢木様、貴方様は許しを請えば楽になりましょう。しかしお嬢様にとっては、そんな謝罪を貰った所で何になりましょうか。謝罪を聞き、許しを与えねばならないと追い詰められる。ただの苦行にしかなりませんでしょう?」

 葛の葉は淡々と言い詰めると、食い下がり続ける雅清を冷ややかに睨めつける。

「お嬢様のお心をこれ以上苦しめないで頂きたい」

 毅然とぶつけると、葛の葉は「お引き取りを」と軽く頭を下げて引き下がる様に促した。


 反論しようにも何一つ言い返す言葉がない正論に、雅清はグッと奥歯を噛みしめる。


 ……ここで食い下がり続けても、居座り続けても、何一つ好転しないだろう。寧ろ確実に悪化する、今は打つ手なしだ。


 自分の中で導き出された最悪で最善の結論に、苦々しく顔を歪める。そして

「……本当に、すまなかった。次の非番にでも埋め合わせをさせてくれ」

 と、扉の向こう側に向かって投げかけてから、雅清はゆっくりと扉から離れた。


 どこかで声がかかり、この足を引き止めてくれるんじゃないか。

 雅清はそんな期待を微かに抱いていたのだが。やはり扉は頑として開かず、渇望している声も最後まで発せられる事はなかったのだった。


 翌日、二人は顔を合わせる事が出来たが。薫の態度が、明らかにいつもと違っていた。

 薫から毎度零される愚痴や恨み辛みが一切吐き出されず、訓練終わりには向けられていた笑顔が向けられないまま終わる。


 他の面々にもそうなのかと思えば、どうやらそれは自分一人らしいと雅清はすぐに理解した。

 自分以外にはいつも以上によく笑顔を見せ、いつも以上に和気藹々としている。


 早急にこの亀裂を何とかせねばと動き出そうとするも、薫はその前にするりと離れてドンドンと遠のいて行ってしまったのだった。

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