第8話 もう辞める

「そうかぁ」

 涙ながらに紡がれた話に、篤弘は小さく頷いた。


「まぁ、大方東雲氏の力だろうな。そうじゃないと、枢木教官がお前との約束を蹴って出て行く訳がない。だから今回は間が悪かったと言うか、仕方ない事だったんだよ」

「……もう良いの、篤弘」

 薫は横から滔々と紡がれる慰めを一蹴してから、「あの人にとっては、私なんてその程度って分かったから」と、抱える膝の間に顔を埋め込んで言った。


 篤弘はその言葉に「そんな事ねぇって」と、力強く反論する。


 だが、その反論に直ぐさま薫は「そんな事あるわ」と、刺々しく噛みついた。


「行ってから断るとか、早めに帰るとか出来るはずでしょ。それなのにそういう事をしようとしていなかったもの。あの人、戻ってくるつもりのない言い分だったもの」

「薫、あの人に言い寄ってんのは内務大臣東雲氏のご息女だぞ。そんな人を邪険に扱ってみろよ。父親の権力で、聖陽軍もろとも危なくなるんだぜ? あの人はそれを鑑みて、仕方なくついて行っただけだよ」

 篤弘は剣呑な薫を優しく宥めにかかる。


 すると薫は顔をあげて、「……もう東雲嬢と付き合えば良いんだわ」と淡々と言った。

 正気も生気もない様な恐ろしい程冷たい声音に、篤弘は「薫」と小さく息を飲む。

 だが、薫は何一つ気がつきもせずに、淡々と言葉を続けた。


「そうよ、あの人が東雲嬢と結婚すれば良いのよ。そうしたら問題ないわ」

「何言ってんだよ!」

 篤弘はガシッと薫の肩に手を置き、虚ろな表情をする薫をまっすぐ見据えた。

「そうしたらお前の気持ちが」

「良いの」

 薫は前からの叱責をバッサリと遮ると、胡乱な眼差しで篤弘を見据えて淡々と答える。


「もう辞めるから、あの人の事を好きで居るの」

「……は?」

「元々不釣り合いな恋だったし、これ以上辛い思いをするのも嫌だし」

「冷静になれよ、薫。こんなたった一回だけで」

「えぇ、そうね! たった一回だわ! でも、されど一回なのよ!」

 薫はガタッといきり立ち、怒声を張り上げて反論を浴びせた。


「私の心を打ちのめすには、充分だったの! だからもう踏ん切りが付いちゃったの、諦めようって! もうあの人の事好きでいるのは辞めようって、心が決めちゃったのよ!」

 止まっていたはずの涙が再び息せき切る様に流れ出し、じくじくと喉奥を熱が突き刺し始める。


「もう知らない、最低、大っ嫌いって心に並んじゃったのよ!」

 薫は泣き叫ぶ様に訴える。


「辞める、もう辞めるの! あんな人なんかより、私、篤弘の方が」

「そこまでにしておけよ、薫」

 篤弘は淡々と絶叫を遮り、ぐいっと立ち上がった薫の腕を引っ張った。

「もう辞めよう、この話は」

 もう、辞めよう。と、無理やり座らせた薫の頭をトンッと優しく自身の肩へと抱き寄せた。


 トスッと自分を温かく受け止める肩に、力強く抱き寄せる手に、薫の涙がじわりじわりと色を変えていく。


「……うん、うん。ごめん、篤弘。ごめん」

「良いって。俺は、分かってるから」

 だからもう何も言うな。と、篤弘は囁く様に告げた。


 薫はその言葉に、ぐすっと大きな嗚咽を零す。そして言われるがままに、彼の肩でポロポロとおもいを流したのだった。

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