四章
第1話 貴方が遠い(1)
「大丈夫か?」
薫は横から心配そうにかけられる声に、「え? 何が?」と、きょとんとして打ち返す。
「
聖陽軍に入った頃はこんなもんじゃなかったわ。と、笑顔で付け足した。
「アンタだけが、普通に接してくれたのよ。知らなかった?」
「いや、知ってたけど」
篤弘は苦々しく答えてから、「そうじゃなくて」とあっけらかんと話す薫にはぁとため息を吐き出す。
そして「俺が大丈夫かって聞いたのは、この事」と、ふいっと目線を流した。
彼の視線を辿る様に、薫も目をそちらに移すと。豪華絢爛に飾られたダンスホールに、豪奢な仕立てで煌びやかに美しく着飾った女性陣。キリッと立派な燕尾服に身を包み、各々で小難しい言葉を交す男性陣が広がっている。
一流の楽団と謳われる程の楽団が部屋の一角を担い、先程から流麗な音楽を奏でているからか。場内の雰囲気は、殊更高級で豪勢なものになっていた。
そんな華美な世界で一際目立っているのが、美しい橙色のドレスに身を纏った優衣子。そして、彼女の傍らに立つ雅清と怜人であった。
薫はその姿を捉えるや否や、すぐにふいと目を逸らして「別に」と答える。
「全然、平気も平気よ」
なんて事ないわ。と、腰に差した剣の鍔をカチャンと押し上げてから、パッと手を離した。
カチャンッと鞘と鍔が当たる金属音が、艶やかな音楽の裏打ちの様に小さく弾ける。
「あの二人が今、あの人の側に居るのは護衛の顔合わせみたいなもんだからな」
「分かっているわよ」
薫は淡々と答えてから、「篤弘」と、彼をまっすぐ見つめる。
「もう私は平気なの、だって好きじゃないんだから」
訓練の時だって、平気でこなしているでしょ? と、フッと口角をあげて答えた。
篤弘は「どこがだよ」と、はぁと小さく息を吐き出してから言う。
「枢木教官が話しかけようとしたら、すぐ逃げていくじゃねぇか」
あの人をあんまり傷つけるなよな。と、呆れ混じりに付け足され、薫は「篤弘、アンタ、どっちの味方なのよ」と物々しく突っ込んだ。
篤弘は横からの刺々しい威圧に「どっちもだよ」と、軽やかな笑顔で受け流す。
「でも、まぁまぁお前寄りかな」
薫はその笑顔を見ると、「当然よっ」とぷいっとそっぽを向いて腕を組んだ。
そしてしばらく間を置いてから、「ねぇ」と囁く様に声をかける。
「……篤弘」
「何だよ」
「こんな所で打ち明けるのもなんだけどさ。私、近々異動願いを出そうかなって思うの」
「は?」
篤弘はなんでもない様にサラリと告げられた話に愕然としたが、すぐに「何言ってんだよ」と、怒った様に言葉を続ける。
「異動って、枢木隊を出るって言うのか?」
「そう。除隊はしたくないから、異動願いを出して他に隊を移ろうかなって」
「馬鹿言うなよ。いや、そもそもの話、そんなの枢木教官が許す訳ないだろ」
「そこは大丈夫だと思うわ。だって、土御門総帥に直接出すつもりだもの」
土御門総帥とは色々縁があるから、私の願いを絶対に聞いてくれるはずよ。と、薫は小さくふんっと鼻を鳴らして答えてから、「でも」と、しゅんと肩を落とした。
「篤弘とここの先輩達と離れるのは、とっても嫌なの。柊副教官も優しくて好きだし」
「じゃあ、このまま枢木隊にいれば良いだろ」
篤弘は力強く言い聞かせる様に返してから、「これ以上、馬鹿な事言うなよな」と、薫を厳しく睨めつける。
薫はその厳しい眼差しに、うっと身体を強張らせ、ばつが悪い表情で「でも」と反論を紡ぎ出そうとした。
その時だった、流麗な音楽がピタリと止まり、上座から中央へカツカツと尊大に歩き出す御仁が一人。
その姿に、ざわざわと飛び交っていた会話もピタリと止まり、厳かな静寂が広々としたホールに漂った。
「……あれが、内務大臣の東雲氏?」
薫は訪れる静寂を破らない様に、コソッと篤弘に耳打ちして尋ねる。
「そうだ」
篤弘はコクリと頷き、彼の一挙手一投足を見据えた。
薫も、そんな彼に倣ってカツカツと尊大な一歩で中央へと歩む東雲誠造を見つめる。
皆の注目を一身に集めている彼は、中央に到着するや否や、ごほんっと大きくわざとらしい咳払いをした。
「当家が主催する舞踏会にお集まり頂きまして、誠にありがとうございます! 皆々様、どうぞ本日は心ゆくまで、麗しい一夜をお過ごしくだされ!」
誠造は上機嫌に宣誓すると、「そんな今宵の始まりは!」と、バッと中央の近くで佇んでいた優衣子と雅清の方へ手を伸ばした。
「我が娘とその婚約者殿に務めて頂きましょう!」
朗々とした宣誓があがると、注目の的となった彼等二人にドッと称賛や羨望がかけられる。
「始まりに相応しい方々だわ」「うむ、実に絵になる二人じゃないか」「あんな方と結婚出来るなんて羨ましいわ」「子が出来るのが実に楽しみな二人ではないか」
場内の壁と化している薫達の所にまで、彼等に向けられる声が次々と耳に入り込んで来た。
薫はグッと奥歯を噛みしめ、目の前の状況を睨めつける。
その禍々しい目に気がついたのか、篤弘は「あの親父、枢木教官を無理やり結婚させるつもりかよ」と、苦々しく呻いた。
「薫。これは縁談に渋る枢木教官をこうして周りの目と共に囲って、更に断りにくい状況を作り上げるだけだからな。枢木教官が結婚するって決まった訳じゃないからな」
「もう良いってば」
どうせ、あの二人は結婚するのよ。と、薫はぶすっと尖らした唇で噛みついた。
そんな薫に、篤弘は「馬鹿」とバシッと肩を叩いて、「よく見ろよ」と前をしっかりと見る様に促す。
「枢木教官が、東雲嬢との結婚に乗り気な顔してるかよ? あれは、本気で嫌な顔だぞ」
「……人が垣根になってて見えない」
「こっち来てみろ」
薫の弱々しい反論を素早く封じ、ぐいっと薫の身体を引っ張り立たせた。
引っ張られた薫は「もう良いってば!」と、声を少々荒げて噛みつくが。ふらりと揺れ動いた薫の目は、しっかりと映してしまった。
手を差し伸べ、優衣子と踊り出そうとする雅清の姿を。
その姿に、ズキリと胸に大きく傷が入り込んだ。だが、その一つでは終わらないと言わんばかりに、鳴り止んでいた音楽が流れ出し、二人がゆったりとしたスローワルツに乗って優雅に踊り出す。
……あの人は、美しく着飾った女性の手を取って、あんなに密着して踊っている。
でも、私はこうして遠い場所で、こんな格好でそんな二人を見つめるしか出来ない。
嗚呼、もう本当に嫌……!
沸々と滾ってくる苦しい想いに、薫は堪りかねずバッと身を翻した。
「ごめんっ、ちょっと外れる! 一人にさせて!」
後ろから「おい!」と慌てた声がしたが、薫の足は引き止めるものを全て振り払って駆け出す。
無我夢中になって、舞踏会の流れ出る音から、煌々と照らす光から必死に逃げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます