第2話 お兄ちゃん達の熱い援護

 それは過酷な訓練が終わり、夕飯後の風呂に向かおうとしていた時だった。


 桶を持って、足早に風呂を済ませようとしていた薫は、突然ぐいっと物陰に引っ張られる。

 気が完璧に抜けていた薫は、見事にその力に引っ張られ「わっ!」と、物陰に飛び込んでしまった。


 急いで気を張り直し、慌てて自分の陥った状況を確認すると……彼女の張り詰められた気は、一気に弛緩する。


「もう、先輩達……またこんな急に、本当に辞めて下さいよ」

 何事かと思うでしょ。と、ぞろりと揃った枢木隊の面々に、薫ははぁと嘆息して呆れた眼差しを向けた。


 すると中央に立っていた岡田史彦が「柚木よ」と、代表する様に薫の右肩をポンと叩く。

「俺達はこれから全面的にお前の補佐に回る」

「補佐? 何のですか?」

 えらく仰々しく告げられた言葉に、薫は怪訝に眉根を寄せた。


「決まってんだろ。お前が枢木雅清中佐を落とす為の、補佐だ」

 ポンッと軽やかに空いた左肩に手を置いて答えたのは、枢木隊の序列三位に当たる飛鳥隆久あすかたかひさである。


 薫は彼の軽やかな手と言葉に、「ハァッ? !」と、愕然とした声を飛ばしてしまった。

 瞬時にダッと口元に伸びる手が「馬鹿、静かにしろ!」と、彼女の悲鳴を強制的に押さえ込む。


 薫は幾本も伸びる手から「ぷはっ!」と荒々しく離れてから、「どういう事ですか?」と怪訝に問いかけた。

「今日の事もあって、俺達は決めた訳だ」

「いい加減、俺達が妹を押し上げてやらにゃいけねぇってな」

「だが、甘ったれるなよ。俺達が補佐をしても、結局はお前の行動が全てとなる訳だからな」

 代わる代わるかけられる尊大な言葉に、薫は「は、はぁ」と呆気に取られながら頷く。

 刹那「そんな気の抜けた返事をするな!」と、厳しい諫言が噛みつく様に飛んだ。

 薫は条件反射で、その声にバッと背筋を伸ばし「ハッ!」と敬礼したが。「待って? なんでこんな急に、おかしな感じになっているの?」と自らの失態よりも、この事の異様さに疑問を持ち始めた。


 だが、それでも熱が籠もった言葉は止まらない。


「良いか、柚木。あの人を落とす為に、こっからは本気を入れるんだ!」

「俺達も出来る限り、お前を助けてやるから!」

「あ、ありがとうございます……?」

 薫はおずおずと敬礼を解きながら答えると、史彦がずいと顔を近づけ「柚木」と、物々しく告げた。


「填まり続けていた一隊士の枠を蹴破る時が来たんだよ。良いか、明日からお前も女らしい所をあの人に見せていけ!」

 憤然とした顔付きで告げられ、薫は「女らしい所?」と引き気味で繰り返す。

「で、でも。そんな事したら、枢木教官、烈火の如く怒りません? 貴様、訓練舐めてんのかって」

「馬鹿、休憩や食事の時間でやれって事だ!」

 訓練中になんかやったら、俺達にも飛び火するだろ! と、史彦は恐ろしいと言わんばかりの声音で突っ込んだ。

 薫はその声に「岡田先輩って本当に……」と、苦々しく思ったが。すぐに「まぁ、そうですよね」と頷いた。


「でも、先輩。女らしい所を見せるって何をしたら良いんですか?」

「そうだなぁ。弁当を作るとかぁ、ふとした瞬間に髪をこうふわっと掻き流してみるとかぁ」

 史彦がうーんと考えながら吐き出していく。


 すると「馬鹿、それじゃ東雲嬢の模倣だろ!」と、横から激しい突っ込みが飛び、「簡単だよ、柚木!」と、隆久がグッと親指を立てた。


「休日デェトに誘え! そうしたらお前は女らしさを存分に見せつけられるし、あの人もお前を女扱いして、嫌でもお前が女だと意識するはずだ!」

 その提案に、「おお、その手は良い!」と言う歓声と称賛。そして「いやいやいや!」と大絶叫の否定が飛んだ。


「デェトなんて無理です、無理! 絶対に無理!」

 薫は周囲から上がる称賛を強く押しのけて、ぶんぶんっと全身を使って力強く拒否する。

「って言うか、簡単でもないし! 絶対に無理ですよっ!」

「馬鹿野郎! お前、それでも柚木薫か!」

 突然張り上げられた怒声に、薫は「えっ?」と目を見開いて固まった。


 だが、隆久はそんな薫を歯牙にもかけずに「どんな事があっても、めげず、まっすぐぶつかっていく。それがお前だろ!」と紡ぎ続ける。

「こんなちっさな事で怯む玉じゃねぇはずだ! いつもの様にぶつかっていけ! それでも臆すと言うのならば、お前、あの女性に枢木隊長を取られても良いって事になるからな? !」

 隆久は目の前でぶんぶんと拒否する薫に力強く言い聞かせ、「あの人、取られちまっても良いんだな!」と物々しい脅しをかけた。


 その脅しに、薫の瞼裏に微笑んだ優衣子が雅清と腕を組んで、笑顔を振りまく姿が映る。そして彼等は仲睦まじそうに微笑み合い、颯爽と遠くへ歩き出してしまった。薫の手の届かない所に、ドンドンと。


 取られる、枢木教官が……あの女性に。そうしたら私はこんな風に、もう近くにすら居られなくなっちゃう。


 薫は描き映された恐ろしい想像にぶんぶんっと頭を振ってから、隆久をまっすぐ見据え、きっぱりと声を張り上げた。


「良くありません!」

「そうだ! 良く言ったぞ、柚木二等兵!」

 隆久は毅然と張り上げられた否定に、喜色を浮かべて答えてから「では、今すぐに休日デェトに誘ってこい!」と、命令口調で告げる。

「ハッ! 柚木薫二等兵、枢木雅清中佐を休日デェトに誘って参ります!」

「よし、行け! 俺達はお前の帰りをここで待っているぞ!」

「ハッ!」

 薫は力強い敬礼と共に答えてから、モーゼの十戒の如く綺麗に中央で割られた囲いから飛び出した。



 そうして桶を持ったまま薫は男子寮に突撃し、雅清の居場所を人に尋ねて、尋ねて、手繰っていく。

 すると「あれ?」と、朗らかな声が背後からかかった。

 薫はその声にハッとして振り向くと、やはりそこには怜人の姿があった。


 怜人は薫の姿を一瞥するや否や、フフッと柔らかく相好を崩す。

「柚木さん、こんな夜遅くにこんな所で何をしているのかな?」

 そんな桶まで持って。と、チラと手元に目を落とされると、薫の内でじわじわと照れと恥が生まれてくる。


 だが、デェトに誘うと言う熱く猛々しい意気を鎮めるまでには至らなかった。

 薫は湧き出た二つをグッと飲み込んでから「申し訳ありません、柊副教官!」と、並べ立てる。

「枢木教官に所用があり、こちらに参った次第なのです!」

「雅に所用?」

 怜人は不思議そうに繰り返してから、「そう」とにこやかに答えた。


「分かった、じゃあ俺が雅の元に連れて行ってあげるよ。君一人でうろうろするより、俺と居た方が好奇の目とかに晒されないからね」

「あ、ありがとうございます!」

「フフッ、気にしないで良いよ」

 怜人は面白そうに小さく笑みを零してから「おいで」とくるっと歩みだし、一人彷徨っていた薫を雅清の元へと先導し始めたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る