三章

第1話 同じでも同じじゃない、なら絶対に負けない!

 あれからどんな話をしたのか、どんな取り決めがあったのか。私には分からないし、一つも知る由はないけれど。あの人が来る様になってから、毎日が辛くなった事は確かだわ。

 薫はボソリと内心で独りごちながら、朗らかな笑みを向ける優衣子とその笑みを軽やかに受け取る雅清の姿を見つめていた。


 滅多な事では女性が、ここに入れるはずないのに。毎日、毎日うちの隊だけに顔を出してきて……タオルとか渡したり、「訓練お疲れ様です」って弁当の差し入れをしてきたり、お茶くみを率先してしたりして。もう立派に、枢木教官の細君じゃないの。


 前まで、私が一番あの人の側に近かったのに。あんな人が横に居座り続けるなんてさ、ずるいわよ。

 薫はぶつぶつと並べ立てた文句に、はぁと長ったらしい息を吐き出して、がっくりと顔を落とし、膝をギュッと胸元に寄せ込んだ。


 はぁぁ、もうすでに花影なんて言う醜い化け物のくせに。最近はどんどん、その醜さに拍車がかかっているわ。

 こんな自分嫌い。うじうじ・ボソボソ、裏でしか大きく言えない弱虫。もう、本当に大嫌いだわ。


 はぁぁと、地面に向かってため息を吐き出す。さーっと砂利が横に流れ、不自然な白肌がぽっかりと出来た。


 薫が、その地肌をぼんやりと朧気な眼差しで見つめていると。上から「薫」と、聞き馴染みの声が降ってきた。

 薫はむっくりと顔をあげ、声のした方を伺う。

「篤弘」

「失礼だな、なんだって顔すんなよ」

「仕方ないでしょ。だってなんだ、ですもの」

 薫は淡々と打ち返すと、すぐに顔をがっくりと戻した。


 篤弘はそんな姿に小さく息を吐き出してから、ドサリと横に腰を下ろす。

「いい加減、休憩の度に木陰に入って一人落ち込むの辞めろよな。あの人が女性に好意を寄せられる姿なんてもう数え切れない程見て来たろ、お前も含めてさ」

 横からの投げやりな諫言に、薫はキュッと唇を結んでから膝を更に自分の方へ引き寄せて「今回は違うじゃない」と、つんけんと言い返した。


「いつもは、はいはいそうですかって冷たくあしらうくせに。今回は邪険にしていないし、側に居る事を許しているじゃない。でも、そうなって当然よね。あの人、もの凄く綺麗だもの。女の私でも惚れ込んじゃうもの、近くに居るだけで良い匂いもするしさ」

 口早に言い分を滾々と重ねると。篤弘は「まぁ、確かにあの女性は綺麗だよな」と、同意してから「でも、あの人の横に居るのは許して貰っている訳じゃないだろ」と、反論をぶつけた。


「あれは父親の威厳あってこそ、だ。だから枢木教官は邪険に扱えないし、押しかけ女房されても許さざるを得ないんだよ」

 分かるか、薫? と、篤弘は厳しい口調から一転、にこやかに問いかける。

「あの女性はお前と同じ押しかけ女房かもしれないが、お前とは違う。お前みたいに、こんな過酷な場所に飛び込んで、泣き言を言わずに訓練を積み続けている訳じゃないんだ。一人だけで一生懸命作り上げて、勝ち取ってきた場所じゃないんだ。自信を持てよ」

 力強くかけられる慰めに、薫は「篤弘」と彼の名を呼んで顔を上げた。


「それって……私でも大丈夫だよ、勝てるよって言う慰め?」

「勝てるとは言ってねぇよ」

 篤弘はズドンッと薫の頭に綺麗にチョップを落とし込む。


「ったぁ! 何すんのよ!」

 薫は直ぐさま頭を抑えて、篤弘に「信じらんない!」と猛々しく噛みついた。


「そう、そうやって馬鹿みたいにがむしゃらに、しゃにむに頑張る様な奴じゃないと。あの人の横は務まらねぇと思うし、なんか相応しくねぇなと思っちまうね」

 篤弘の言葉に、薫の沈み込んでいた心が温かいヴェールに包み込まれ、とぅくんと軽やかに力を持って跳ね上がる。


「篤弘……。あ、ありがとう。なんか嬉しいし、自信が湧いてきたわ。それに知らなかった、アンタがそこまで私を買ってくれていたなんて」

「ばぁか、お前を買っている訳じゃねぇよ。俺はあの人を尊敬しているからこそ、あの人に関わる全てがあの人を傷つけて欲しくないだけだ」

 篤弘はベッと舌を小さく出してから、スクッと立ち上がった。


「あと、たった一人の同期が毎日こうも落ち込んでると鬱陶しいからだよ」

「何よ、失礼ね! 私だって、落ち込みたい時があるのよ!」

 薫はガタッといきり立ち、篤弘の肩を思いきりバシッと叩く。

「いってぇな! 何すんだよ、この馬鹿力! 慰めてやった恩を仇で返すのか!」

「アンタなんかに慰められた覚えがないわよ!」

 と、怒った様に叫ぶが。その表情にはもう落ち込んでいる影はなく、朗らかに綻んでいた。


 そうして薫は「この野郎~!」と篤弘を追いかけ回し、篤弘も「お前、もうちょっとしおらしくしてろ! 可愛げのない女め!」と言い返しながら逃げ回っていた。

 すると「おっ、柚木が復活した!」と声が飛び、ぞろぞろと枢木隊の面々が「俺等もやるかぁ!」と、鬼ごっこに参加し始める。


「ちょっと先輩達! 何しれっと参加してるんですか、私一人で捕まえるなんて無理ですよ!」

「無理じゃない、お前はやれば出来る子だっ!」

「今そんな事言われても嬉しくないですっ!」

 薫はギャーギャーと叫びながら、「逃げろ~!」と楽しそうに逃げる背中を追いかけ回していた、その時だった。


 ピイッと鋭く笛が鳴り、和やかな雰囲気をビリビリッと容赦なく引き裂く。

 皆がその笛の音にビクッと身体を強張らせ、音に導かれる様にして顔をそちらに向けると。雅清が咥えていた笛をスッと口元から離し、蜘蛛の子が散った様に散らばる自隊の面々を見渡した。


「遊ぶ元気があって結構、だが、どこにそんな余力を残していたのか。甚だ疑問だ」

 雅清は物々しく告げてから、「総員、坂を五十周走ってこい」と端的に告げる。


 直ぐさまあがる声にならない悲鳴に、薫は弾かれた様に「待って下さい!」と声を張り上げた。

「これは遊んでいたんじゃありません! 皆、私を慰めてくれていただけです!」

「慰めていた?」

 雅清は張り上げられた反論に、軽く眉根を寄せて繰り返す。


 薫は「何故慰められる様な事がある?」と言わんばかりの雅清にムッとし、「そうです!」と剣呑な口調で言い返した。

「なので、皆に罪はありません! 私だけが罰を受けて参ります!」

 五十周、上等よ! と言わんばかりの勢いでダッと飛び出し、近くに構えていたお馴染みの坂道をダーッと駆け上り始める。


 皆は悪くないもの。だからこんなの、私一人で充分よ。


 って言うか、何なのよ。あの顔、何お前が落ち込む事なんかあるんだみたいな顔しちゃってさ。枢木教官が、あの綺麗な女性にデレデレとしているのが悪いんだろうがって言う話なのに!


 薫は轟々と唸る荒波と共に駆けていく。

 だが、坂道を下っていくと、じわじわと波が引いていき、運搬された石だけがゴロゴロとその場に残される。


 ……嗚呼、今頃、あの女性と二人で仲良くお喋りでもしているのかな。駆け出していった私の話で盛り上がったりしちゃっているのかも。

 私がきっかけになって、あの二人の距離が縮まっちゃったら……? 

 薫は「そんなの嫌、駄目!」と首を振り、重しを振り切る様にして再び坂を駆け上っていく。

 するとゴウッと波が勢いを取り戻した。


 私が噛ませ犬的な位置づけになるなんて、絶対に嫌! そんなの阻止よ、阻止!

 あの人の横には、私が居たい! ううん、私が居るの!

 そう、何もいじける事ないわ! だって、あの枢木教官大好きっ子篤弘が「あの人の横にはお前じゃないと」って認めてくれたもの!

 さぁ! 負けるな、柚木薫! 走れ、柚木薫! 頑張れ、柚木薫!


 そうして気分が激しい浮き沈みを繰り返しながらも、薫は何とか坂道五十周を駆け抜けたのだった。

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