第8話 堪える
「本当に申し訳ありません、枢木様。色々と怒っていらっしゃいますでしょう?」
優衣子は嫋やかに肩を落とし、目の前に座る雅清を見据えた。
「いえ、そんな」
雅清はフッと相好を崩して答えるが。内心は「嗚呼、全くだ」と呻いていた。
こんな事に時間を割いてまで、訓練に穴を空けるなんて事はしたくない。
まぁ怜人が居るから何も問題はないと思うし、訓練も滞りなく行えているだろう……が。心配なのは、柚木だ。
「見たか、あの顔?」
と、雅清は内心で苦々しく独り言つ。
あんな苦しそうに引きつった顔を見るのもさせるのも、もうご免だと思っていたらコレだ。「縁談しちゃうんですか?」と聞かれた時以上の顔をされた。
自ら進んでそうさせた訳でもないし、目の前の彼女が意図してそうさせた訳でもないだろうが……あの顔は、堪える。
「枢木様?」
雅清は前からの怪訝な声にハッとし、すぐに表情を取り繕って「申し訳ありません、少し考え事をしておりました」と答えた。
「本当に申し訳ありません」
「いいえ、そうして気を抜いて下さった事が嬉しいですわ。貴方様は誰にも隙を見せない、完璧で冷徹なお方だと聞き及んでいましたので」
優衣子は嬉しそうに口元にポンッと手を当て、うふふっと朗らかな笑みを零す。
雅清は「恥ずかしながら、私はそんな完璧な人間ではありませんよ」と、小さく笑みを零して言った。
「周りから、随分と誤った事を聞かされている様ですが。私は何から何まで未熟で至らぬ男ですよ」
「そんな事はありません、枢木様は完璧で素敵な殿方ですわ! 助けて下さったあの時からもうずっと私の心は「嗚呼なんて素敵で素晴らしくて、完璧な殿方なのだろう」と喚き続けておりますのよ」
それは今も変わりませんわ。と、優衣子は恥ずかしそうにはにかみながら、ギュッと可愛らしく胸元を押さえた。
雅清はその姿に「はぁ」と小さく零してしまうが、優衣子は気にせずに「ねぇ、枢木様」とずいと前のめりに続ける。
「私、本当に貴方様の事を好いておりますの。けれども、こんな事を急に言われても困りますでしょうし、縁談をと言われても嫌でございましょう?」
「……い、いえ。そんな事はありませんが」
「良いのです」
唐突な問いかけに悩み、おずおずと否定を吐き出した雅清だったが。すぐに、きっぱりと力強い言葉が続けられる。
「迷惑千万な事をされていると思って当然ですわ。如何せん貴方様は我が国を護る英雄であり、守護神。故に、この様な小娘の色恋に構っている場合ではございませんもの」
毅然と続けられる言葉に、雅清は口を挟む事を辞めて耳を傾け続ける事にした。
如何せん、並べ立てられた言葉は須く否定出来ないものであるし、上手い言い訳も瞬時に思いつかなかったからである。
「私、貴方様に本当に申し訳ない事をしていると思います。けれども、この想いに蓋をする事は出来ません。その事実があるから仕方ないと諦める事も出来ませんわ。枢木様、いいえ、雅清様。貴方様のお力となるべく努力を致しますから、私をここで見捨てないでくださいませんか?」
キリッと真剣な眼差しで射抜かれ、熱が籠もりに籠もった口調で思いの丈をぶつけられた。
雅清はその全てを邪険にする事なく、真っ正面からきちんと受け止める。
それでも尚、彼の心に居たのはやはり目の前の彼女ではなかった。今頃躍起になって訓練に励んでいるであろう、薫の姿である。
雅清は小さく唇を結んでから「お気持ちは大変ありがたい」と前置きしてから、断りを述べ始めようとする……が。
優衣子はその言葉を遮る様に「ハッ」と息を飲んでから、「口だけの好意なんて、信用出来ませんわよね? !」と声を朗らかにあげた。
「本物の信頼と好意は行動で示す。と、常々学んでおりますのよ。ですから、私、行動で示しますわ!」
急撃に変わった展開に、雅清の口から「は?」と怪訝が飛び出す。
だが、優衣子はそんな怪訝に気付く事なく「私が貴方様のお力になると、証明致します!」と、滔々と続けた。
「戦いの場に身を置かれる貴方様をよくよく支えてこそ、貴方様の妻になるに相応しい女ですもの! ですから、私、明日から毎日貴方様を支えに参ります!」
「いえ、東雲嬢、それは」
「まずは貴方様も東雲嬢ではなく、優衣子と呼んで下さいまし!」
バッサリと言葉を遮られたばかりか、名前呼びを強要する彼女に、雅清は「この女性、やはり只者ではない」と痛感する。
しかし直ぐさま「彼女にいつまでも引いているとまた展開が変わるぞ!」と、理性が呆気に取られる自分を張り倒し、「優衣子嬢」と名を呼んでから彼女を宥めにかかった。
「大変嬉しいお気持ちですが。本来こちらには女性が入る事を許されておらず、滅多な事がない限り入場許可が下りないのです。隊士の細君ですら阻まれるのですよ」
「でも、雅清様の部下にお一方。女性がいらっしゃいましたわ」
柚木さん、と仰いましたわよね? と、優衣子は笑顔で打ち返す。
「ですから、私も大丈夫なはずですわ」
「あれは、例に填めて通れる存在ではございません。特例中の特例で在籍しているのですよ」
そう言って来るだろうな。と、予め突っ込みを予測していた雅清は、ニコリと相好を崩して言い返した。
すると優衣子は「では、私も特例になりますわ」と、更に笑みを広げる。
「私、今から急いで帰って父に頼んでみます。あんな父を頼るのは癪と言うものですが、雅清様のお役に立つ為ならば自分の気持ちなぞ二の次ですもの!」
父と言う最強の矛に、雅清は顔を「げっ」と苦々しく歪めてしまった。
だが、そんな顔を見る間も無く、彼女はガタッと立ち上がり「私、精一杯頑張りますわ! どうか、よろしくお願いしますね!」と、言い捨てて、慌てて部屋を出て行ったのだった。
一人、ポツンと残された雅清は、はぁと重々しくため息を吐き出してから天を仰ぐ。
「ったく……これ以上は勘弁してくれ」
心を弱々しく吐露するが、虚しく静まる部屋に受け止められるばかりで慰めも同情も何も返されなかった。
ただ外からは、苦しげに仰ぐ顔に太陽光と言う慰めを浴びせられるが。そこから天色の空を悠々自適に羽ばたく二羽の鳶を目にしてしまうと、殊更気は沈んだのだった。
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