第8話 闇夜の告白(1)

 昼間はバシバシッと木刀が打ち合う音がして、勇ましい掛け声がひっきりなしに飛んで、常に賑やかなのに。夜の道場は、こうも違うのね。


 月明かりも差し込まず真黒に包まれ、静まり帰りすぎてシンッと静寂が研ぎ澄まされている道場に、薫は小さく息を飲んだ。


「柚木」

「あっ、ハイッ」

 前からの呼び声に、立ち止まっていた足が慌てて真黒に飛び込む。


 そして雅清の背を追うと、彼は道場の脇に付けられた縁側こと屍の間に回り、そこへ腰を下ろした。(訓練で屍と化した隊士達が倒れ込む場であるから、屍の間と言うのである)


「あ、あの」

「まず座れ」

 雅清は薫の弱々しい言葉をピシャリと遮って告げる。


 彼の横に棒立ちになっていた薫は「え」と固まってから、「し、失礼します」と恐る恐る腰を下ろした。


 人一人と少し分を空け、薫は雅清の横に並ぶ。


 ……ねぇちょっと待って、ちょっと待って! まさかこんな風に、枢木教官と並んで座るなんて思っていなかったんだけれど! ?


 ドコドコッと薫の心臓が大太鼓以上の爆音で暴れだし、ギュルギュルと加速する血液で貧血状態とは似て非なる状態に陥り始めた。


 どうしよう、真剣に話さなくちゃいけない事があるのに。こんな幸運な状態で、まともに話なんか出来る? いや、出来ない!

 ぎゃーっ! と、可愛さの欠片も無い歓喜の悲鳴が、薫の内心で高らかに上がる。


 その時だった。

「……もう、大丈夫なのか?」

 静かにかけられた一言に、内心で大暴れをしていた薫がハッと我に帰る。そして「やばい、早く答えなきゃ!」と慌てて口を開いた。


「あっ、ハイ! そりゃあもう元気です!」

 もつれながら飛んだ早口に、ただでさえ加速している血液にカーッと羞恥が走り込みだす。


 ちょっと! こんなの落ち着きなさ過ぎだわ! もっと落ち着いて答えなさいよ、私!

 薫は変に口走った自分を殴り飛ばし、荒々しく宥めた。


 だが、雅清はあわあわと荒ぶる薫に気づきもせずに「そうか」と、飛び出した答えを淡々と受け取る。


 そして「あの後の事は心配しなくて良い。母親の姿はどこにもなかったし、隊の連中にも柚木は負傷して式で病院へ送ったと伝えている」と、泰然と言葉を継いだ。


 あまりにも落ち着き払って言葉をかける姿に、薫の興奮に冷静がずぶりと差し込み、じわじわと広がっていく。


 ……嗚呼、もう。今は大切な話をする時よ。それなのに、こんな風に興奮しているなんて、ただの馬鹿じゃないの。


『私が話を持ちかけたのだから、ちゃんとしなくちゃ駄目よ』


 薫は「ありがとうございます、枢木教官」と前を向いて答えてから、ふうと小さく息を吐き出した。


「もしかしたら、お聞き及びかもしれませんが。枢木教官、私」

「お前が花影と言う事は、先程総隊長から聞いた。だからお前の口から改まって言う必要はない」

 重たい口から紡がれる言葉を遮り、雅清が淡々と先取って答える。


 花影。ごく一部しか知らないはずの隠された単語が、彼の口からしっかりと告げられ、薫の内心にガツンと鈍い衝撃が走った。


 いつもとは違う、険しい顔をしているから。そうじゃないかなって思っていたけれど……知らないでいて欲しかった。真実を隠し通していたかった。知ってしまったとしても、この悍ましい正体は自分の口から話したかったのに。


 ぐちゃぐちゃと乱雑に言葉が並ぶだけに留まらず、一つの心に矛盾がバチバチと生じる。


 薫はそんな心を抑える様に、ギュッと服を巻き込みながら胸の前で拳を作った。そして「や、やっぱり」と、無理やり口角をあげて答える。


「そ、そうですよね! えぇ、実はそうなんです。今まで隠していて、本当に申し訳ありませんでした」

 ペコリと頭を下げてから、「こんな悍ましい化け物が隊に居て、ゾッとしましたよね。本当に申し訳ありません」と軽やかに笑い飛ばした。


 すると横から「ゾッとなんてしていない」と、力強い否定がかけられる。


 薫はその否定に「え」と目を見開き、彼の横顔を見据えた。

 雅清は「何かおかしい事を言ったか?」と言わんばかりの表情で、薫を見つめ返す。


 その眼差しに薫は少々呆気に取られるが、すぐに頭を振って「いやでも」と食い下がった。


「いつ暴走するか分からない化け物を内に封じているんですよ? それって怖くて、気持ち悪いじゃないですか!」

 あの目と左手を見ましたよね? ! と、声を荒げて噛みつく。


 その次の瞬間、雅清は「馬鹿か」と冷淡に彼女の反駁を打ち落とし、憮然と腕を組んで言った。


「俺は数多の魁魔と対峙し、討伐してきた男だぞ。それを見た所で、お前が花影だと分かった所で、そんな思いを抱く訳がないだろう」

 はぁと大きく嘆息すると、「今の反論は、俺への侮辱と受け取れる位だ」と苦々しく呻く様に付け足す。


 薫はその言葉に「そんなつもりじゃ!」と、ぶんぶんっと慌てて首と手を横に振った。


「で、でも、あの時、枢木教官、顔を引きつらせていらっしゃったから……」

「引きつらせていた?」

 雅清は薫の言葉に首を傾げてから、「引きつっていたつもりはないんだが……」と泰然と言葉を継ぐ。


「何がどうしてそうなっているのか分からなくて、混乱していたって言うのが半分。お前の身体が心配で焦っていたって言うのが半分って心だったから、そうなったのかもしれん」

「心配……?」

 サラリと流れた一言だったが。薫はハッと引っかかり、信じられないと言わんばかりの顔で雅清を見つめた。


「わ、私を?」

 ビシッと人差し指で自分の顔を指し、確認を入れる。


「突然あんな姿になれば、そりゃあ心配するだろ」

 雅清は淡々と打ち返してから、「お前、俺をそんな冷血漢だと思っているのか?」と冷ややかに問いかけた。


 薫はギクリと小さく身を強張らせ、顔を気まずそうに逸らす。


「……いいえ」

「おい」

「まぁ、そんな事よりもですね。枢木教官」

 直ぐさま物々しく飛んで来た突っ込みを強引にいなし、話を自分の流れに乗せて進める。


「本当に、分かっていらっしゃいますか? 今、貴方の側に居る女は、普通の女じゃないんですよ?」


「花影と分かる前も今も、俺はお前を普通の女だと認識した事はない。間違いなく、お前は普通の女じゃない」

 普通の女だったら、こんな所一日と経たずに出て行くし、そもそも入隊しようとせん。と、雅清は弱々しく噛みつく言い分をピシャリと一蹴した。


 薫はきっぱりと力強い宣告に、うっと言葉を詰まらせる。


「そ、それは……枢木教官の側に居たい一心故の事で」

 おずおずと人差し指同士をくっつけて離してを繰り返し、俯きがちに答えると。雅清から、フッと微笑が零れた。


「だからと言って、本当にこんな所まで来たのはお前が初めてだからな?」

 お前は本当に普通の女じゃない。と、彼は肩を竦める。


 ずけずけと重なる「普通じゃない」に、ムムッと薫の頬が膨らみ始めた。


 何よ、何よ! これは乙女の可愛い恋心なのに! それを「普通じゃない、普通じゃない」って馬鹿にするなんて! 

 

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