第5話 初めての拒絶
「な、なんだ。これは、一体! ?」
雅清は目を白黒させて、眼前にある状況を瞠った。
突如、下から真黒の棘がシュッと現れ、ドスッと鉄鼠を容赦なく貫いたのだ。
「じゅ、じゅう……」
ずぶりと太い棘に、身体の中央を貫かれた鉄鼠の短い呻きが雅清の耳に届く。
それと同時に棘からじわりと黒が広がり、鉄鼠の身体を大きく蝕み始めた。
そして天頂から足先までを黒色に染め上げると、しゅるんっと棘が引き抜かれる。それと共に、鉄鼠の巨躯も混ざり合って下がっていく。
とぷんと影に沈み、まるで何事もなかった家の景色だけを雅清の目に映した。
どういう事だ、鉄鼠の霊力が完璧に消えたぞ。
突然
ぞわわっと駆り立てられる不気味さに、バッと振り向く。
そうして、彼の目に映ったのは……ぺたりと膝をついて座り込む薫の姿。
「良かったぁ……」
薫は心の底からの安堵を零すが。雅清は、すぐにそれを「すまん、助かった。ありがとう」と受け取る事が出来なかった。
血の様に鮮やかな赤色で染まっている瞳を漆黒で囲っている左目。そして華奢な手を覆う、ゆらりゆらりと伸びて遊ぶ影の様な黒い靄。
変異とも呼べる彼女の異様な左目と左手に、雅清は唖然としてしまう。
「ゆ、柚木。お前……それは」
訥々と言葉を吐き出し、一歩を進めた。
その瞬間、薫は綻ばせていた口元をヒュッと素早く律し、バッと俯く。
「見ないで! 来ないでっ!」
初めて飛ばされる力強い拒絶に、雅清は面食らった。いや、ガツンと重たい鈍器で頭を殴られた様な心地に陥ったのだ。
そのせいで、彼の頭に並んでいた言葉が一気に霧散する。
「何があった」「どうしてそうなっているんだ」「大丈夫なのか」
どれ一つも発せられずに、雅清はただその場に佇んだ。
……俺は柚木の口から、俺に対する言葉を散々聞いている。
好きですと言う好意、格好いいだなんだと言う称賛。
そればかりか悪口も聞いたし、俺のしごきに対する不満と愚痴だって聞いた事がある。近頃では「大嫌い」「もう好きじゃない」とも飛ばされた。
でも、拒絶を貰った事は今まで一度もない。
なんやかんや言いつつも、俺の側に居続ける奴だった。
なのに、「見ないで、来ないで」……?
雅清は沸々とうずく想いをゆっくりと飲み込んでから、「柚木」と声をかけた。
「俺は、」
「さぁさ、お嬢様」
雅清の静かな声に、淑やかな声が堂々と重なる。
そしてひらひらっと蝶の形代が二人の間に飛んで入ると、その形代はくるっと宙返りして女性の姿に変わった。
彼女は、ストンッと軽やかに着地する。
キリッとしていながらも、黄金比の様な均整が取れた美しい相貌。スラッとした細身を上品な錦織の着物で包み、美麗に着こなしている。
しゃきっと伸びた背筋、凜とした佇まいが相まって、彼女の纏う雰囲気は美しいばかりでなく、実に気高いものだった。
「その様なお心のままではいけませんよ、どうか気を鎮められませ」
「……く、
薫は目の前に突然現れた女性の姿に、ボソリと呟く。
「はい、お嬢様。葛の葉が参りましたよ」
薫の弱々しい呼び声に、葛の葉はシャキシャキと答えた。
そしてすぐにクルッと身体の向きを変え、その場で呆然と佇む雅清と対峙する。
「この様な形では、お初にお目にかかりますね。私は土御門宗家に仕える式、葛の葉と申します。今はお嬢様、薫様のお付きとして従事しております」
葛の葉はペコリとお辞儀をしてから、「此度はお嬢様が大変ご迷惑をおかけいたしまして、申し訳ございません」と丁寧に謝辞を述べた。
「加えて、何一つ礼をせぬまま、この場からお嬢様共々辞去すると言う無礼を働く事もどうかお許し下さい」
「は?」
唖然と大きく開かれた雅清の口から、困惑と怪訝に塗れた一言が零れる。
だが、それを気に掛ける素振りもなく、葛の葉はパンパンッと軽やかに手を打った。
すると彼女が蝶の式神として通ってきた軌道と同じ道を通って、人型の形代が飛んで来る。そしてクルッと宙返りすると同時に、見目麗しい青年の姿に変わった。
真面目そうな書生の姿をしているが、掴み所がない怪しげな雰囲気を纏わせている。
葛の葉はその青年を一瞥もする事もなく、雅清だけを見据えたまま「
「ハッ」
竜胆と呼ばれた青年は素早く薫を抱き上げ、自身の腕の中に収める。
その姿に、雅清は「おい」と鋭く声を上げた。
「柚木を」
「枢木様、どうかご安心を」
雅清の声に、葛の葉の声が重なった。その声は艶やかながらも、一瞬にして人を押し黙らせる力強さが込められていた。
「お嬢様には少々、我が家で安静になさっていただくだけです。此度はすぐに終わりましょうから、終わり次第、我々が責任を持ってお嬢様をそちらに送り届けます故ご安心を」
葛の葉がフッと小さく口角を上げると同時に、薫を抱き上げていた青年の姿がフッと消える。
そして葛の葉も「では、失礼致します」と、ぺこりと頭を下げてからフッとどこかへ消えてしまった。
寂れた家に、ポツンと雅清だけが一人残される。
瞬く間に舞い戻る静寂が、痛烈に身を突き刺した。
雅清は薫が居た虚空を見つめるが、その瞳に映っていたのは最後に捉えた薫の姿。
ギュッと堅く瞑った目の端からポロポロと零れる涙、その涙を拭ってと言わんばかりに首元に顔を埋め、竜胆に抱きつく姿が、彼の目にはずっと残っていた。
ギリッと力強く奥歯を噛みしめ、手にしていた二刀をキンッと鞘に収める。
それでも尚、彼の心はざわざわと騒ぎ、争い、蝕んでいた。
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