第4話 突然の変化(2)
「柚木っ!」
バンッと荒々しく入り口の戸が開き、雅清が内へと飛び込んできた。
「く、くく、枢木教官! ?」
先程の鉄鼠の悲鳴と負けじ劣らずの叫びがあがる。
薫はひゅんっと身を縮こめて、「お叱りを受ける覚悟」をしかと作った。
だが、いつまで経っても怒声は浴びせられない。「はぁ」と小さな嘆息が吐き出されるだけだった。
その嘆息に、薫は「あれ、怒鳴ってこないの?」ときょとんと首を傾げてしまう。
「く、枢木教官?」
「馬鹿か、お前は!」
ひゃっ、やっぱり来たっ!
おずおずとした問いかけに噛みついた怒声に、薫は思いきり首を竦めた。
そしてカツカツと距離を詰めながら「何も言わず一人で消える馬鹿がいるか!」と、頭上から怒りを浴びせる。
薫は「想像通りのお叱り……でも、本物の方が凄まじく怖い!」と、更に首を竦めて容赦ない怒声を受け止めた。
「抜ける時は、必ず指揮官に断りを入れろ! お前のせいで隊が乱れただけじゃない、班長の怜人がどれだけお前を心配していたと思う!」
「ハイッ! 申し訳ありませんでした!」
「そして絶対に一人で抜け出すな、最低でも二人で動け!」
「ハイッ!」
「必ず一人でどうにか出来る問題だとは限らないんだぞ! こんな所まで一人離れてしまえば、隊の加勢もすぐには望めないんだ! お前一人で解決出来なかったら、どうするつもりだったんだっ!」
「仰る通りです、私が軽率でしたっ! 申し訳ありませんでした!」
矢継ぎ早に飛んで来る怒りに、薫はぺこぺこと低心頭に謝りながら答える……が。「で、でもですね」と、恐る恐る言い訳を挟み込んだ。
「子供に母親が物の怪に襲われているから助けて、って言われたので……これは聖陽軍としては捨て置けないなぁって」
「だから、勝手に一人列を抜け出して良いとでも? !」
雅清はカッと目を吊り上げ、弱々しい言い訳にも容赦なく噛みつく。
薫は更に噴火した怒りに「ひゃっ!」と首を竦めて、「思っていませんっ、申し訳ありませんっ!」と声を裏返して答えた。
「本当に申し訳ありませんでした!」
ガバッと土下座せんばかりの勢いで頭を下げる。
雅清は目の前で下げられる頭にチッと鋭く舌を打ってから、「もう良い」と物々しく告げた。
薫はその言葉におずおずと頭をあげ、雅清の顔色を窺う。
雅清はその眼差しをキッと力強く睨めつけて跳ね返し、「柚木」と物々しく彼女の名を呼んだ。
「今回は反省文だけじゃすまさん」
絶望的な宣告に、薫はしゅんと肩を落として「はい」と俯きながら答える。
「……全て、しっかりと受けます」
最悪だけど。と、薫はボソリと嘆いた。勿論、雅清には見通す事が出来ない「自分しか居ない世界」の内側で。
案の定、雅清は嘆きに気付く事なく「なら良い」と頷いてから、淡々と言葉を継いだ。
「母親の捜索に行くぞ」
「は、ハイ……」
薫は項垂れたまま、くるりと背を向けて先を歩き出す雅清の後をついて行こうと一歩を踏み出す。
その時だった。
「まだ、だじゅ」
悍ましい声が二人の耳に貫く。
二人はバッとその場で振り返り、刀を引き抜いた。
二人の鋒が定める先には、割れた頭からうねうねと朱殷色のナニカが飛び出し、ピタリと縫合していく鉄鼠の姿があった。
薫はヒュッと息を飲み、「嘘」と目の前に映る信じられない事態に呆然としてしまう。
だが、雅清は違った。ダッと素早く駆け出し、一気に片を付けようと刃を向ける。
「
彼が小さく唱えると同時に、青白い炎が刀身の上にボッと生まれた。するとその炎はしゅるしゅるっと獲物を巻き上げる蛇の様に這い、刀身に蒼炎の螺旋を作る。
「
ザシュッと刀を振り下ろすと共に、刀を這っていた螺旋も鉄鼠に襲いかかった。
しゅるるっと炎が一気に鉄鼠の全身を縛り、包み込み、カッと強く発光する。
「ギャアアッ!」
数分前と同じ悲鳴が上がる……が。しゅううっと炎が消えていくと、そこには火傷塗れになった身体を修復するナニカによって立ち上がる鉄鼠の姿があった。
「ほう、これでも駄目か」
ただの鉄鼠ではなさそうだ。と、雅清は淡々と独りごちてから、サッと二刀目を引き抜く。
その時だった。
「「今度はこっちの番だ」じゅ」
突然重なった禍々しい声に、薫の身体がぶわっと粟立つ。
何、今の声……! う、ううん。それだけじゃない。霊気が別物になりかかっている。こ、こんなの、始めの時は感じなかったのに!
薫はぶわりと内に渦巻く恐怖に駆り立てられ「枢木教官!」と、張り叫んだ。
「あの鉄鼠は危険です、普通の鉄鼠じゃありません!」
「分かっている」
雅清は薫の警告をサラッと受け止めると、チラッと肩越しに薫を見据える。
「お前はそこで待機だ。攻撃が飛んで来ても、自分で対処しろ。良いな?」
冷淡に下された命に、薫はギュッと唇を噛みしめてから力強く答える。
「ハイッ!」
薫が答えるや否や、雅清はバッと鉄鼠に向かって駆け出した。
待機命令を下された薫も、その場でキュッと柄を握り直して、気を張り詰める。
すると鉄鼠がぐわっと雅清に襲いかかり、ぶわっと舞う埃によって薫の視界から雅清が消えた。
急いで視界を明朗にさせようとバッバッと刀を振り、雅清を捉え直すが。そこには、雅清と鉄鼠、激しい攻防を繰り広げる姿があった。
わ、私なんかじゃ手も足も出ないわ。助太刀をしたいけれど、きっとただの邪魔にしかならない……。
グッと奥歯を噛みしめ、繰り広げられる激しい攻防を前に佇んだ。そしてぎゅうっと胸の奥から、熱い想いが込み上げ始める。
枢木教官。攻撃が飛んで来たら自分で何とかしろって、言ったくせに……。
必ず薫を背に庇い、
嗚呼、もう。これは、私が弱くて足手纏いだからなのに……気持ちが溢れちゃう。
薫はじんわりと温かく痛む胸を押さえる代わりに、ぎゅうううっと柄を力強く握った。
そうして雅清が戦う背だけを見つめていたが、その視界にざわりと暗黒が襲いかかる。「あっ!」と声を張り上げ、その暗黒を的確に視認した。
朱殷色になっているけれど、間違いない! あれは、あの鼠の大群と同じだわ!
薫は彼の背に襲いかかる暗黒に向かって刃を向け、ダッと駆け出した。
だが、彼女の刃が向かうよりも前に、彼の刃が気付くよりも前に、鼠の大群はぶわりと素早く動く。
「じゅううっ!」
雄叫びをあげ、もう一匹の巨大な鼠となった大軍が雅清に向かって襲いかかった。
駄目っ、間に合わないっ!
「雅清さんっ!」
切羽詰まった悲鳴が弾けた、刹那。ズキンと、薫の腹部が熱を帯びてうずき出す。
『我の力を貸してやろう、カオル』
薫は自身の頭の中に貫く、尊大な声にハッと息を飲んだ。
『お前の想い人を助けるには、我の力を使うしか手はない。分かっているだろう、カオル?』
そう思い悩むな。と、嫌に反芻する声。
……アンタの魂胆は分かっているのよ。
だからこれは絶対に乗ってはいけない、甘い誘惑。その先に待つ最悪の展開も、見通せているの。
でも、でも、今この時を切り抜けられるなら。私は、乗るしかない。今この時に、雅清さんを助けられるなら、それで良い。
薫はスッと意識を沈めた。
……ガチャンと錠が荒々しく外れ、ギイィと重々しく黒色の扉が開く。
その開かれた扉を荒々しく跳ね飛ばす様にして、ドシンッと手が現れた。
底が見えない暗黒の靄が覆い、形状を緩やかに変えていく。
救いの手なんて言うありがたみも、優しさの欠片も、何一つ見えない。悍ましい手だ。
だが、薫はその悪魔の手に近づき、そっと手を触れる。
刹那、ぶわりと薫の身体は暗黒に包まれた。
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