第37話 ジョーンズの修行
ジョーンズ・グレイは、フェンネルの底知れぬ意地悪に限界を感じていた。
アニス・テューダーと別れ別れになってから、幾月――。
すでに数か月経っており、自分の魔力にいまいち自信を持てないでいた。というかフェンネルとの二人きりの修行に行き詰っていた。
ここ数日は魔法陣を描く練習をしているのだがうまくいかない。魔法陣を使ってジョーンズの魔力を増幅させるのが目的だ。七つの紋様は描けたし、呪文も間違えなかった。それなのに自分に変化は起きない。
フェンネルが白い目で見ている。
「……なんですか?」
「それでも大魔法使いの末裔か?」
最近は名前まで省略されている。
「ええ、僕の先祖は、セント・ジョーンズ・ワートという最大の魔法使いだったようですね」
「はああ……」
フェンネルはため息をついた。ジョーンズはむっとした。今ならアニスの苦労がよく理解できる。
「フェンネル、もっと弟子を労わりませんか、これでは僕のやる気がなくなってしまう」
「よく言うな」
フェンネルは形のよい眉をひそめた。
「お前の魔法陣は何かを召喚したぞ」
「はっ?」
ジョーンズは耳を疑った。
「何か? とは何ですか? 僕はそんな呪文を唱えた覚えはありませんが……」
「スペルを間違っていた」
「そんな、まさか……」
何か変な生き物か、もしくは冥界の使者を召喚しまったのだろうか。
「来たぞ」
フェンネルが茂みの方へ顔を向けた。
ジョーンズは身構えた。どうして、円陣の外から現れるのか。
「あの……どうして魔法陣の外なんですか?」
「お前の魔法陣は全く未熟だ。半径一キロメートル以内に渡って魔法陣は解放されていた」
「だったら、先に教えてくださいっ」
ジョーンズは頭を抱えた。召喚された何かの数はどれくらい、いるのだろう。
想像するだけで悪寒が走る。
「まあ、どうも人よりも多い魔力があることは認めよう。メランポードに吸い取られたわりに、残っている魔力は底知れぬようだ」
メランポードとは黒い魔女の名前で、変身前はタンジーという名の黒い魔女見習いだった。
以前、ジョーンズは、タンジーの魔力に操られて彼女の虜になっていた。その頃はただの人間だったジョーンズは、祖父から受け継いでいた魔力をタンジーに奪われ、彼女の変身の手助けをしてしまった。
タンジーの名を出されると、心臓がズキズキする。
こうやってフェンネルは過去をねちねちとほじくり、意地悪をするのだ。「過ちを忘れてはならぬ」とフェンネルは口癖のように言う。
そうこうしながら、ジョーンズが身構えている間に、魔法陣の外側から現れた何かは、ただのキツネだった。
フェンネルは無言のままため息をつき、ジョーンズは安堵のあまり大きく息を吐いた
「よかった……」
「ただのキツネだ」
「害はないですよね」
「ないだろう。どこからどう見てもただのキツネだ。魔力もない。使い魔でもない。ただの……」
「ああ、わかりました。ありがとうございます」
急いでフェンネルの言葉を遮る。
「今日はもうこの辺りでやめて城へ戻ろうか」
フェンネルが息をついて言った。
場所は変わって、その頃、妖精の国では異変が起きていた。
妖精の王、ローワンは失踪し、その妻である女王ラベンダーは王位継承権を放棄して、その後に後妻の娘であるリリーオブが女王として君臨していた。
リリーオブは、ローワンの子を身ごもっており、数日で出産するはずだった。ところが早産でリリーオブの子供は流れてしまった。
母親のガーデニアは悲しみに暮れる娘に優しく話しかけた。
「悲しまないで、リリー」
「お母さまは分からないのよ……」
リリーオブはすっかり痩せてしまい、豊満な胸もどっしりとしたお尻も小さくしぼんで、頬はこけてしまっていた。痩せて骨と皮だけになってしまった彼女は鏡を見てはラベンダーとローワンに対する怒りに苦しんだ。
「ローワンを探しましょう。彼の子どもを宿すのです」
母の言葉にリリーオブは鼻で笑った。
「できるわけないわ。彼に毒を持ったの、そのおかげでできた子どもよ。そんなチャンスは二度と訪れないわ」
自嘲気味に話すリリーオブに、母はシッと人差し指で制した。
「めったなことは言わないで、リリー。誰が聞いているか分からないわ」
「大丈夫よ、お母さま」
リリーオブは悲しげに目を伏せた。
「誰もここには来ない。ラベンダーとローワンがいなくなり、妖精の国は小さくなりつつあるわ。守りの兵士をとどめておくだけで精いっぱいよ」
妖精たちは自分の身は自分で守ろうと、集団でいなくなっていった。冥界の扉が開いてから、黒いモノたちが妖精の国の浸食を始めていた。
「ローワンがいたら、あんな奴ら消し飛ばしてくれるのに……」
リリーオブは、たくましいローワンの事を思い浮かべた。
彼は決して自分の物にはならない。あの男はラベンダーしか愛さないのだ。
どんなに自分が彼を愛しているか。
ラベンダーとの関係を壊そうと、母親と組んでラベンダーに毒を飲ませ、毎晩のように幻覚を見せた。おかげでラベンダーは、ローワンに対する信頼を失っていたが、彼はどこ吹く風でラベンダーに対する気持ちを変える事は出来なかった。
リリーオブは苦い気持ちで唇を噛んだ。
その時、ドアをノックする音に、母と娘ははっとした。
「誰?」
ガーデニアが聞くと、おずおずと外からメイドの声がした。
「女王様にお客様がお見えになっています」
「客?」
最近は、人間の貴族も魔法使いも誰も妖精の国を訪れない。
「誰かしら」
母が不安そうな顔で言った。メイドは重ねて言った。
「メランポード様とおっしゃられます」
「メランポード?」
聞いたこともない名前だ。
母は断りましょうと言いかけたが、リリーオブはその女に会おうと思った。
「客間へお通ししなさい」
「かしこまりました」
メイドが去り、リリーオブはソファから立ち上がった。
「会うの?」
ガーデニアが心配そうに言った。
「暇だから、誰かとおしゃべりしたら気がまぎれるわ」
「衛兵を連れて行った方がいいわ」
ガーデニアが物騒なことを言う。
「どうして? 一体、誰がわたしを襲うと言うの?」
リリーオブがびっくりすると、ガーデニアは手を揉み合わせた。
「だって、ここはラベンダーの支配地だったのよ。彼女を追い出してわたしたちは除け者のような扱いを受けているのよ」
ラベンダーの父である元国王は、ラベンダーが王位継承権を放棄したことを知った数日後に亡くなった。ガーデニアは守ってくれる盾を失い、心細く感じていた。
「自信を持ってお母さま、わたしたちは大丈夫よ。だって、わたしは女王なのだから」
リリーオブは安心させるように母の手を優しく撫でると、ゆっくりと部屋を出て行った。その背中は細く、かつてないほど痩せてしまった娘を見て、ガーデニアは涙ぐんだ。
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