第34話 最後の自分



 ローワンが出て行った後、ラベンダーは起き上がり、できる限り自分で体を清めた。

 ローワンの事を思い出すと、恥ずかしくなる。

 いけない。考えないようにしないと。

 ラベンダーは首を振ると、リネンのナイトドレスをラベンダー色のドレスへと変化させた。肩の部分はレースをあしらい、スカートはふんわりとしたシフォンでお気に入りのドレスだ。

 力を使うごとに自分が弱っている事に気がついていたが、妖精として最後の自分なのだ。最後くらい美しくありたかった。

 部屋を見渡すとテーブルに瓶詰が置いてあった。中にローズシュガーが詰めてあった。


「これを頂くわ」


 ローズには様々な力があり、治癒・治療(ヒーリング)作用がある。レモンバームのサシェを取り出し、ハーブティと一緒に食べた。少し、全身が温まった気がする。

 ラベンダーは目を閉じて、背中に閉じてあった羽を広げた。


「アニスの元へ行かなきゃ」


 ラベンダーは呟くと、ハシバミの杖を取り出し、ドアノブに向かって魔法をかけた。


「ドアを開けた者は、リリーオブの部屋へと移動せよ」


 テレポートキーを使うのはこれで最後になるはずだ。ラベンダーはしんみりと笑った。そして、顔を引き締めた。


 ――エルダー。わたしをフェンネルの元へと導いて。


 すぐに窓を叩く音がした。カーテンを開くとシロフクロウが飛び込んできた。


 ――お決めになられたのですね?

「ええ」


 ラベンダーはほほ笑んだ。エルダーが羽を広げて外へ飛び立つ。ラベンダーも後を追った。エルダーはマーメイドの力を借りずに広大な森の中を飛んで行く。迷いもせず、ぐんぐんと森の奥深くへと入っていった。


 アレイスターの森は守られている――。

 肌で感じながら、ラベンダーはさらに森を守る魔法を強くかけた。羽ばたくたび、辺り一帯が浄化されていく。


 ――王女様、もうお力を使うのはおやめください。


 エルダーが心配して言ったが、ラベンダーは首を振った。


 ――気を遣ってくれてありがとう。


 王女として最後の力を振り絞る。自分は生まれ変わりたかった。

 森の奥深くへ入ると、魔法使いとアニスの恋人がいた。そばには白鷺の妖精が立っていて、アレイスターの赤ん坊を抱いていた。赤ん坊を見てラベンダーは胸が熱くなった。

 ラベンダーが現れ、アニスの恋人が驚いた顔をした。


「フェンネル、なぜ彼女が戻って来たんだ?」


 フェンネルはそれには答えなかった。エルダーが飛び去り、ラベンダーは地上へ降り立った。ラベンダーはあえて羽を閉じずにそのままにした。


「美しい羽ですね。女王の証だ」

「……」

「だいぶ顔色がいいみたいで安心しました」

「ありがとう」


 ラベンダーは硬い表情のまま答えた。彼らの背後でアニスが入ったままの繭があった。ラベンダーはそばへと近寄った。


「アニスは無事ですか?」

「まだ、変化がないんです」


 アニスの恋人がしょんぼりと答える。


「あなたは?」

「僕はジョーンズ。ジョーンズ・グレイです。アニスの……その、元婚約者です」

「そう……」


 もし、アニスがウインタークイーンとして誕生すればどうなるだろう。


「エルダーから話は聞きました」

「では、あなたはお決めになられたのですね」


 ラベンダーはこくりと頷いた。


「待って」


 ジョーンズが二人の話を遮った。


「なんの話をしているんだ。僕にも説明してほしい」


 フェンネルがちらりとジョーンズを見てから、ラベンダーを見た。


「ジョーンズさん、あなたにも関係があるわ。知るべきです」

「一体、なんの話です?」

「アレイスターを正しい道へ導けるのは、サマークイーンしかいないのだ」


 フェンネルが簡単に説明をした。ジョーンズは首を傾げた。


「サマークイーンとはなんですか?」

「南の領地シヴァ国を守るべき女王だ。だが、今は両方とも存在しない」

「両方とも?」

「シヴァ国には、王も女王もいないのだ。だから、彼女に未来を託した」


 ジョーンズが怪訝な顔でラベンダーを見た。


「わたしの母はシヴァ国のサマークイーンだったのです。わたしにはその権利があるのです」

「待って、あなたは妖精の女王でしょ?」


 ジョーンズの言葉が胸に刺さる。ラベンダーは目を逸らした。


「ええ」

「両方を兼ねることができるのですか?」

「いいえ」

「じゃあ、妖精の国はどうなるのですか?」

「……リリーオブに譲ります」

「なんだって?」


 ジョーンズの顔がますます険しくなった。


「フェンネル、彼女は苦しんでいるんじゃないのか。今の生活を捨ててまで、アレイスターを任せなくてはいけないのか?」

「ジョーンズ、アレイスターは危険な存在だ。彼の生き方次第で未来は変わる」


 ジョーンズは再びラベンダーを見た。


「君は夫がいたのではないのですか?」

「ええ……」

「彼は知っているのですか?」

「いいえ」


 ラベンダーはそれ以上、何も言いたくなかった。ジョーンズは、ラベンダーの顔色を見て口をつぐんだ。


「あなたはそれでいいのですね」

「ええ」


 夫婦の間に口を出せないと思ったのだろう、ジョーンズはそれ以上、聞いてはこなかった。


「ところで、さっき、あなたは僕にも関係のある話だと言いましたね」

「言いました」

「それはどういう意味ですか?」

「ラーラの書には、サマークイーンが復活すると同時に、ウインタークイーンも復活するとあるのです」

「……え?」

「ウインタークイーンは、北の領地を守る女王のことを指します。わたしがサマークイーンとして復活すれば、アニスの復活にも何か変化があるかもしれません」


 ジョーンズは少し考えてから訊ねた。


「つまり、……アニスが、ウインタークイーンとなるかも知れないのですね」

「ええ」

「分かりました。でも、僕は何があってもアニスのそばを離れない」


 ラベンダーはじっとジョーンズを見つめた。

 彼は北がどういうものか知っているのだろうか。

 ジョーンズは厳しい顔でラベンダーを見た。


「アニスがどんな姿で復活しようと、僕は彼女を愛している。だから、何があろうと離れないと誓う」


 ラベンダーは目頭が熱くなり、今にも泣きそうになった。

 アニスがうらやましいとさえ思った。


「わたしもウインタークイーンがどんなものなのか知りません。けれど、あなたのように頼もしい方がそばにいれば、アニスはどんな運命も受け入れることができると思うわ」

「ここにつるぎがある」


 フェンネルが差し出したのは錆びた銀色の剣だった。


「これはずっと海の中に沈んでいて、ようやく探し当てたばかりの貴重な剣だ。長く復活していないため錆びている。わたしが持っても害はない」


 ジョーンズは錆びた剣を興味深げに見つめていた。

 剣が近づくと、ラベンダーは封印されている力を感じた。手を伸ばすとフェンネルがたしなめた。


「気をつけて、剣は人を選ぶ」

「ええ」


 ラベンダーは頷くと、そばにいる白鷺の妖精からアレイスターの赤ん坊に目を向けた。


「抱っこさせて」


 妖精が頷き、アレイスターを手渡した。ラベンダーは眠っている赤ん坊の顔を覗き込んだ。


「可愛い、すごくきれいな顔をしているわ」

「そうかな?」


 ジョーンズが肩をすくめる。

 ラベンダーはほほ笑んでアレイスターを抱いたまま、フェンネルから剣を受け取った。しかし、手には触れずに剣を浮かせたまま、アニスの繭へと近寄った。


「どこへ行くんですか?」


 ジョーンズの焦った声がする。ラベンダーは振り向いた。


「アニスの元へ行きます。そうする必要があるの。アニス、導いて」


 そばへ近寄ると、動きのなかった繭がぱくりと開いた。ラベンダーは赤ん坊を抱いたまま、中へと入って行った。繭の中は灰色のくすんだ色をしていた。

 アレイスターは、ラベンダーのそばでふわふわと浮かんでいる。

 ラベンダーは、これは一体何でできているのだろうと思いながら見つめていると、どうやら壁は草糸で編まれていることに気付いた。

 空間の真ん中に誰かがうずくまっている。ラベンダーは息を吐いた。


「アニス、ここにいたの……」

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