第33話 油断




 油断していた。

 ラベンダーが例のごとく、ドアノブに魔法をかけていたのだ。

 目を開けると、着替えをしているリリーオブがきょとんとしてこちらを見ていた。そして、ローワンを見ると頬をピンク色に染めた。


「あら、いらっしゃい、ローワン」


 すぐさま下着姿の彼女が飛びついて来た。


「よせっ」


 ローワンは手を上げて彼女を押しとどめようとしたが、間にあわなかった。

 リリーオブは豊満な体を揺らし、ローワンを逃すまいと強く抱きしめた。彼女からは甘ったるい匂いがしている。ローワンはこの匂いが大嫌いだった。


 ラベンダーの爽やかな匂いとは別に、息を止めたくなるほど濃厚で甘い匂いは脳を麻痺させる。リリーオブは妖精の力はなかったが、ポイズンを作る天才だった。彼女はメイドや下僕に趣向を凝らした毒を飲ませるのが趣味だった。

 ラベンダーは純粋な女性であったため、リリーオブがそんなあくどい事をしているなど夢にも思っていないだろう。

 初めてリリーオブの所業を見た時、ローワンはぞっとしたものだ。彼女の作る飲み物には絶対に手は出さない。

 リリーオブの体を避けながら、ローワンはすぐにドアを開けて出て行こうとした。ところがドアが開かない。


「なっ」


 ローワンは驚いて後ずさりした。自分の両手を見た。力が入らなかった。


「お前、俺の体に何をした……?」


 リリーオブを振り返ると、彼女は自分の胸元に香水を振りかけて、手にはめた指輪を見せた。


「これで突いたの」

「は?」


 指輪には数ミリだが、小さな針が出る仕掛けになっていた。

 ローワンはわけが分からず混乱していると、体が横に傾いた。膝をついてリリーオブを見上げた。


「ただのしびれ薬よ。あなたなら、数分しか持たないと思うんだけど、せっかく来てくれたんだもの、一緒に遊びましょ」

「冗談じゃない……」


 ローワンは怒りで我を失いそうになった。こんな肉の塊のような女は自分の好みではない。ローワンが欲しいのはラベンダーただ一人だ。


「何を勘違いしているのか知らないが、俺はお前が好きではない」

「知っているわ」


 リリーオブはつんとして言った。


「でも、私はあなたが好きなの。何が何でもあなたを手に入れてみせるわ」


 リリーオブは弱っているローワンの方へしゃがみ込むと、無理やり顔を仰向けにさせた。顎をとらえられ、ローワンは不快に顔を歪ませた。


「何をするっ」

「これを飲んで」


 口を開けさせられ、強引に液体を流し込まれる。ローワンはむせ込みながら、全て吐き出そうとした。しかし、リリーオブは容赦なく、口を手のひらで押し付け鼻まで塞いだ。息苦しくてもがくと喉の奥に焼けつくような痛みを感じて、液体を呑みこんでしまった。


「貴様……」


 俺に何を……した、と言ったが、言葉は続かなかった。ローワンは目を閉じて、意識を失った。




 ややして目を覚ますと、いつの間にかラベンダーの膝の上で寝ていた。


「ラベンダー……」


 ろれつが回っていなかったが、彼女の匂いに吸い込まれるように顔を寄せた。

 ラベンダーの可憐な唇を吸った。ラベンダーは激しく自分を求めていた。そして、ローワンはそれに答えた。しかし、ローワンはすぐに目を覚ました。部屋中、強い匂いがしている。吐きそうになってうつろに目を開けると、目の前にリリーオブの姿があってギョッとした。


「どけっ」


 リリーオブから甘い匂いがしていた。彼女自身がポイズンのようだった。気がつけば自分は半分裸になっていた。ローワンは必死で彼女を投げ飛ばした。しかし、事は終わった後で、彼女は不敵に笑った。


「あなたの子供が欲しかったの」

「なんだと?」


 ローワンは耳を疑った。


「今、なんと言った」

「妖精の王の子供よ。私が妊娠すれば、この子にも権利が与えられる」


 この女は危険だ、と今さら気付いた。


「妊娠などするはずはない」


 リリーオブはにやりと笑った。


「わたしは薬を作る天才なの。妊娠しやすい薬を改良し、間違いなく着床できたと思うの」


 お腹を押さえるリリーオブは妖魔のようだった。ローワンが身構えるとリリーオブは叫んだ。


「わたしを殺すの? 殺人は王であろうと大罪よ」

「お前は俺を脅しただろうがっ」

「脅してなどいないわ。わたしには権利があるのです。前国王の娘でもあるのよ。わたしの子供が女の子であれば、妖精の王女の資格を得る権利もあるの」


 リリーオブの目的は何なのか、ローワンには分からなかった。


「何が欲しいんだ」

「あなたよっ」


 リリーオブは悲痛に声を上げた。ぽろぽろと大粒の涙をこぼし始める。


「あなたが欲しいのよ。こうでもしないとあなたはわたしを見てくれないし、憎まれてもいいから、あなたが欲しかったのよ」


 ローワンはこの部屋にいてはならないと思った。背を向けて出ようとしたが、泣いている女を放っておけなかった。


「くそ……」


 自分の声が自分のものではない気がした。リリーオブが、泣き目をはらした顔を上げた。



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