第32話 失いたくない



 これでよかったのだ。

 もっと早くにこうするべきだった。

 ローワンは腕の中で眠るラベンダーを抱き寄せて、自分が行ったことを正当化するように自分に言い聞かせた。

 しかし、これまで自分の行動が果たしてラベンダーに伝わっていただろうか、と思うと、ローワンは自信がなかった。

 不器用で素直になれないローワンは、ラベンダーに、一言、愛しているからと言えばよかったのに、彼女を喜ばせるどころか、いっそう苦しめる返事をしてしまった。直後に後悔したが、後で何か言ってもそれは言い訳にしか聞こえないと思い、傷ついたラベンダーを見て自分も深く傷ついていた。


 彼女を抱いたのは、もっと早くにこうしていればよかった思ったからだ。

 ラベンダーの弱った姿を見ていると、失うかもしれないという恐怖を感じた。

 ラベンダーは、ローワンにとって絶対的な存在だった。


 彼女が女王であるからこそ、自分は何が何でも王にならなくてはと思った。

 ラベンダーを他の男になど渡さない。自分は限界を超えてでも彼女の夫として、妖精の王となり、隣に立てる資格を得ようと、必死で生きてきた。

 他の男たちが休んでいる間も、ローワンは陰で努力してきたのだ。全てはラベンダーのためだったのに、彼女には気づいてもらえなかった。


 ラベンダーの父親である前王が連れてきた女たちは、力はないが美しい妻とその妻によく似た娘だった。

 父親の愛情が二人へ移った事にラベンダーは悲しんでいるように見えた。

 悲しみを塞ぐ存在になりたかったが、なぜか、彼女は自分でさえも拒むようになった。結婚を早めたのは、ラベンダーへの愛を示したつもりだったが、ラベンダーは、自分が王になりたいがために結婚をしたと思い込んでいる。

 今、ラベンダーは生まれたままの姿で寝入っている。

 顔が青白く、弱った体にひどいことをしたという自覚はあったが、今ここで愛を交わさなければ彼女を失ってしまうような気がしていた。


「ラベンダー」


 抱き寄せて耳元で囁いたが、彼女は眠っているようだった。温かく滑らかな素肌。二度とこの体を手放したくない。


「ローワン……?」


 ラベンダーが目を覚まして肩をこわばらせた。表情が硬い。

 ローワンは傷ついた。

 彼女のまぶしい笑顔を見たのはいつだったか。もう、ずっと見ていない気がする。


「体は大丈夫か?」

「ええ……」


 ラベンダーはすっと目を逸らすと、シーツを手繰り寄せて体に巻き付けた。


「お湯に入りたいの」


 俯いた顔は白く、まつげは濡れている。ローワンは手を伸ばしたがラベンダーに拒まれて、そのまま手を下ろした。


「お湯を運んでもらうように頼んでくるよ」


 ベッドから出て、洋服を身にまとう。その間、ラベンダーはベッドのシーツを見ていた。しかし、自分がドアを開けて出ようとした時、


「ローワンっ」


 と切羽詰まったような声がして振り向いた。


「どうしたっ?」


 ローワンは驚いて彼女に駆け寄った。


「どこか痛むのか?」

「え?」


 ラベンダーは泣いていた。むき出しの肩に触れると、冷たくなっていた。

 こんなに細かっただろうか、と思いながら、ローワンは再び自分の体が熱くなるのを感じた。だが、これ以上、ラベンダーに負担をかけたくなかった。


「すぐに戻るからな」


 額に口づけをすると、弱々しい顔をしたラベンダーを残して部屋を出た。部屋を出てからすぐにメイドの姿を見つけた。


「おいっ」


 メイドだと思っていたがアザミの妖精だった。


「は、はい。何かご用でございますか?」


 妖精はお辞儀をした。


「お前の名前は?」


 妖精は穏やかな茶色の瞳をしていたが、髪の毛は真っ赤だった。


「シャルと申します」

「ラベンダーの部屋にバスタブを用意してほしい。湯を浴びたいそうだ」

「かしこまりました」


 シャルはお辞儀をすると、身を翻し行ってしまった。

 ローワンはすぐに部屋に戻った。ドアをノックして中からの返事を待たずにドアを開けた。

 瞬間、彼はくらくらとめまいがしたと同時に、しまった、と心の中で叫んだ。

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