第4話

泣き止んだ僕は、気恥ずかしさからか顔を赤くしてしまう。


そんな僕の頭にポンと手を置き、


「ふふふっ、かわいいな」

今度は柔らかくハグしてきてくれる。


「ちょっ!」

すかさず栞も抱きついてくる。


恥ずかしさよりも、彼女たちの甘い香りと柔らかさに包まれていたいという欲が勝る。


しばらくそうしていると、姫宮さんが立ち上がって白湯を持ってきてくれる。泣き疲れて喉が少し痛かったので、ありがたい。

気配りというか、観察力がすごいなこの人。





「はぁ、はぁ、ぜぇ、はぁ」


足が重い。だがそれ以上に呼吸が苦しい。心なしか胸も痛い。正直今にでも立ち止まってしまいたかったが、立ち止まってしまったら負けだという気持ちがどこかにあった。


僕は今、姫宮さんと一緒に走っていた。


トレーニングである。


何のためか、トラウマの克服のためである。

姫宮さん曰く、強くなって袴田や、袴田兄に勝つこと。それが最も効果的な方法とのこと。


そのためのトレーニング。いわゆる基礎、体作りである。


そしてこのランニングは精神修養の意味も兼ねているみたい。まぁ誰だって好き好んで長い距離を走るなんてしたくないものね。忍耐力、精神力は尽きそうだ。


うぇ、強くなるためとはいえ、やっぱしんどいや。ちょっと吐き気までしてきた。



いきなり5キロ走ろうと言われたときは面食らった。何せ普段全く運動などしない八雲である。まともに走ったことなど、学校での100メートル走くらいである。


しかし、「走れ」ではなく「走ろう」と言われたこと、何よりトラウマを克服したいという思いが八雲を突き動かした。


「いいぞ、八雲! ペースは気にしなくていいから走りきれ! お前ならできる!」


並走する姫宮さんから声がかかる。


「八雲ー! かっこいいよー! 頑張ってー!! きゃー 私ったら大声で何言っちゃってるの///ぼそぼそ」


家の前で栞も応援してくれる。後半はよく聞き取れなかった、というか聞き取る余裕がなかったけれど。


それにしてもかっこいいかあー、自分としては陸に打ち上げられて死にかけの魚のように見えてるんじゃないかって気がするんだけど。


隣を走る姫宮さんも、

「お前は大した男だよ、そのガッツ、ますます惚れてしまうな!  さああと1キロもないぞ!! お前のその勇姿をこの目に焼き付けさせてくれ!」


そんな平常時であれば赤面してしまうようなことを言ってくれる。しかし、普段であれば気恥ずかしくなってしまうだろうその言葉が、不思議と今は力に変わる。


肺から酸素が体中に行き渡り、生まれたての子鹿のようだった足に力が蘇る。


グッ、グッ、グッ、


自然と足取りも力強いものとなり、ピッチも速くなる。

それでもやはり体は疲れていたのか、走り始めほどのスピードは出ていないようだ。


しかしどこからこんな力が湧いてくるんだろうというくらい、心には活力が漲っていた。


そしてその勢いのまま、最後まで走り切る。


「よくやった! だが、急に立ち止まるとよくない。歩くような速度でいいからもう少し走ろう そうだな、とりあえず500メートルほどでいいだろう」


姫宮さんの言葉通り、僕はペースを落としながらももう少し走り続ける。 といっても先ほどまでと比べるとだいぶ遅く、歩くくらいのペースだ。


しばらくクールダウンした後、今度は歩く。ぐるぐるぐるぐる。


先ほどまで感じていた心配の苦しみや足の張り、重さが抜けていく。何というか、心地いい。体が発する熱に包まれる感覚も、吹く風の快さも、すべてが心地よいのだ。

ああ、走るのって、気持ちいいんだ。生まれて初めて味わう感覚だ。


同時に、最後まで走りきれた達成感も幸福感を増してくれる。


「よくやったな、しばらく休むと良い」


しばし歩いた後、姫宮さんが優しくハグしてくれる。


いい匂いだ、姫宮さんも汗をかいただろうに。というか臭くないか、俺。


「あの、俺。はぁはぁ。汗かいてるから、」


「全く気にしなくていい、むしろいい匂いだぞ」


姫宮さんは僕の首筋に鼻を当てて匂いを嗅ぐ。


すぅすぅ


すーはー


すぅ~はぁ〜 すぅ~〜はぁ〜 

すぅ〜〜〜はぁ〜〜



「あ、あのぉ…」


「うん、全く臭くなどないぞ!!」


満面の笑みで言う姫宮さん。

心なしか顔が赤いような気がする。

まあ姫宮さんも僕と一緒に走ったし、体温が上がっているんだろう。


「こらっー!」

そんな僕らの様子を見て走ってきた栞の顔も姫宮さんに負けず劣らず赤かったのは余談である。


そんなこんなで、僕のトレーニングの日々が始まった。



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