第3話
僕と栞は寝室のようなところに通される。突っ立ったままの僕らに姫宮さんは声を掛ける。
「まあ座りなよ。八雲くんはこっち来な。体を見てあげよう。」
僕が姫宮さんのところに向かおうとすると、
「エロいことはなしですからね」
と栞。
ん?
首を傾げる僕に
「坊やはかわいいからね、そこは保証できないよ」
「な、何言ってるんですかっ!」
「私としては見てあげるだけのつもりだけど、介抱が必要かもしれないし、それに、八雲みたいな素敵な子に迫られちゃったら、どうなるか分からないさ、あんたもそうだろう?」
「そ、それは確かにそうですけど、、でもだめです!職権乱用です!!」
「まあおませちゃん、それに難しい言葉も知ってるのねえ、お姉さん感心だわ、うふふ」
急に口調が変わる姫宮さん。
「もう!子ども扱いして! と·に·か·く!だめなものはだめですから!」
「あら怖い、八雲く〜ん、栞ちゃんがいじめてくるの、慰めてちょうだい?」
「むっかちーん!!」
ああ、むっかちーんって擬音語の類じゃなかったのね、本当に言葉にする人いるんだ。
ってそうじゃなくて
「あの、」
僕が声をかけると、
「ああ、すまない、つい楽しくてな」
何事もなかったかのようにすます姫宮さん。
「…」
僕は今まで何を見せられていたんだろう。
でも、心なしかさっきまでの恐怖や体のこわばりが抜けているような気がする。
「さて、横になってくれ、まだ動けそうにないならお姫様抱っこして横たえてあげるようか?」
「いや、それくらい自分でできます」
そう言って僕はベッドに横たわる。
「まずは口の中を見せてくれ」
そう言って口の中を見てくる姫宮さん。その後もお腹の状態や骨の具合などを見てくれる。
ちゃんといい人みたいでよかった。
「内出血や骨の異常は特になさそうだな、案外丈夫なのかね?見かけによらず」
「ははは…」
普段袴田によく殴られてるからでしょうかねえ、なんて言えない。
しかし体の方は大丈夫でも、心の方はまだ痛む。
自分の不甲斐なさ、幼馴染一人守れない非力さに、思わず歯噛みする。
そんな僕の心の内を見て取ったのか、姫宮さんは真面目な顔つきになり、一言、
「悔しいか?」
そう問うてくる。
「はい」
「そうか 辛い目にあったよな」
「…」
「思い返してみろ、今回のこともそれまで受けてきた痛みのことも」
「っ!?」
思わず目を見開いて姫宮さんを見る僕。
「フフッ。今日だけじゃないんだろう?受けた暴力は?」
「それはっ」
言葉に詰まる。
そんな僕を見て、栞は
「もしかして、袴田くん?」
そう言って心配するように僕を見つめてくる。
「うん、でも大したものじゃないから、傷にもならないようなものだったし」
「でも…」
未だ心配そうな栞。
「暴力はただ体に傷をつけるものだけじゃない。心を折るもの、毒のように精神を蝕むもの、相手を屈服させるもの。さまざまある。たとえ体に傷が残っていなくとも、心に残った傷が癒えていないことも多い。」
「そんな」
唖然とする栞。
「まあ簡単に言うとトラウマってやつさね。暴力に遭遇すると心がすくみ、体が重くなる」
思えば今回やられた時も、抵抗らしい抵抗をしなかった。いや、できなかった。相手に暴力を振るわれる。そう思うと恐怖が止まらず、自分の体なのに思うように動かせなくなる。
「暴力に対する恐怖、本能的な怯えってのは大なり小なり皆持ってるもんだし、それ自体は悪いことじゃない。でも、」
言葉をとめ、僕を真正面から見つめる姫宮さん。
「この相手には敵わない。ただ痛みに耐えている以外、どうすることもできない。そういった無力感は、遅効性の毒のように心を蝕む」
淡々と語ってはいるが、一言一言が心に残る。
傍らを見ると、悲痛な面持ちをした栞が、またも泣きそうな顔になっている。
大丈夫。
そう伝えたいが、なぜか声を出せない。
と、栞がこちらを見て、少し目を見開く。
何だろう?
あれ、口にしょっぱいものが
そこでようやく、自分が泣いていることに気づく。
そんな僕を優しく抱きしめてくる姫宮さん。
「辛かっただろう。苦しかっただろう。遠慮するな。お前の苦しみ、恐怖、悲しみ。それを否定するな。感情を押し込めるな。子供のように泣きじゃくったとしても、ここにはそれをばかにするような輩はいない」
「そ、」
そんなこと、
そう言おうとしたとき、何かが堰を切ったような感覚を覚える。
気付くと僕は、温かく、柔らかく、そしてなぜか甘い香りのする姫宮さんの胸の中で声を出して泣いていた。
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