その5
義純を送り出して、暖斗が学校へ行く支度をして出ようとすると脩二が引きとめた。
「姐さん、学校へはお車で行ってもらいやす」
「え? ちょっと遠くなったけど、ここからでも行けるよ」
学校は暖人の家と義純の屋敷との丁度真ん中あたりにある。
暖斗が鞄を手にそのまま出ようとすると、脩二は引き止めて合図をした。黒塗りのでかい外車がすべるように暖斗の前に停まる。
「いいえ。姐さんはもうおひとりではありません。充分にお気を付けなさって、これがお電話です。肌身離さず持っておいておくんなさい」
怖い顔でそう言って暖斗の手にスマホを押し付けた。脩二は暖斗を車に押し込むと、自分も助手席に乗って車を発進させる。
(うう、止めてくれ。こんな車で学校に行ったら目立ってしようがない。大体充分に気を付けろって何なんだよぉぉぉー)
心の中で叫ぶ暖斗を乗せて、黒塗りの車は暖斗の学校に向かってすべるように走り出す。
暖斗は必死になって脩二にお願いして、車を学校の手前の目立たない所で止めてもらうのだった。
学校は眩しかった。友人たちには皆天使の羽があるように見えた。
数日前の事が大昔のことのようだ。何も知らなかった昔に戻りたい。身内の世話をさせられ食事から洗濯からなんからかんから追い使われて、新婚三日目にして、はやこのやつれよう……。
暖斗は自分の身の上に起こった悲劇を、今更のように痛感した。
「おい芳原。お前、今日すげえ車に乗って来なかったか?」
暖斗が教室に着くと早速聞いて来た者がいる。
(うっ、見た奴がいるのかよ)
暖斗は首を横に振って何とかごまかそうと決めた。
しかし暖斗はこのむさ苦しい男子校の掃き溜めの鶴だったのだ。この春入学してすぐアイドルに祭り上げられた。
「えっ、何だ何だ」「どうした」と、暖斗の周りはたちまち人だかりができる。
暖斗は首を横に振って「なんでもない」と逃げ回った。
しかし、放課後にはとうとう皆に捕まってしまう。
「芳原、他にも見た奴がいるんだぞ。何があったんだよ」
最初に聞いた奴が詰め寄る。
(こ、困った。まさか本当のことを言う訳にも行かないし……)
暖斗が悩みまくっていると、友人たちはここがアイドルに取り入るチャンスと我先に「何があったんだ?」「俺たち相談に乗るぜ」と暖斗に訴えた。
(みんな……、こうなったら言わない訳にもいかないか)
暖斗は友人達に感謝しつつ話す事にした。
「実は俺、姉の代わりにヤクザに捕まってこき使われているんだ」
暖斗は細かい事は全部省いたが、それでもヤクザと聞いたとたん、友人達の囲んでいた輪がザザッーと一歩引き下がった。
「おい、何で引くんだよ。さっき言った言葉は何だったんだ?」
「いや、俺頭が腹痛で……」
「イタタ……急に腹が……」
「あ、俺用事があったんだ」
「……」
そこらに群がっていた暖斗の友人達は、蜘蛛の子を散らすように一目散に逃げ出した。暖斗は呆然とその場に立ち竦む。枯葉が一枚舞っていった。
ヒュルルルー……。
(もう冬か……。今年の冬は早いぜ……)
「姐さんお迎えに来やした」
丁度それを見透かしたかのように、脩二が迎えに来る。
(タイミングよく来るなよ。そんな怖い顔で……)
冷たい木枯らしにカチカチに固まった暖斗は、脩二に引き摺られて帰って行く。その様子を友人達が遠巻きに、恐々覗いていたのを暖斗は知らない。
* * *
「姐さん、こういう時は飲んで騒いで忘れるに限ります」
脩二がガックリ来ている暖斗に勧める。
「そうだな」
気が乗らない様子で暖斗は答えた。
家に帰ると子分さんたちが、上げ膳据え膳で慰めてくれる。昨日とえらい違いだ。
「ささ、姐さん一杯」
子分さんが入れ替わり立ち代りお酌をしてくれる。飲んでいる内に、また矢でも鉄砲でもな気分になった。
「お前らヤクザだろ。暴力ふるって悪い事して弱い者苛めしてるんじゃないのか」と、くだを巻いた。
「しのぎはね姐さん、凌げりゃあいいってモンじゃないんですよ。ヤクザはね姐さん、巻き舌でオンドリャって脅せばいいってモンじゃないんですよ」
脩二が胸を張って答える。
「ここ一番という時に、皆を黙らせる事が出来りゃあいいんですよ」
そう言って脩二はスッと立ち上がった。その場にいた者が皆、黙って脩二の方を見る。
脩二はまた何事も無かったかのように腰を下ろし宴会は続いた。
暖斗は感心して脩二を見る。
(へえ、映画みたいだな。あいつがやったらどうだろう)
そして忘れていた者を思い出した。
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