その4
「俺は身内を大事にするんだ」
義純はふんぞり返ってそう言って、台所の中の一人を手招いた。
「若頭領、姐さんも、お早うございます」
義純と同じくらいごつい厳つい感じの男がそう言って頭を下げる。板前のような短髪。一重の切れ長の目の、左の眉の辺りに傷痕がある。暖斗は息を呑んで思わず側にいる義純の服の袖を握った。
義純はそうは言っても、どこか鷹揚でオブラートを何枚も重ねたようなソフトさがある。しかし、この男とここにいる連中は、例えばごつごつとした岩肌の手触りであった。
昨夜は訳が分からなかったが、目の前にいる男もその向こうにずらりといる男達も、誰も彼もが怖げに見えた。暖斗は改めて自分がとんでもない所にいることに気付いた。しかし気付いてもどうしようもないのだ。
大体縋った義純自体が親分なのだから。
「脩二、こいつに料理を仕込んでやれ」
「ヘイ」
義純の大きな手が暖斗の頭を押さえる。
「よろしくお願いしますと言わねえか」
「よ、よろしく……」
震えて声が出なかった。
「姐さん、脩二と申しやす。よろしくたのんます」
義純は暖斗を脩二に引き渡すとさっさと行ってしまった。
(ううう、薄情者ー。くっそー!! 新婚だぞ! 初夜の朝だぞ! てめえで気に入ってもらった新妻をこき使うつもりかよ! 釣った魚に餌はいらねえってかよーーー!!)
しかし周りにはずらりと並んだ子分さんたちがいる。暖斗は心の中で喚きつつ、しぶしぶ脩二に教えてもらうしかなかった。
「まず、包丁の持ち方」
暖斗は殆んど料理をしたことが無い。包丁を持った事なんて年に二、三度あっただろうか。
(この男が包丁を持つと迫力あるなあ)
変なところに感心しながら持ち方から教わった。周りでは子分さんたちが、それぞれ分担して忙しそうに働いている。暖斗は脩二にそれぞれの持ち場の説明を聞いた。
「次に、お米の研ぎ方」
(でっかい手だー。この手で殴られたら痛いだろうなあ)
「朝は味噌汁に三菜と決まってますんで、出汁のとり方は……」
(……三菜ってなんだ。てか、あんまり近付いて来られると怖いんだが……)
「姐さん、料理は心だ、思いやりだ」
(あんたが怖い顔で言うとなあ……)
「うちでは朝飯は皆で一緒に食べる。昔からの仕来りだ」
そう言って義純は「いただきます」と箸を取った。
するとずらりと並んだ子分さんたちが一斉に「いただきます」と言う。暖斗は義純の隣に座らされて、一緒にいただきますと小さく言って箸を取った。
「お前は料理をしたことが無いと言ったが、どうだ出来るか」
「え……? ああ、これ俺が切ったんだよ」
怖い子分さんからやっと解放されて、暖斗は一息ついていた。包丁と格闘して刻んだ味噌汁の中のネギを箸で摘んで見せた。ネギは三つ四つつらつらと繋がっている。
「あれれ……」と暖斗は慌てたが、義純は「そうか、お前の作ったものだ。どんなものでも食ってやるぞ」と繋がったネギを口に入れた。
子分さんたちは黙々と食べている。これは結構恥ずかしい事だなあと暖斗は思った。
朝食の後はまた脩二に連れられて、台所で片づけを手伝い、その後掃除をやらされた。
「姐さん、掃除は心だ。思いやりだ」
(またそれかよ)
脩二に手渡されたはたきを、首を傾げて受け取りながら暖斗は思った。脩二の顔が近付くたびに顔が強張る。背筋が緊張する。
何度か障子を突き破ってそれを直して、座敷を掃いて廊下を拭いてやっと掃除が終わると、もう昼食の用意の時間になっていた。
(俺ここに下働きに来たみたいだなあ)
そう思いながら暖斗は、料理の買出しに庭の掃除にと追い使われた。
朝早くから夜遅くまでこき使われて、クタクタになってやっと部屋に帰る。
(やっと寝れる。布団が待っている)
そう思って部屋のふすまを開けると、部屋には精力モリモリの新婚の夫が待ち構えていた。暖斗は部屋の入り口で死んでしまった。
(もうマグロだ、マグロ)
暖斗は死んだフリをした。
「オイ、俺が折角可愛がってやってるってのに、ちっとは悦べ」
「俺、眠いんだもん……」
昨日からの一連の出来事は、暖斗の許容量を越えていた。おまけに今日は、怖い脩二に一日中付き添われ、緊張の連続だった。もう指一本動かせない。
「亭主をないがしろにすると浮気をするぞ」
義純が何か言っているようだが、暖斗はもう爆睡して夢の中だった。
明けてその日は月曜日。
子分さんが起こしに来てよく寝たと暖斗は伸びをした。隣の義純は少し不機嫌で寝不足そうに目を覚ました。
「俺、学校に行ってもいいんだろ?」
暖斗が聞くと義純は勿論という風に頷いた。
「俺は国立大出だ」
義純は胸を張った。
(インテリヤクザかよ)
朝食の後片付けの後、義純の着替えを手伝わされた。
背広を着てネクタイを締めるとあまりヤクザっぽくない。
「なんか仕事をしているんですか?」
「土建屋でしのぎをしている」
(ヤクザらしいや)
義純を迎えに来たのは結婚式の時、受付をしていた男だ。
「梅田だ。俺の秘書をしている」と義純が紹介する。暖斗は結婚式の時、一番拙い相手に尋ねた訳だ。
「姐さん、よろしくお願いします」
梅田はそう言って澄まして頭を下げた。
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