二話

 真一の将来を考えていたのは、綾音だけではなかった。徹也と雪音も何度もお見合いを勧めているらしい。

「真一くんのおかげで、今まで楽しく過ごしてきたんだ」

「お礼したいわよね。これくらいしかできないけど」

「そうなんだ。私も、真一さんが幸せそうな顔してるの見たいんだ」

 三人とも、願いが同じ。しかし真一は「気を遣わないでください」と首を横に振る。

「私の結婚相手など、お気になさらず」

「どうして遠慮するんだ?」

「私たちは、真一さんにお返しがしたいのよ」

「うんうん。私も、パパとママと一緒」

「いえ。自分の結婚相手は、自分で探しますよ。それに今は恋人と仲良くする暇はありません。仕事でいっぱいですので」

 確かにその通りなので、返す言葉がなかった。だが、真一に何かしてあげたいという気持ちは、心の中に浮かんでいた。

「真一さん、かっこいいしイケメンだし、性格も礼儀正しくて最高。それなのに一人なんて空しいよね」

「そうだな。パパもそう思う」

「これからも、私たちにできることは全部やりましょう」

 しっかりと決めた。

 真一の部屋は、徹也のとなりだ。夜こっそりとドアを開くと、真一は疲れて眠っていた。普段ドアには鍵がかけられているが、その日は忘れていたらしい。じっと寝顔を見る。やはり、誰がどう見ても素敵な紳士だ。

 真一に告白されて、断る女性などいないはずだ。もっと大人だったら、綾音が恋人になりたいくらいだ。

「あっ……。あれ……。綾音様っ」

 勢いよく起き上がる。

「ぐっすり眠ってましたよ」

「ああ。今日は特にやることがあったので」

「そうなんですか。あんまり無理しないように気をつけてください」

「はい。ありがとうございます」

 丁寧な言葉とお辞儀。一体どこでこんな態度をとる練習をしたのか。

 真一が椎名家に来たのは、綾音が四歳の頃。十歳違いなので、真一は十四歳だ。中学二年生でここまで大人っぽい言動は、かなり珍しい。そもそも、徹也はどうやって真一を見つけ出したのか。そういう礼儀作法がなっている中学生がいると、噂でも聞いたのか。

 真一に直接質問してみると、にっこりと笑って答えた。

「父が、執事をしているんです」

「え? そうなんですか」

「幼い頃から、父の姿を見ていたんです。自然と身についたって感じですね」

「へえ……。勝手に身につくものなんですか」

 しかし、綾音は徹也にも雪音にも似ていない。お嬢様らしくないし、普通の女子高生だ。大金持ちの家に産まれたというだけで、すごいことはしていない。

 家庭を知ったことで、綾音と真一の距離は縮んでいった。とはいえ、兄妹や友人といった関係にはならなかった。真一も綾音を子供という目で見ていることがあり、残念な気持ちも生まれた。

 その真一に、どきっとする出来事が起きた。ダイエットでストレッチをしていたが、バタッと倒れてしまった。

「綾音様っ」

 すぐに駆け寄って、腕を掴まれた。そのまま部屋に連れていかれた。屋敷には綾音と真一しかおらず、ずっと手を握っていてくれた。

「真一さん。ごめんなさい」

「どうして謝るのですか」

「だって、だめ人間だから。運動も勉強もできない。馬鹿みたいでしょ。ストレッチもできないのかって、呆れてるでしょ」

 なんだか悲しくなって、涙がこぼれた。真一は綾音の頭を撫でた。

「呆れてなんていません。むしろ頑張っていて、素晴らしいと思っています。私が結婚相手を探さないのも、綾音様がいるからですよ」

「私がいるから?」

「はい。綾音様しか、視界に映っていないのです。他の女性など、どうでもいいのです。美しい綾音様に、毎日どきどきしていますよ」

「それって、恋人同士になりたいってことですか?」

「いえ。そうではありません。ですが、綾音様がいてくれれば、とても幸せなのです」

 告白されたわけではないらしい。だが、かっこいい真一に見つめられて、頬が火照った。もし同い年だったら、恋人同士になれたのではないかと思った。

 最近は、かなり年が離れたカップルや夫婦がいる。二十歳以上、違う人もいる。なら、綾音も真一とお付き合いしていいのではないのか。だが、徹也には話せなかった。というか、真一が恋人にならないと考えているため、綾音も諦めるしかなかった。



 真一の父、恭太郎きょうたろうがやってきたのは、衝撃を受けた。息子がきちんと仕事をしているのか確認するためにきたが、厳格で怖い性格だと驚いた。綾音たちには満面の笑みを向けているが、真一にはニコリともしない。そのため、真一はずっと手が震えていた。恭太郎が屋敷から出ていくと、深いため息を吐いた。

「大丈夫ですか? 汗かいてますよ」

「いや……。いきなり来るから、びっくりしちゃって」

「真一さんのパパって、あんな顔してるんですね。執事って感じしませんでした」

「そうなんです。家族に対して、いつも冷たい態度をとって、睨みつけてくるんです。でも他人には愛想がいい。疲れると、私に八つ当たりしてきます」

「えっ? ひどーい。どうして八つ当たりするんですか? 子供を傷つけるなんて、絶対にだめですよ」

 大事なのは家族。そして子供を可愛がるのは、親の役目。疲れたから真一に当たるなど、してはいけない。と、綾音が話しても、聞く耳持たずだろう。それに綾音は上原家の人間ではない。首を突っ込む権利などない。

 毎日、あんな父親がそばにいたら、緊張しっぱなしだろう。真一は、かいた汗をハンカチで拭っていた。

 椎名家で働くことが決まった時、どれほど嬉しかったか想像した。礼儀正しくしなければならないが、八つ当たりされるくらいなら仕事をしていた方がマシだ。助かったという思いで、いっぱいになったはずだ。徹也と雪音は家族想いで親切だし、傷つけたりもしない。綾音も真一と暮らしていたい。誰かと結婚しても、離れ離れになりたくない。

「……私も、いつかは結婚するんだよね……」

 呟く。一体、どんな人と結ばれるのか、予想もできない。綾音の夢は、大好きな人と愛し合い、幸せになることだ。その大好きな人は、どこにいるのか。どんな性格で、どんな顔と体型なのか。そして、いつ出会うかもわからなかった。

 相変わらず、真一の恋人選びは綾音たちの叶えたいことだった。なかなかお似合いの女性は現れないが、とにかく幸せになってもらいたい。八つ当たりで嫌な思いをしてきた真一の人生を、明るくする恋人。

「もし見つからなかったら、私が真一さんと結婚してもいい?」

 雪音に聞いてみると、ゆっくりと首を横に振った。

「それは……だめよ」

「なんで?」

「綾音は、お金持ちの男の子と結婚しなきゃ。真一さんは、普通の家の人でしょ」

「だけど、超イケメンでかっこいいから」

「周りの人たちに笑われるかもしれないわ。パパにも聞いてみなさい」

 その言葉の意味が謎だった。好きなら結婚してもいいじゃないか。どうして他人の目や声を気にするのか。綾音は真一が大好きで、彼と結婚するのだと信じていた。

 恭太郎に再会したのは、それから一カ月後だった。気づいたのは向こうだった。

「椎名綾音さん」

「あ……。真一さんのパパ」

「覚えていてくれて嬉しいよ。これからどこかへ行くのかな?」

「いえ。ぶらぶら散歩してるだけです」

「じゃあ、お茶でも飲まないかい? せっかく会えたんだし」

 にこやかな微笑み。真一が目の前にいる時とは、別人のようだ。

「いいですね。私も、のどが渇いてたんです」

 できれば別れたいと思っていたが、嘘をついた。

 近くの喫茶店に行き、向かい合わせに座る。恭太郎は、子供の頃の真一の話を全て教えてくれた。綾音は簡単に相槌を打ったり、短い返事をしたり、当たり障りのない態度をとった。最後に、質問をしてみた。

「真一さんって、好きな女の子いないんですか?」

「好きな女の子?」

「学生の時、付き合ってた人とか……。いませんか?」

「うーん。そういう話は、一度も聞いたことないね」

「女の子嫌いなんでしょうか?」

「嫌いではないと思うよ。ラブチャンスがないんだろうね。綾音さんは?」

「私もいないんです。きっとどこかに王子様がいるって考えてます」

「そうか。人生始まったばかりだから、いろんな人と出会っていれば王子様も見つかるな」

「はい。信じてます」

 こくりと頷き、喫茶店を後にした。

 綾音は、「真一と恋人になってくれないか」とお願いされたかった。父親からの願いだったら、徹也も「わかった」と答えそうだと思った。やはり綾音は子供だし、彼女にはなれないと馬鹿にしたみたいだ。恋愛に年齢なんて関係ないのに。

「真一さんの好みのタイプ、聞いておけばよかった」

 後悔したが、時すでに遅しだ。そのあと恭太郎に会うことはできなかった。




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