五話
秀二に初めて会ったのは十歳の時だったが、まだ綾音の方が背が高かった。けれど現在はすっかり抜かされ、男らしくがっしりとした体型になった。綾音は、長身で頼りがいのある男子に、タコのようにくっつくのが大好きだ。生まれつき、手足に
秀二にくっついたのは、十三歳の夏だ。屋敷の裏庭に、広い建物がある。徹也が運動スペースとして作ったものだが、太り気味の徹也には必要なかった。雪音と綾音にも必要ない。そのため秀二がそこで筋トレしていた。真一も筋トレをしていて、上原兄弟のジムとなっていた。汗だくになりながらトレーニングし、ハアハアと荒い息をしている秀二。遠くから眺めていると、綾音の視線に気がついたのか、こちらを向いた。慌てて隠れるが、しゃべりながら歩いてくる。
「兄貴? いんのか? ちゃんと今日も筋トレしたぞ。俺のことサボってるって言ってたけど、必ず運動してるんだからな」
普段とは違う話し方で、どくんっと心臓が跳ねた。
「なに隠れてんだよ。出てこいよ。兄……」
そこで口を閉じた。秀二は衝撃の顔で、とてつもなく動揺していた。
「あっ……。あっあっやっね……さ、さ……ま……」
「ごめんね。頑張ってる秀ちゃんの姿、見てたくて。こっそり隠れてたの」
「い、いえ。それはいいんですが」
「秀ちゃんって、いつもはそういうしゃべり方なの? 俺とか、兄貴とか」
「は、はい……。家族の前では……これです……」
「じゃあ、私の前でもそのしゃべり方してくれない? ワイルドな秀ちゃん、かっこいい。もっともっと聞かせてよ」
「そんな。できませんよ」
「何で? 普通に話すだけだよ?」
「お嬢様に、汚い言葉聞かせてたら、兄さんに怒鳴られてしまいます」
「私たち、二人きりの時だけ。誰もいない時に、その話し方で。どう?」
「ふ、二人きり……」
かああっと秀二の顔が赤くなった。誰もいないという言葉に、少し興奮したようだ。つられて綾音も熱くなった。
「うん。二人きりならバレないでしょ」
「ですが、綾音様には敬語の方が……」
ぎゅっと抱きしめた。秀二は大声で叫んだ。
「うわわわあっ。あ、綾音様っ」
「えへへ。びっくりした?」
「し……しました。すごく……」
「私ね、こうやって男の子に抱きつくのが好きなの。昔から、ずっと」
「そうなんですか。でも、いきなりだと驚きます」
「秀ちゃんも、ぎゅっとしてくれないかな」
お願いすると、ゆっくりと綾音の背中に腕を回し、抱きしめてくれた。
それから、筋トレしている秀二を見に行くのが楽しみになった。タオルや冷たい水を渡すと、困ったような顔をした。
「綾音様。気を遣わないでください」
「遣ってないよ。それより、ちゃんと汗拭かないと風邪ひいちゃう」
「ありがとうございます」
お辞儀をする。どうして敬語を使うのか。綾音様と呼ぶのか。そんなことされたくないのに。
弟が相手だと、真一も口調が変わるのを知った。
「もっと力強くできないのか? 俺がお前と同じ歳だった時は、もっとちゃんとできたぞ」
「う、うるせえな。本気出せば……」
「じゃあ、その本気を出せよ。すでに言ってあるが、綾音様が十六歳になったら、護衛はお前一人だけになるんだからな。しっかりと綾音様を護れるように、体鍛えて筋肉つけて、誰にも負けない男になるんだ」
「わかってる」
「お前の方が歳が近いし、綾音様も楽しそうだからな。俺は、徹也様と雪音様を護衛する。お前は綾音様だ」
つまり、全ては綾音のためということだ。血の滲むような努力は、綾音を護るためなのだ。
真一が出て行って一人になると、秀二は俯いた。
「くっそ……。俺も兄貴みたいになりたいのに……」
悔しさが混じる声だった。可哀想になったが、駆け寄っても励ます言葉など見つからない。黙って秀二を眺めていた。
学校では、好きな人とラブラブになれるお守りが流行っていた。
「好きな人の名前を書いて、お守りの中に入れておく。すると恋の神様がその紙を読んで、告白するチャンスや勇気を与えてくれるの。実際にそれで恋人同士になれた人もいるんだって」
噂を小耳に挟み、試しに買ってみた。「上原秀二」と書こうとしたが、ふとペンが止まった。
「あれ? シュウジって、どう書くんだっけ?」
綾音は漢字を知らなかった。仕方なく「しゅーじ」と書いたが、これでは恋の神様も誰のことかわからない。お守りもどこかに落としたらしく、いつの間にかなくなっていた。
もともと綾音は頭がよくない。お嬢様はみんな成績優秀というイメージだが、全教科苦手だ。今までは真一に勉強を見てもらっていたが、年が近い秀二に教えてもらうことになった。ノートに文字を書くと、秀二は面白そうに笑った。
「え? な、なに?」
「いえ。綾音様って、可愛い丸文字なんですね」
「下手でごめんね。秀二くんは上手で憧れちゃうよ」
「そうですか? 兄には読みづらいって言われるんですが」
「そんなことないよ。いいなあ。どうやって書いてるの?」
すると秀二は背中から抱きしめて、綾音の手の上に自分の手を置いた。いきなりの急接近に、どくんどくんと鼓動が高鳴る。
「こうやって」
「うわわわああっ」
声が直接耳に入る。動揺しすぎて、椅子から転がり落ちた。
「どうしたんですか?」
「ど、どうしたって……」
腕を掴まれ、また椅子に座る。そのあとは、ほとんど頭の中に残っていない。
秀二に馬鹿にされないように、綾音も学校の授業に集中した。部屋でも一人で勉強した。丸文字は直らなかったが、テストの点は上がっていった。
秀二が出かける時は、綾音もついていった。私服姿の秀二は、とてもかっこいい。そばにいたい。
「どこに行くの?」
「ただの散歩です」
「私も一緒に行っていい?」
「いえ。綾音様が来ても楽しくないですよ。高校のクラスメイトに会うので」
「大丈夫だよ。邪魔しないよ」
「ですが、本当に男ばかりですから」
「変なことされそうになったら、秀二くんが護ってくれるんでしょ?」
上目遣いで言ったが、秀二はバッグから携帯を取り出した。小声で誰かに電話をする。一分も経たず、真一の車が止まった。
「お迎えに参りました。屋敷に帰りましょう」
腕を掴まれる。
「え? 待って。私、秀二くんと一緒に」
「じゃあ、兄さん。あとのことは頼んだぞ」
そして後ろを振り返り、大股で歩いて行ってしまった。
自分の部屋のベッドに横たわる。なぜ、だめなのか。ついてくるなと言うのか。男ばかりなのは綾音も気分がよくないが、クラスメイトたちと過ごしている普段の秀二を見てみたい。どんな顔で、どんなおしゃべりをしているのか知りたい。
よくよく考えてみると、綾音は秀二と会う前、十一歳までの彼を知らない。初対面で、すでに礼儀正しくお辞儀もできていた。あんな態度をとれるのは、かなり練習をしたはずだ。
真一の弟が屋敷にやってきたと聞き、綾音は飛び上がって廊下を走った。徹也と雪音に自己紹介をしているスーツ姿の少年。綾音が近づくと、にっこりと笑った。
「あなたが綾音様ですね。初めまして。僕は上原秀二と申します」
「秀二? じゃあ、秀ちゃんって呼んでいい?」
「もちろん。これからどうぞよろしくお願いいたします」
頭を下げ、綾音も笑顔になった。
「秀二くん、とても頭がいい子ね」
「ああ。呼んで正解だったな」
「さすが、真一さんの弟ね。十一歳で、あんなに大人っぽいなんて」
「綾音も喜んでるみたいだしな」
両親が話しているのを、こっそり聞いた。
綾音は、自分が一人っ子なのを寂しく思っていた。真一は血の繋がった兄ではないし、兄弟がほしかった。そこに秀二が現れ、いきなり日々が楽しく明るく輝いた。
とはいえ、綾音様と呼ばれているし、丁寧な敬語で話す。
「もっと秀二くんと仲良くなりたい」
いつも願っている。たくさんの思い出を作り、距離を縮めたい。
私が恋した王子様 さくらとろん @sakuratoron
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