第2話

「では、『離れたい』でお願いしま――」

「あたし、『離れたくない』で!」

「!?」


 突然、すぐ横で女の子の声がして千鶴は持っていたメニューを手から滑らせた。首を動かしてみれば、千鶴の後ろからメニューを覗き込む形で少女が立っていた。こんなに近くにいたのに全然気が付かなかった。


「あ、おねえさん、びっくりさせちゃってごめんなさい」


 少女はちょこんと千鶴の隣に腰掛けた。茶色がかった髪はハーフツインで、胸元に大きなリボンの付いた白いシャツに、フリルたっぷりのピンクのミニスカート、厚底のブーツ。


「可愛い……」

 思わず口に出ていた。ハッと口元を押さえたが、すでに出た言葉は少女の耳に届いていた。きょとんとしてこちらを見ていたが、少女は満面の笑みを浮かべた。


「ありがとう! おねえさんもスーツかっこいいね」

「あ、ありがとう」


 スーツ姿がかっこいいなんて、初めて言われた。スタイルがいい方でもないし。でも少女を見ていて、そういえばこの子くらいの年の頃はスーツで街中を歩く女性を見て、あんな風になりたいと憧れていた、と思い出した。大人になった今、憧れとは程遠いけれど。


「そちらのお客様も、紅茶と一緒にお菓子はどうですか?」

「んーと、チョコある?」

「ありますよ」

「じゃあそれで!」

 少女は、ぱたぱたさせながら、楽しそうに紅茶が出てくるのを待っている。


「ねえ、おねえさんの名前は?」

「笹原千鶴、だよ」

「あたしは、みゆ! みゆみゆでいいよ。さっきこの服可愛いって言ってくれたでしょ。ずっと着てみたくって、やっと着れたから、嬉しくて」


「ゴスロリだっけ? 似合ってるよ」

「違うよ。これは、量産型! ピンクとか白でふわふわ~ってしてて可愛い服なの」

「な、なるほど……」

 ファッションに詳しくはないが、一応頷いた。可愛いと思ったのは嘘ではないし。


「お待たせしました。紅茶とお菓子のセットです」


 木のプレートの上に、ティーカップとお菓子が並んで出てきた。ティーカップとソーサーは、お揃いの白色で、ぐるりと縁に花柄が施されていて、可愛らしい。クッキーが乗ったお皿は全面に大きな花が描かれていて華やかだ。


「笹原様の紅茶は、ストロベリー、ブルーベリー、クランベリーの三種類のベリーの紅茶になります。紅茶が練り込まれたクッキーと合わせてどうぞ。みゆみゆ様の紅茶は、ナッツの紅茶です。ミルクとの相性がいいので、ミルクティー仕上げでお出ししています。チョコレートとも合いますので」

 店主の説明の後、千鶴とみゆは、ティーカップを手に取った。


「いただきます」

「いただきまーす」

 一口飲んだ瞬間、ふわりと香りが広がった。そして、甘すぎないフルーツの甘味がやってくる。自然と顔がほころぶ美味しさだった。こんなにゆっくりと、紅茶そのものを味わって飲んだのは初めてかもしれない。


「美味しいです。とても」

「ありがとうございます。そう言っていただけて嬉しいです」

 店主は、ほっとしたように微笑んだ。横で紅茶を一口飲んだみゆは、ぱあっと顔を明るくして、二口、三口と飲んでいた。


「あたしもこれ好きー!ミルクたっぷりで、甘くて美味しい」

「少し蜂蜜を足すのもおすすめですよ」

「入れる!」


 千鶴の紅茶にも蜂蜜は合うとのことで、少しだけ入れてもらった。しっかりとした甘さが加わって、染み渡る感じがした。


「はー、好きな服着て、好きなもの食べて、好きなだけしゃべってていいなんて、最高。ここから離れたくないよー」

「それで、『離れたくない』の紅茶なんだ。普段は少し厳しいご家庭なんだ」

「あー、うん、まあね」


 みゆは曖昧な言葉で返した。あまり触れられたくないことだったようだ。これ以上触れない方がいいとは思ったが、これだけは確認しておかなければ。


「こんな時間に外にいて平気? 家の人、心配してない?」

「平気。今の時間、誰もいないし。まあ、まゆは察してるかもだけど」

「まゆ?」

 みゆは、ぱくっとチョコを口の中に放り込んでから千鶴の問いに答えた。


「まゆは妹、双子の。元々量産型の服を気に入ってたのは、まゆの方で、それであたしも好きになったの」

「仲がいいんだね」

「二人で、お揃いの服着て、ショッピングするのが夢なの」

 みゆは、ふわりと優しく笑ってそう言った。妹のことが大好きなのだと言葉の外からも伝わってくる。


「あ、美味しくって紅茶飲み終わっちゃった」

「ありがとうございます。――では、古賀こが美結みゆさま、この先に進みますか」

 店主が、かしこまった口調でそう問いかけた。みゆは、苗字を名乗っていなかったはずだ。なのに、どうしてフルネームを知っているのだろう。それに、“先”とは何のことなのか。

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