第五節

第17話 犬の少女

 尾行する者がいない事を確認した上でなお、あえて街中を歩き回ってからサツトは荒野の町から立ち去った。万が一にも自分が事が知られれば調査どころではない、検挙逮捕が遥かに遠のいてしまう。それゆえに犬の少女を連れたバトゥが待つ大岩の影に着いたのは、彼らよりも一時間近く後となった。


「オゥ、待たせたな」

「遅い」


 座るに丁度良い岩に腰を下ろしていたバトゥは、腕を組み目を瞑った状態のままサツトに答える。そんな彼の横の岩には、先程意に沿わず購入した少女が座っていた。彼女は顔を伏して怯えながら、落ち着かない様子でソワソワとしている。


「なァ」

「ひゃ、ひゃぃっ!」


 サツトに声を掛けられて、少女は飛ぶ勢いでビクンと身体を跳ねさせる。ゆっくりと顔を上げると、ちょうど彼女の目の高さに彼の顔があった。この人物が自身を買った相手、つまりはご主人様なのだ。


 目つきは鋭く如何にも狂暴そう。機嫌を損ねたなら何をされるか分かったものではない。そこまで考えて彼女は気付く、彼と同じ高さに自身がいる事はまずい、と。


「すみませんっ!!!」


 ガバッとその場で土下座する。望んで奴隷の身分になったわけでも、進んでその心得を学んだわけでもない。しかし主に対して取るべき行動はしなければならない、自分自身を守るために。


「頭上げろ、まともに会話も出来ねェ」


 そう言われても少女は身体を起こさない、土下座したまま身体を震わせるだけ。言葉に従って頭を上げたら、それを無礼として蹴り飛ばされるかもしれない。実際そうした扱いを受けた奴隷仲間を彼女は何人も見てきたのだ。


「先程からずっとこの調子だ、視線を合わせようとしない。奴隷ならば当然だが」

「いや、ちげェだろ。デカいアンタがこえェだけだろ」

「むぅ……」


 過去にも子供に怖がられた経験があるのか、バトゥは渋い顔で唸る。だがしかし、彼よりは多少マシとはいえサツトも似たようなものである。


「ほれ、起き上がる」

「あっ」


 両脇に手を差し込まれ、少女はそのまま軽々と引き上げられる。一度足は宙へと浮かび、ストンとその場に置き直された。


「いつまでもこんなトコにいる必要も無ェ、とりあえず帰るか。ま、話は道すがらだ」


 サツトの言葉にバトゥが立ち上がる。連れてこられた時点で巨大さに怯えていた少女は、突然動いた彼に驚いて直立した姿勢のまま、その場でピョンと跳ねた。バトゥがしゅんと、ほんの少しだけ寂しそうにしている。大きい事はいい事だが、こうした弊害もあるようだ。


 サツトに促されて、少女は未知の乗り物パトカーの後部座席に座らされる。馬車にすら乗った事のない彼女にとって、柔らかなシートと清潔な車内は驚きよりも困惑が勝っていた。運転手に拘束具シートベルトを装着された彼女は、縮こまって膝の上で拳を握っている。


「よし、出発すンぞ」


 エンジンをかける、ゆっくりとアクセルを踏む。あっという間に速度を増して、先程までいた大岩が遥か後ろへと遠のいていく。その全てが理解できず、少女は目を瞬かせるだけだ。


 時速百キロで走るパトカー、その隣を巨大な黒い馬が並走する。


「しっかしアンタの馬、すげェな」

「儂の身体を載せてなお、速い。此れは稀代の名馬だ」


 艶やかな毛並みで真っ白な鬣、四本の脚はどれも太く強靭。乗る者無しで走らせたならば、パトカーのトップスピードを超える可能性すらある。サツトがいた日本ではあり得ない、同じ『馬』という単語で表して良いのか疑わしい存在だ。


「ほわぁ……」


 訳が分からない事だらけ。しかし凄い乗り物に乗せられているのは理解できる。出発までの緊張状態は多少緩和した様子で、少女は口を僅かに開けて呆けていた。その様子を確認して、サツトは彼女と会話する。


「嬢ちゃん、名前は」

「あっ、わ、私、カーネ、カーネ・アル……です」


 オドオドと目を泳がせながら赤毛の犬獣人の少女、カーネは名を口に出した。


「よし、お前は奴隷じゃねェからな。異世界署に着いたら何をしたいか、どこに行きたいかを考えとけ」

「えっ?」


 さも当然の様に言われて少女は驚きと共に顔を上げる。金貨四十枚という大金で買った自分を、何に使うでもなく解放するなど考えられない。カーネは自分の耳を疑ってバックミラー越しにサツトの事を見る。


「人身売買なンざ、お巡りさんのする事じゃねェ。だから連中に渡したのは身代金だ、それもやるべきじゃ無ェ事だが緊急避難ってコトにしとく」

「え?え?」


 説明されても全く理解できない内容に少女は困惑するばかり。それでも何とか理解出来たのは、この人物は自分を奴隷扱いして虐げないという事だ。つまり、この地において最底辺の身分である奴隷から解放されたのである。


「その……」

「なンだ?」

「あぅっ、ええと、あの……あ、ありがとう、ございます」

「ん?何の礼だ」

「その、助けて、くれたから……」


 胸の前で祈るようにキュッと拳を握って、精一杯の勇気を出してカーネは感謝の言葉をサツトに伝える。


 首に縄や鎖を付けて引き摺られている奴隷を何人も見た、殴られ蹴られして痣だらけになっている同い年の子もいた。もし彼に買われなかったなら、自分がどうなっていたか分からない。もしかしたら玩具の様に扱われて殺されていたかもしれないのだ。


 荒野を自分の足で走ってついてこいとか、馬車に縄で繋いで引きずり回したりしない。対等に話す事を許してくれて、馬車よりもずっと速く走る車に乗せてくれる。少なくとも今の状況だけで、彼を信用しても大丈夫だとカーネは理解した。


「止めろ止めろ。お巡りさんが市民の皆サマを助けンのは当然だ」

「おまわり、さん……?」

「オゥ、正義の味方だ」


 フッと笑ってサツトは言う。おまわりさん、という言葉の意味は分からないが彼がこの地で、そしてあの町で何をしようとしているのか、少女にもうっすらとだが分かってくる。


「そんな事を言っているが、今度はあそこで大暴れするつもりだろう?」


 無線からバトゥの声が聞こえる。走行中に会話が必要になる場面を想定して、あらかじめ並走する彼に無線機を渡しているのだ。


「いきなり突っ込んでいくつもりは無ェ、それじゃただの押し込み強盗だ。どうぞ」


 自分の話す内容が終わったら相手に発言のバトンを渡す。


「では、次は何をする?……ああ、どうぞ、だったか」


 事前に聞いていた無線機を使った会話法を思い出して、バトゥは発言権をサツトに渡した。


「調査だ。あの奴隷市場そのものは当然として、出入りする連中も調べる。七日後、人身売買の売り手買い手を同時に全員逮捕する。人身売買の根と茎を纏めて除去だ」


 お巡りさんはそこまで言って、しかし会話のバトンをバトゥには渡さない。少しだけ考え、鋭い目つきで一つの懸念を口にする。


「あの男、カーズィブだけが厄介そうだ。どうぞ」


 あの場にいた人間の中で、一人だけ異質な雰囲気を纏っていた人物。大金を出したにもかかわらず自身の事を値踏みし、警戒を決して緩めなかった。自室に招き入れて出したワインには、間違いなく毒物が入れられていただろう。


 おそらくカーズィブは、七日後の奴隷売買の場に何かしらの保険を用意しているはずだ。それが用心棒の類なのか、それとも緊急時の脱出法なのかは分からない。しかし警戒するに越した事はない。


「ハルの事が気になる、何処に監禁されているのか……。どうぞ」


 バトゥの心配事、恩人の忘れ形見が何処にいるのか。用心深い商人のカーズィブの事、少なくとも手の届く範囲には置いているだろうが手がかりも無いのではどうにも出来ない。一斉逮捕の際にはバトゥ以下、遊牧民総出での大捕物になるのは確実。もし万が一カーズィブを取り逃したならば、人質の価値を失ったハルは処分されてしまう可能性がある。


「ハル……?」


 無線機から聞こえたその名を、カーネが呟く。


「あのカーズィブって商人に連れ攫われた子供だ。褐色肌で砂色の長い髪、瞳は濃い緑ダークグリーン。背は……嬢ちゃんと同じくらいらしい」


 バトゥたちから聞いた誘拐被害者の特徴。彼女はまだ十歳だという。唯一の肉親である姉と引き離され、さぞ寂しい思いをしているはずだ。


 そんな、自身とほぼ同い年の少女の情報を聞いて、カーネはハッと顔を上げた。


「あ、あのっ!もしかしたら、私、その子を知ってるかも、しれません……!」


 全く予想外の所から、手がかりがもたらされる―――

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