第16話 闇の商人

 拍手と称賛を送りながら現れたのは金刺繍の入った紫のターバンを巻き、左目に金の片眼鏡モノクルを付けた細身の男。糸の様に細められた目はにこやかであるが決して本心からの笑みではない、貼って付けたような仮面のような笑顔だ。


 掃きだめのような町には相応しくない、緑と白と赤褐色に染められた上質な布を使ったゆったりとしたシャツを着て、少し膨らみのある黒の長ズボンを履いている。足元は茶色のサンダル、短靴のように足を覆うような形だ。


 おそらくは三十程度の歳、この奴隷市場の主としてはあまりにも若い。悪人を多く見てきたサツトは男を一目で胡散臭いと評価したが、一般人であれば人の好さそうな人物と認識するはず。そうした偽りの扱いに慣れ、手段を選ばぬ商売に秀で、他者を出し抜く事に長けているのだろう。


「良いですねェ」

「何がだ」


 意味不明な言葉だ。サツトは訝しんで相手を睨む。


「失敬失敬。金の使い方が実に見事でしたもので」


 男は謝罪しながら緩やかに頭を下げた。優雅な仕草、と普通の人間ならば感じる動きだがお巡りさんには別のものが見えている。相手を自分より下に見て、嘲るような意識が滲み出ているのだ。


「他人のやる事に文句でもあンのか」

「いやいや滅相も無い。素直に感服しているのですよ」


 鋭い言葉をサツトから返されて、男は肩をすくめた。


「でアンタ、ナニモンだ」

「おおっと、感心が前に出て名乗っておりませんでした」


 わざとらしい大仰な仕草で、奴隷市場の主は自らを紹介する。


「私はカーズィブ。カーズィブ・タージル・カールヴァーンと申します」


 自らの胸に手を当てて、カーズィブは実に胡散臭い笑みを見せた。


「はァ、どうも」

「是非とも、お名前をお伺いしたいのですが」

「ここじゃ、人間を買ったら名乗らなきゃならねェルールでもあンのかぃ?」

「いえいえそんな。規則など、ここへ入る時の銀一つだけですとも」


 奴隷市場への入場許可証は鈍銀にぶぎん。入ってしまえばそこから先は自由である。恐喝など日常茶飯事、乱闘騒ぎで血を見る事も度々だ。しかしそんな場所でありながら最低限の秩序は維持されている。


 それは、サツトの前で笑っている男の力による所だ。たかだか三十程度の年齢で、奴隷を扱う商人たちの元締めになれるだけの能力をカーズィブは持っているのだ。


「サツトだ」

「お教えいただき、ありがとうございます」


 ゆったりと頭を下げる。慇懃無礼をそのまま形にしたような男、サツトの目にはそう映っていた。


「サツト様、どうぞこちらへ」

「あン?」

「今後の商売のお話をしたいと思いまして」

「そうかい。オゥ、バトゥ、あそこで待ってろ」


 促されて彼は案内人に指示を出す。あそこ、とは町の外。人目に付かない大岩の影に停めたパトカーだ。町の端の馬繋場で待たせているバトゥの愛馬を駆って、追跡されないように奴隷少女を連れていけ、という事である。


 それを理解して、大男は犬獣人の女の子を連れて闇の市場から去っていった。


 それを見届けて、サツトはカーズィブの促しに応じて奴隷市場の奥へと進む。競売場脇の、先程まで商品を連れ出していた扉を潜る。その先には、或いは壁に鉄鎖でつながれ、また或いは鉄の檻に入れられた奴隷がされていた。


 老若男女、種族も色々。各地の様々な納入業者賊や闇商人から買い取っただ。


「保管状況が悪ィな、これで高く売れンのかぃ?」

「出荷する時は綺麗にしておりますとも。ああ、サツト様がお買い上げになった物は昨日仕入れたばかりですのでご安心を」

「ハッ、どうだか」


 サツトは肩をすくめる。少女が昨日今日ここに入ってきたと確認する術などないのだ、カーズィブの発言が正しいと素直に認識するのは軽率というものであろう。そんな上客の様子に、商人はバツが悪そうに苦笑いした。


 奴隷置き場を抜けて、階段を上る。


「さあ、どうぞ」


 キィと蝶番が音を立てて扉が開かれる。

 そこは埃っぽい他の部屋とはまるで違う場所だった。床には素晴らしい刺繍が施された赤の絨毯が敷かれ、上質な魔石灯が壁の金の燭台に設置されている。棚には金の壺や銀の皿、大きな紫水晶が飾られている。荒野の町には珍しいガラスがはめ込まれた棚の扉、その奥では高価である事を殊更に主張する瓶の酒が置かれていた。


 カーズィブの部屋、そして上客のみが入室を許される応接間である。


「ほォ、見事なモンで」

「お褒めに与り、恐縮です」


 社交辞令に対して決まり文句が返される。どちらも相手の事を深く知らない状況なのだから当然だ。たとえ情報入手目的の潜入調査だとしても、焦って一足飛びに距離を縮めては得られる物も得られないのである。


 競売場の煉瓦椅子とは全く違う、柔らかなソファに腰を下ろす。机を挟んだ反対側にカーズィブも掛け、彼は卓上に置かれた二つのグラスにワインを注いだ。


「この地では中々入手できないワインです、どうぞ」

「こりゃご丁寧に、どうも」


 差し出されたそれをサツトは飲む……フリをして口を濡らすに止める。一見ただの歓迎の印であるが、相手は生き馬の目を抜く奴隷商人の中で長者となった男。大金を持っていると分かっている新参者に対して一服盛らない保証はないのだ。


「で、商売のハナシってのはなンだ?」


 無意味な腹の探り合いなど、どれだけやっても徒労に終わるだけ。無駄を嫌う商人らしく、サツトはカーズィブが言っていた本題に話を向ける。


「実は近々大きな取引の予定がありまして」


 ニィと闇の商人は笑みを浮かべる。


「内容は?」

「この地の外からが大量に入ってくるのですよ、とある御方のおかげで。その数は五十を超える程です。それの売り捌きを一任されましてね」

「そりゃまた景気のいい。とある御方ってのはどんな人なンだ?」

「それについてはご勘弁を。商売には秘密にしなければならない事がありますので」

「ああ、そりゃ悪ィ。そうだな、言えない事ってのはあるモンだ」


 サツトは笑って肩をすくめた。そうなのだ、明らかに出来ない事は多いのである。それが商売の話であるか、それ以外の事であるかは別として。


「で俺にその人心取引に参加しろ、と」

「ええ。貴方ほど良い金の使い方をなさる方ならば、是非ご参加いただきたく」

「ハッ。俺の持ってる金が目当てなだけだろ」

「滅相もございません、ははは」


 お互いに笑う、決して相手に心を許さずに。


「日程は?」

「七日後、時間は本日よりも二時間ほど早く。商品が多いですからね」

「そりゃ当然だな」


 通常営業の本日でもそれなりの時間が掛かっている。それよりもずっと多くの商品が並ぶのだから、開始時間を早めなければ真夜中になってしまうのは当たり前だ。


「……ヨシ、んじゃ俺も参加させてもらおうじゃねェか」

「おお、ありがとうございます」


 良い返事を貰って、カーズィブはパッと笑顔になる。実にわざとらしい表情だが、細目が開かれて瞳が淡褐色ヘーゼルである事が分かるため、多少の本心が含まれているのだろう。


「それでは、当日お待ち致しております」


 カーズィブは深く頭を下げた。


 七日。

 奴隷市場と攫われた少女について、調査に使える時間をサツトは手に入れる。

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