第8話 法と秩序の序章

「おォ、良いじゃねェか。サマになってンぜ」


 大仰に両腕を拡げてサツトは笑う。


「ははは、そうですかね。しかしあのシャワーと言い、この衣服と言い、素晴らしい技術……いや文明の水準すら桁が違うと言った方が……?」


 先程まで襤褸ぼろを纏っていたヴァイスは、その恰好を大きく変えていた。

 ぼさぼさの髪は洗った事で多少マシになっており、灰色スーツに青のネクタイを着て茶色革靴を履いている。見た目だけならば日本のサラリーマン、いやもっと硬い職業に就いている人物と言った方が的確だろう。


「あんな美味しい食事、初めてでした。こんな良い服も頂いて、本当にありがとうございます」


 レリは深々と頭を下げた。彼女もまた、日本の衣服に身を包んでいる。

 上は黒ブラウスに白のジャケット、下は紺のロングフレアスカート、足下は白のハイヒール。署内のロッカーをひっくり返すような事をして、キルシュが彼女に似合う衣服を探し出したのだ。そのおかげか、儚げだったレリに大人っぽさが加わり、知的な印象を受ける姿となった。


「うん、レリさん素敵になりました!」

「ありがとう、キルシュさん」


 女子二人がポンと両手でタッチする。


「ンじゃ、今度こそ事情聴取だ。アンタらが人身売買の対象になった経緯を聞こう」


 ドスンと事務椅子に腰かけて、サツトは長い足を組む。レリとヴァイスも椅子に掛けた。先程放った書類とペンを手にして、二人を指す。


「では……私から」


 小さく手を上げたのはレリだ。


「教会での政争の結果、私は聖女では無くなりました。それでも邪魔と考えた彼らは私を暗殺しようとして……。担がれて、無用になったら処分という私の立場を哀れんだ方に逃されたのです」


 当時の辛い出来事を思い出しながら彼女は話を続ける。


ここ異世界署から北東の町に到着したのは、それから一月くらい後でした。私と同じように町を目指す貧民の人々と行動する事で、どうにか町に辿り着いたのです」


 過酷な環境に何の準備も出来そうにない貧民たち。その旅路が苦しい物だったのは想像に難くない。


「生活の為には働かなくてはなりません、粗末な宿屋で下働きを始めたのです。雇い主もお客さんも乱暴な人も多くて……。今から一月前だったと思います、家に帰る途中で人攫いに」

「ふむ、街中での誘拐事件っと」


 サササッとお巡りさんはペンを走らせる。

 内容としてはキルシュたちが街中で襲われたのと同様だ。


「次は僕の番ですね。人狩りに遭ったのはもう五年も前の事です」


 腕を組んでヴァイスは、遠くとも忘れる事など出来ない、その日の事を思い出す。


「国で異端と断じられて兵に追われ、うのていで逃げ出した僕は南東から見捨てら……いや、美名頃市へと入ったのです。南東の町には無事に到着したのですが、あの町は少々危険が過ぎました」


 彼は首を横に振る。


「長期間の滞在は危険と考えて僕は北へ、お二人に救われる事になったここから東の町へ向かって出発したのです……が、草原荒地と進む中で盗賊に襲われまして」

「ほォ、盗賊。馬賊じゃねェのか」

「ええ、聞いた所によると馬賊は一年ほど前に活動し始めたそうです。ええと、賊にに捕らえられた後は商品としてあちらへこちらへ。鉱山労働が多かったかな……ははは」


 ヴァイスは五年間の経験の殆どを省略して話し、乾いた笑いを漏らした。


「奴隷労働の内容については……今は良いですよね」

「あァ、とりあえず今回の事件とは別だかンな」


 そっちはそっちで別件として動く、とサツトは続けた。


「とっ捕まえた連中を取り調べても吐かない以上は、捜査と証言から繋げるしかねェ。馬賊どもは一年前から活動を始めた、としか分からねェからな。やっぱり三番通りの商人が唯一の手掛かりかねェ」


 現時点で分かっている事を整理する。相手が何処にいるのか、そしてどうすればそれが分かるのか。地道に少しずつ、人と事象を辿って接近していくしか無いのだ。


「なあ。捕らえた馬賊への尋問、なんで質問するだけなんだ?俺達を助けた時みたいにボコボコにしてやれば、もう少し口が軽くなると思うんだが」

「アァ?おいコラ巡査見習い、テメェなにフザけた事ぬかしてンだ」


 問いに対して、サツトは彼の事を睨みつける。その眼力に圧されて、思わずリヒトは後退った。


「犯罪捜査規範、第一六八条、取調べを行うに当たつて当たっては、強制、拷問、脅迫その他供述の任意性について疑念をいだかれるような方法を用いてはならない、だ、バカ野郎。ンな事をして引き出した証言は裁判に使えねェんだよ」

「またよく分からない事を。理解は全くできないけど、やっちゃいけないって言うなら俺は従うしかないな……」


 この場においては自分の、いや自分達の立場はサツトの下位に当たる。彼の機嫌を損ねると最悪の場合、荒野に放り出されてしまう可能性があるのだ。リヒトだけではない、彼が守らねばと考えているキルシュも一緒に、だ。


「……なるほど、サツトさんの国の法は随分と進歩的であるようだ。この世界での犯罪者の取り調べなど、暴行はおろか拷問も日常茶飯事ですからね」


 ヴァイスが説明に納得し、そして立ち上がった。


「理屈は分かりませんが、僕はサツトさんの世界の文字を読む事が出来る。そしてこの異世界署には、貴方の国の法に関する書物が多く有る様子。是非、学ばせて頂きたい。そしてお力になりましょう、知恵をって」


 ドンと胸を叩く。長年の奴隷労働によって力を失っていた目は今、強い決意の光を宿していた。


「あ、あのっ、私も学ばせてください。聖女としては何の役にも立てなかった、でもこうして助けてもらえた。この機会を活かしたい、今度こそ誰かのために働きたいんです!お願いします!」


 レリもまた立ち上がり、儚げだった声に決意を宿してサツトに願い出る。勢いを付けて深く深く彼女は頭を下げた。


 そんな両者の姿を見て、異世界署の署長は乱暴に頭を掻く。


「好きにすりゃ良いンじゃねェか?ここは警察署だ、市民の皆サマのための施設だ。法律を学びたいってンなら、六法全書の憲法から読んでみりゃ良い。理解できるかどうかは知らねェが」

「おお、感謝しますぞ」

「ありがとうございますっ」


 許可を得て、ヴァイスとレリは頭を下げた。


 神から見放された異世界の地に小さな希望の光が生じる。


 彼らの学習がこの地に、法に基づく秩序を芽吹かせる第一歩となったのだった。

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