第7話 美名頃司法
「おお、おおおおお!なんという、なんというっ!この歪み無きガラス、継ぎ目の見えぬ柱に凹凸無き床!これは石……いやいや積んでいるのではない、溶かし固め……?ううむ、そんな技術があるというのか。この建築法があるならば、これ程の建築物が存在するのも理解できる!」
骨と皮だけの身体でありながら、中年男性はわあわあと騒ぎながらあちらへこちらへ歩いては壁に床にへばり付いている。
「……思ってたよりも元気だな、あの人」
ポツリとリヒトが呟いた。
パトカーの車内に偶然残っていた溶けたチョコレート菓子を食べさせてはいるが、それだけで体力が回復するわけはない。身体の力ではなく精神の力で彼は動いているのだ。異世界署の建物は、多くの知恵を持つ学者の目から見たならば黄金の都なのであろう。
「オイ、事情聴取始めンぞ、こっちに来い」
「おお、これは失礼!」
受付カウンターの裏に入って椅子に掛けたサツトの呼び掛けに、中年男性はバツが悪そうに笑って頭を掻きながら歩み寄る。もう一人の女性はキョロキョロと辺りを見回してはいたものの、カウンター前に置かれた椅子に掛けて大人しくしていた。
サツトはバインダーに書類を挟み、ペンを持つ。
「さてと……って、名前聞いてねェぞ、そういや」
「「あ!」」
人身売買の場から偶然にも救出され、すぐに未知の乗り物に乗せられた。あっという間にこれまた見た事も無い建物に入り、不思議と興味に溢れて今に至る。その中で名を名乗る機会が無かったのだ。
「実に実に失敬!僕はヴァイス、ヴァイス・ヴィッセン・ハイト。歳は四十と一、元は学者をやっておりました。が、ここ五年は肉体労働ばかりしておりましたね、ははは」
いやはや情けない、とヴァイスは頭を掻く。彼の金髪はその輝きを失って煤けており、櫛で整えるような環境では無かった事でぼさぼさだ。それとは反対に彼の茶色の瞳は、未知に満ちている現状に興味津々で輝いていた。
「私はレリ。レリ・ジョーネ・サクロリド。サツト様たちにお話した通りに元は聖女、何の権力も持っていませんでしたが……。あ、二十六歳です。人狩りに捕まったのはつい最近、商品として並べられたのは初めてでした……怖かった」
そう言ってレリは
「なるほど、五年以上前から人身売買は横行してる、と」
「この地には秩序は無く、正しく治める者も存在しません。まさに無法の地なのです」
五年の奴隷生活を通して全てを理解しているヴァイスは、真っすぐにサツトを見て言った。先程までの興奮や人懐こそうな物言いは消え、その瞳の奥には深い闇が宿っている。その目が、この地の姿の全てを物語っていた。
「馬賊に奴隷商、強盗に、と犯罪目白押しだな、この特定地域は」
「とくてい、ちいき……?」
レリは首を傾げる。今までの人生で聞いた事の無い単語だ。
「ン?俺は市内警邏中に突然
「???よく分かりません……」
レリは困り顔で再び俯いた。
「落ち込まなくても大丈夫ですよ、
彼女の肩に手を置いて、キルシュは言った。ダイモンは曖昧な笑みを浮かべており、リヒトは肩をすくめている。
だが彼女達とは異なり、一人だけ顎に手を当てて考え込む者がいた。
「……そうですね、なるほど。ここはそのミナゴロ、シ?という町ですね。ええ確かに、間違いなく」
ヴァイスは何かを理解して咀嚼し、呑み込むように言った。予想外の反応にキルシュ達は驚きの表情を浮かべる、だがサツトだけはニヤリと笑っていた。
「そうだ、ここは美名頃市だ。だから俺の知る法が、日本国の法が適用される。人身売買は違法、強盗も違法、誘拐も違法、暴行傷害も違法。それをやる奴ァ全員逮捕だ。逮捕の流儀は美名頃市のヤり方だ。抵抗するなら力ずくで、ブッ飛ばしてでも法の下の裁きを受けてもらう」
そこまでを聞いて、キルシュたちも理解した。
法無き地であるこの場所に、法に基づく組織が今は存在しているのだ。
そう、サツトを頂点とする異世界署が。
「なァ副署長、ここは美名頃市だよな?」
「はいっ、間違いなく絶対に、みなごろし、です!」
満面の笑みと快活な声色で、少女は答える。
「ダイモン……副署長補佐もそう思うよね?」
「ええ、勿論でございます」
お嬢様の問いに彼は微笑んで頷いた。
「リヒト巡査見習い」
「ああ、分かったよ。無茶苦茶な話だと思うけど否定はしない。ここは美名頃市だ」
リヒトも僅かに笑みを浮かべて、頭を掻きながら肯定する。
「ヨシ、事情聴取継続……の前にメシにすンぞ。よく考えたらアンタら空腹だろ」
「ははは、正直を言うと今にも気を失いそうですよ」
「実は私、ずっとお腹が減ってました……」
座っている状態でフラフラと揺れるヴァイスと、恥ずかしそうに頬を染めるレリ。彼らの様子を見て、サツトは笑った。
「くはは!だよな、だよなァ。俺とした事がしくじったぜ」
彼は頬杖をついて、聴取書類を机の上に放り出す。
「じゃ、食堂行くぞ。その後はアンタらの身なりを綺麗にしてやらないとな」
サツトが先導して、キルシュたちは笑顔で食堂へと向かっていった。
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